たったひとりの反乱

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最近の「プロフェッショナルの流儀」はなんだかな~...と思っているところへ、
12月一杯の放送休止。
大丈夫なのかな...


それはさておき、代わりに放送されているのが「たったひとりの反乱」シリース。

前回の食肉加工偽装もすごかったけど、
今回はもっとすごかった。


かつて幼き頃遊びまわった美しい自然溢れる干潟が今や瀕死のゴミの山。
その惨状に対してたった一人、立ち上がった男がいた。

10年という想像を絶する孤独な闘い。
何が男を支え、社会は男の何に共感したのか。

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自分は比較的安定志向だと思うのだけど、
上京してからの18年、7度居を変え、
5年以上住んだところは一箇所しかない。

上京して最初の引越しで、幕張に住むことになった。
会社の独身寮なのだけど、30までの8年間をそこで過ごした。

現在南船橋のIKEAがある場所に、
バブルの象徴である当時世界最大の人工スキー場「SSAWS」があった。
スキー馬鹿だった僕は、毎週のように冬は雪山に、夏はこのSSWASに通いつめた。
谷津干潟がある習志野はその道中にあるのだけど、
毎冬雪山という自然に出かけながらも、自然そのものを意識することはなく、
谷津干潟がある、ということは頭の奥にありながらその存在を深く考えることもなかった。
当然訪れることも一度もなく。

今思えばなんともったいなく、無学で愚かだったんだろう。
ネットで谷津干潟の画像を探しだし、干潟から見えるSSWASの姿を見て、
しみじみそう思った。


たった一人の新聞配達員がいなければ今、
世界的にも貴重なこの鳥獣保護区は存在せず、
無機質なコンクリートブロックが立ち並ぶ住宅街となっていた。

男はどのようにして本質を見抜き、孤独な闘いを続けてこれたのか。


大衆がいつも善とは限らない。
一部の本質を知る「知恵者」が大衆を「善」へと導く。
大衆を集合愚から集合知へと導くには、
常に時代を先行する一部の人々がいる。

比較的のんびりなペースの自分が、
そういう一部の賢人たちになろうとは思わないけれど、
せめて集合愚に惑わされないようにだけはしたい。
自分自身が集合愚の一部にならないようにしたい。
そのために自分は学び続けているんだと思う。

愚かな行為に加担しない。
それも立派な善行だとは思いませんか?


人々が不法に投棄したゴミの山を取り除きさえすれば、
干潟はかつての美しい姿を取り戻せる。
男は自然の治癒力、回復力を理解していた。そして信じていた。
自然の本質を知っていたから、彼は孤独でