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失敗作を集めたレシピノート

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ニュージーランド地震を遙か遠い彼方の出来事として傍観していたら。

やってきたよ、日本にも。
それも三発。
しかも国内観測史上最大級。

こんなにも大きく、こんなにも長い揺れを体験するのははじめて。

日本のほぼ全域の海岸線に津波警報。
交通網は麻痺し、ライフラインも一部一時断絶。


しかし悪運強し。

地震発生時は自宅にいて、僕が住む地域はほとんど被害なし。
ライフラインもほとんど影響を受けず。

偶然の幸運を見つけ出すのがセレンディピティなら、
これも一種のセレンディピティなのだろう。


どんなときも、希望を失わずにいよう。
苦しいときこそ、抗い難い苦難に出会ったときこそ、
小さな「花」を見つけ出す努力をしよう。


それが人間らしく生きる、ってことじゃないだろうか。

震災に遭われた方へ、心よりお見舞い申し上げます。
震災により尊い命を奪われた方へ、心からご冥福をお祈りいたします。


建築という枠組み

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友達に誘われて、「3331 Arts Chiyoda」という
学校を改装したギャラリーに講演を聞きに行ってきました。

京都精華大学の卒業制作展示の一環で行われる連続講演、
「デザイン教育の現場から」の初日に行われたもの。
テーマは「建築という枠組み」、
講師は同大学で教鞭をふるう二人の建築家、永山祐子氏+片木孝治氏。


永山祐子さんは今をときめく新進気鋭の若手建築家、
一方、片木孝治さんは建築設計の次のステップとして、
農山村地域をアートで活性化するプロジェクトをメインに活動されています。
これも一種の「都市計画」なのだろうか。


建築と社会。
今、まさに僕が必死に考えている方向性につながるタイムリーな講演会。
でも、「若手」を簡単に信用せず、ソフト優先指向を嫌う自分の性格では、
たぶん一人で行くことは決してなかっただろう。


誘ってくれた友達に感謝。


世界でもっとも危険な動物

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「あのライオン、肌に張りがない。毛にもツヤがない。自分で獲物を獲らないからだ。やっぱり、ここじゃライオンがライオンらしく生きるのは難しいのかもしれない。」(映画『沈まぬ太陽』)


早くも「沈まぬ太陽」がテレビ放映。

7年前に原作を読んだときはかなりの衝撃を受けた。
映画はこの濃い物語をよくぞ映像化した、と思うけど、
原作の濃さを考えると、やはり映画は原作のダイジェスト版、
という感があるのは否めない。

それでも言葉だけでは見えず、映像化することで見えてくるものもある。


映画で一番印象に残ったシーン。

主人公・恩地が会社の不正を暴くべく向かったニューヨーク。
束の間の休息で訪れたブロンクス動物園。
そこにかつての仲間であり、今は敵となったライバルの愛人が現れる。
もがけばもがくほど巨悪に染まってゆく男を助けてほしい、と懇願する女。
女が去った後、恩地がふと顔を上げた先に目に入った、
「世界でもっとも危険な動物」とは...


世界中のすべての動物園に置くべきだ。
この「世界でもっとも危険な動物」を。


デジタル人間、アナログ人間。

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「...富む者と貧しい者にちがいはなく、ただある者は夢をみておのれをいつわり、またある者はそれをしないだけのことです。そして知恵とはすなわち、人は貧しいと知ることなのです」(小説「聖書」第4部 王たち 17章 ソロモン)


卒業制作の最後の追い込み。
...とはいっても今のところ、連日パーツ加工。

材料の木材をやすってはニスを塗り、
やすっては磨く日々。
手をナイフで切るわ、手にマメはできるわ、手がつりそうになるわ、
服は粉まみれになるわ...

翌日はひどい筋肉痛でぐったり。
作業時間としては徹夜するほどではないけれど、
思った以上の重労働。

自分で選んだ道ながら、ぐったり。

...しかし。

これがもの作りだ。
これこそが、もの作りだ。


デジタルな人間とアナログな人間がいる。

別にパソコンが使えればデジタル人間で、
使えなければアナログ人間、ということではない。

パソコンが使えるアナログ人間はいるし、
パソコンが使えないデジタル人間もいる。


僕が言いたいのは、時間感覚の個性である。

時間の「積層」に価値を求める人と、時間の「認識」に価値を求める人。
前者がデジタル人間で、後者がアナログ人間。
別にどちらが優れているか、などといった優劣を語る気はさらさらない。
ただ、好き嫌いはある。


僕は自分の中のアナログ人間が嫌いじゃない。
嫌いじゃない、なんてもんじゃない。
大好きだ。


三つの愛の形

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[ミケランジェロ『ピエタ』](出典:Wikipedia)


天気が良いと、どこか行きたくなる。

しかし生来、出不精でもある。

どこか行きたい気持ちと、家でぐうたらしていたい気持ちがせめぎ合う。


そして結局どこにも行かなかったとき、
昔なら、「なんて自分はダメ人間なんだ」と激しく自己嫌悪に陥ったものだ。


しかし今はこう思う。


  「今日は身体が休息モードだったんだ」


それだけで、気分が塞ぐか、気分が楽になるか大きく状態が異なる。


同じ状況でも、捉え方によって悲劇にもなるし、幸運にもなる。
ピンチにもチャンスにもなる。
これはけして大げさな誇張ではないし、けして事実をねじ曲げることでもない。

幸運を生かす人と悲運にしか恵まれない人。
世界の大半の人々は、
この小さな考え方の差で生き方に大きく差が出ているんじゃないだろうか。


しかしこんな時、家から歩いて5分に良い場所があるって嬉しい。
たった30分でも緑のなかをぶらぶらすると、精神が充電される。


自然が僕らを生かしている。
人間が自然をコントロールしようだなんて、思い上がりも甚だしい。

すべての答えは自然という偉大な書物に記されている。
だから僕らは自然から学ばなければならない。


「効率化」という罠

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[自然には効率化されたものしかない。自然は効率化の最上のお手本である]


かつてある記事を書いたとき、僕を評するコメントとして、


  「あらゆるものが理性で説明可能であると思っている」


と言われたことがあります。
そしてその代表例として、勝間和世さんをあげていました。
その人は彼女が大嫌いなそうです。

そういわれたときには勝間和世さんを名前くらいしか聞いたことがなく、
どういう人なのか知らなかったのでピンと来なかった。


今日ふと、テレビで金スマをみていると、
その勝間和世さんが特集されていました。
すぐれたエコノミストであり、
「日本で一番デキル女」であり、「日本で一番優れた母親」とか。


...僕はどちらかといえば、好きかな。
好き、というより尊敬する、というか。
ワーキングマザーを持つ自分としては、共感するところも多い。
母親とは口やかましく、その口数だけ愛に溢れているものだ。
口うるさくいわれていた頃はそれを疎ましく思っていたものだけど、
今、遠く離れて暮らしていると、母の愛をひしひしと感じる。

勝間さんも僕も、ものごとを「あらゆるものが理性で説明可能である」とは思っていない。
むしろ、世の中には理性で説明できないものが多すぎるから、
少しでも整理して説明できるものを増やしたい、そして伝えたい。

...そう願っているだけなんだ。

玉磨かざれば光なし

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かつて5年くらい前まで。

デザインや建築のことなど、ほとんど考えたことなどなかった。

10代はわけも分からず自分の身の不遇を嘆き、
20代はそこから抜け出そうと必死にもがき、
30代ではじめて社会における自分の位置づけを考えはじめた。

そして辿り着いたのが、今の場所。

しかし職能としてはまだはじまってさえいない。
これから先のことを考えると、果てしなく遠く感じる。
それでいて流れる月日は光陰矢のごとし。
そして残された時間は無限ではない。


もっと早く、せめて10年前にスタートしていたら。
考えても仕方がない、と分かっていても考えてしまう。


もしかしたら僕はデザイナーにはなれないかもしれない。
もしかしたら僕は建築家にはなれないかもしれない。

...しかし今はそれは問題ではない。


自分がなるべきものに、自分が本当にやりたいと思っていることに、
挑戦していることに意味がある。

本質を追究していくことと、生きる糧を得る手段とがいつも一致するわけではない。
しかし常に一致させようと願い続け、信じ続け、挑戦し続けることに意味がある。


...これは決して理想論ではない。
「より良く生きる」ための唯一の方法である。

ノミニケーション

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TODOROKI ILLUMINATION


めちゃなことをしたい。思い切って、めちゃなことを、やってみたい。私にだって、まだまだロマンチシズムは、残っている筈だ。笠井さんは、ことし三十五歳である。けれども髪の毛も薄く、歯も欠けて、どうしても四十歳以上の人のように見える。妻と子のために、また多少は、俗世間への見栄のために、何もわからぬながら、ただ懸命に書いて、お金をもらって、いつとは無しに老けてしまった。笠井さんは、行い正しい紳士である、と作家仲間が、決定していた。事実、笠井さんは、良い夫、良い父である。生来の臆病と、過度の責任感の強さとが、笠井さんに、いわば良人の貞操をも固く守らせていた。口下手ではあり、行動は極めて鈍重だし、そこは笠井さんもあきらめていた。けれども、いま、おのれの芋虫に、うんじ果て、爆発して旅に出て、なかなか、めちゃな決意をしていた。何か光を。(太宰治『八十八夜』)


正月三箇日は寝正月。


四日目にデジハリの友人から実に三年ぶりかくらいに連絡が来て、
久々に渋谷で飲むことになった。

渋谷へ向かう途中、等々力の駅前で大学の先生とばったり。
等々力の駅前には、多摩美と等々力商店街振興組合とのコラボによる
イルミネーションツリーが期間限定で設置されていて、
陣頭指揮をとられていた先生が様子を見に来られていました。

学生たちにも基礎提案の機会を与えられたのだけど、
僕は本課題の方に気をとられていて、あまり乗り気となれず。

こうして実際出来上がったものを眺めていると、やはりそのことが悔やまれる。
そして空間、という目に見えない魔物に魅入られながらも、
自分の根底に「ものづくり」への想いがあることを再認識させられた。


笠井さんほどの責任感もなければ、紳士でもないけれど、
世知辛い世の中に多少の厭世感を持つリアリストではあるけれど、
そんな僕にだってまだまだロマンチシズムは残っている。

僕だってめちゃをしたい。

四拍子

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この歳になってくると、小中高の学生時代の記憶は断片的になってくる。

昔から音楽は苦手だった。

でも嫌いってわけじゃなかった。
それほど熱中したわけでもなかったけど、
歌うのも、聴くのも、弾くのもそれなりに好きだった。
もちろん全然センスはなかったけど。

当然指揮のセンスなんかも皆無なんだけど、
授業の時に習った二拍子、三拍子、四拍子の振り方だけはなぜか今でも記憶に残っている。
中でも四拍子が一番のお気に入りだ。


今でも音楽が流れているときや、ふと手持ちぶさたになるとき、
手振りで四拍子を振る。
曲の拍子なんてほとんど知らないのに、
不思議とリズムが合う。いや、合っている気がする。

そういうときはとても安らぎを感じる。
だから不安なとき、辛いとき、緊張したとき、煮詰まったときなど、
気づくといつも四拍子を振っている。

プレゼンの極意

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本記事は社会人学生として美大に通っている2009年に執筆したものですが、
意外とアクセスが多いので、8年経った2017年に再編集してみました。


どちらかというと、プレゼンは苦手。

人前に出ると緊張するし、
頭の中で整理しておいたことを100%伝えることは難しいし、
よしんば自分で伝えたと思ったとしても、相手に伝わっていないこともある。


デザイン学科というところはプレゼンが多い。
かつて十代で理系の高専に通っていた頃、プレゼンをした記憶はほとんどない。

プレゼンは自分をアピールする「基本的な手段」である。

※ 以前は「唯一の手段」と書いていたけど、
 よく考えたら自分をアピールする手段なんていくらでもあるよね。

理系の世界が知識を積み重ねてなんぼ、というのに対し、
デザインの世界は自分をアピールしてなんぼ、という感がある。
だからデザインの世界ではプレゼンやポートフォリオが重要となる。

良い作品は作者が語らずとも自ら語るかもしれない。
しかし、そんな完璧な作品をいつも作れるとは限らない。
どんな優れたデザイナーでもそうそう作れるものではない。
だからやっぱりデザイナーにはプレゼンとポートフォリオが必須なのである。


そんなプレゼンの多い大学でありながら、
学生のプレゼンのレベルは総じて高くない気がする。

自分もそんなにプレゼンが上手いほうではないけれど。
プレゼンそのものを先生から注意されることはほとんどない。

それが年の功なのかどうかはよく分からないけれど。
若い学生達のプレゼンをそばで見ていて、
もうちょっと上手くプレゼンすれば作品の良さが伝わるのに、
...と思うことがしばしばなのでこの記事を書いてみました。
...こんな記事を書くこと自体、歳をとったということなのだろうか。


※ ここで念を押すけれど、
 本記事はプレゼンが得意だからみんなにそのノウハウを教えてあげるね、という上から目線ではなく、
 あくまでプレゼンが苦手な人間がプレゼンを克服するための備忘録として、
 同じような思いをしている人との意識共有をしたい、という想いからのものです。


陰翳礼讃【谷崎潤一郎】

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大学に入ってすぐの頃、授業で紹介されたのですが、
読もう読もうと思いつつ、なかなか読まなかった本。

自由が丘のブックオフで見つけて購入し、このほどやっと読み終えました。

表題の「陰翳礼讃」ほか、
「懶惰の説」「恋愛および色情」「客嫌い」「旅のいろいろ」「厠のいろいろ」
の五編が収められた短編集。

明治以降の文明開化以後、急速に西洋文化が浸透しつつある昭和初期、
著者の主観による日本文化を西洋文化と比較しながら解説。


やはり冒頭の「陰翳礼讃」が一番秀逸かな。
...というより「陰翳礼讃」で十分、というか。
かの文豪の筆といえど、長々と読んでいたくはない文章、というか。

書いてる内容は確かに正しく説得力はあるのだけど、
聞いてる(読んでいる)方は説教されてる気になってしまう、というか。


光りそのものを賛美する文化と、光りによって生じる影を賛美する文化。
どうやら日本は本来、後者の文化らしい。

それが文明開化の波に飲まれ、西洋文化の合理主義にかぶれた。
どうやらそれが日本の悲劇らしい。


たったひとりの反乱

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最近の「プロフェッショナルの流儀」はなんだかな~...と思っているところへ、
12月一杯の放送休止。
大丈夫なのかな...


それはさておき、代わりに放送されているのが「たったひとりの反乱」シリース。

前回の食肉加工偽装もすごかったけど、
今回はもっとすごかった。


かつて幼き頃遊びまわった美しい自然溢れる干潟が今や瀕死のゴミの山。
その惨状に対してたった一人、立ち上がった男がいた。

10年という想像を絶する孤独な闘い。
何が男を支え、社会は男の何に共感したのか。

デザインで飯を食う、ということ。

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水曜、木曜と先生と深い話をする機会がありました。


水曜日は「アイデンティティ・デザイン」の授業で。


  「デザインで飯を食っていくとはどういうことか?」


という、デザイン学科における直面のテーマについて、
先生と学生達がフランクに語り合いました。


一方木曜日は実習課題でのエスキース。
忙しい先生の合間を縫って、はじめてじっくり相談に乗ってくれました。


二人の先生が示唆してくれた共通のアドバイス。


  「迷うことや不安を持つことは決して間違ったことではない」


不安は幸運を内包している、ということ。

迷い、不安に思うのは自分が未熟だということを理解していること、
いろんな選択肢があり、そのどれもが正解であると同時に、不正解でもある。
世界は矛盾に満ちており、その矛盾が見えるから迷うのだ。

限界芸術論再説【鶴見俊輔】

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現代デザイン講座第4巻「デザインの領域」に収められている一編。

1991年に筑摩書房より刊行された「鶴見俊輔集6」に収録された
「限界芸術論」とは基本的に別物のようです。

現代デザイン講座の発刊は1969年なので、
こちらの収められている「限界芸術論総説」のほうが全然古いわけですが。

1991年版のほうは解説形式の記述になっているのに対し、
1969年版のほうは大学での講義録を記述したものになっています。
学生への質問、質疑応答などの様子がそのまま記載されていて、
会話を体験するように読むことでができ、1991年版の解説形式に比べて分かりやすい。


元々は「環境生活デザイン」の授業で紹介された1991年版を探しているうちに、
この1969年版に出会ったわけですが、思わぬ見つけもの。

ネットの古本屋で900円でGETできました。
1991年版は定価1300円。
1991年版より分かりやすく、しかも他の読み物まで収録されていてこの安さ。
たださすがに古すぎて、プレミアがつきはじめているのでご注意を。


川添登氏の「デザインの領域」と併せて読むと、
デザインと芸術、および社会とそれらの関係性がより理解できると思います。

デザインの領域【川添登】

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現代デザイン講座シリーズ第4巻。
1969年出版の年代物。

表題の「デザインの領域」ほか6編収録。

じつは「生活環境デザイン」の授業で紹介された、
鶴見俊輔氏の「限界芸術論」を探してて見つけました。

ただ本書に収められている限界芸術論は、
「限界芸術論再説」で、正確には別物。


新しさにこそ、価値がある。新しさこそ全てだ。
...昔はそう思っていた。

新しさには価値がある。しかしそれが価値あるものの全てではない。
...今はそう思う。


本質的なものは変わらない。
だから時を経てもその価値は失われない。

この本はそのことを教えてくれる。
デザインの本質は僕の生まれる前からすでに明快な定義がされていた。
そしてその本質は今も変わらないと思う。

柳宗理 デザイン

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1998年にセゾン美術館で開催された、
「柳宗理のデザイン-戦後デザインのパイオニア」の図録。


大学の助手さんが貸してくれました。


それまで柳宗理といえばバタフライスツールくらいしか知りませんでした。

ポスターや雑誌の表紙、サインなどのグラフィックデザインから
家具や文房具、キッチン用品などのプロダクトデザイン、
果ては自動車、橋梁、道路の防音壁に至るまで
実にさまざまな分野でその手腕を振るっていたんですね。


しかし一番僕を惹きつけたのは、デザインに対する考え方。

冒頭に「デザイン考」と題して氏のデザインに対する考え方が
5ページにわたって掲載されています。

深沢直人氏の「デザインの輪郭」や原研哉氏の「デザインのデザイン」にも
勝るとも劣らない「デザインとは?」というデザインを志すすべての人たちが持つ
永遠のテーマへの明確な回答がここにある気がします。
なにより1983年の時点でこのようなビジョンを持っていたことがすばらしい。

氏と同じくあらゆるものをデザインし、
「口紅から機関車まで」という名著を残したレイモンド・ローウィに
通ずるものを感じますが、時代的に大量生産、大量消費を手放しで歓迎していた
ローウィに対して、自然や地球環境問題を意識した柳宗理のデザイン観は
その視野の広さを継承しつつ、さらに進化したものだった。


自分を建築に惹きつけるもの

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「生活デザイン」の課題でソルト&ペッパーのデザインをしています。


時間の都合上実物を作るまでには至らず、スタイロフォームでのモックアップ止まり。
結局機能の追求というよりは、「機能による形態の追求」というのが
この課題での目標のように感じます。


形態にこだわりのある自分にとっては願ってもない課題なのだけど。


ものづくりの会社にいながらものを創ってこなかったツケがここで現る。
シンプルだと思っていた形がいざ作るとなるとなかなか形にならない。
粘土による付け足しだと容易な造形が、
スタイロフォームで掘り出し、となると途端にその造形が難しくなる。
先生に質問しても先生にもよく分からない、いうほど複雑な造形らしい。


造形と素材と加工法の適切な選択。
これもものづくりにおけるポイントのようです。


今回は課題の条件として「スタイロフォームで作ること」となっているので、
まあ掘り出しの練習だと思って複雑な造形にチャレンジします。

無事完成しますように。


DESIGNING DESIGN【KENYA HARA】

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デザインのデザイン Special Edition


表参道のABCで見つけた一冊。

オリジナル版より一回り大きく、厚さは2倍ほどあります。
国際版を経て、テキスト倍増、図版満載の特別編集バージョンなのです。
しかしお値段もオリジナル版の3倍以上。

ちょうどオリジナル版を読んだばかりですっかり感化された状態だったので
めちゃめちゃほしくなりました。
散々悩んだ挙句、Amazonでポイントを使って若干割引価格でポチッと購入。


こうしてマイデザインバイブル2冊目が届いたのでした。


デザインのデザイン【原研哉】

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「デザインのデザイン」やっと読みました。
前から読もう読もうと思いつつ、ようやく読めた一冊。


原さんはHAPTICSENSEWAREでその存在を知ってましたが、
僕が原さんに対して持っていたイメージは、

 「シンプルでハイセンスなデザインをする、それでいてテクニカルなアートディレクター」

という感じでした。


本書で原さんは自らをグラフィックデザイナーだと言っていて少し意外な気がしました。
そしてグラフィックデザイナーも悪くないな、と思ったりしました。
それほどこの本は僕に強い影響力を与えた。
深澤直人さんの「デザインの輪郭」並みに強い影響力。


深澤さんが感覚的なアプローチとすれば、原さんは論理的なアプローチで
デザインを語られている気がしました。


キーワードは「リデザイン」。
そこに原さんの語るデザインの本質がある気がした。


緑の砂漠

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とあるニュース番組で「緑の砂漠」について報道していた。


日本の国土の7割は森林だそうです。

そしてその森林の4割は建築や家具などの人間が社会で利用するためのものとして、
人工的に植林された人工林です。
しかし建築は鉄筋コンクリートマンションの主流化などで木材の需要が減少、
さらに家具でも安い労働力を頼って日本の木を使わなくなるなどして、
国内の材木の需要が減少しており、人工林の8割は手入れもされず
放置されているのだとか。


現代ニッポンは緑豊かな国だけれど、その緑を大切にはしていない。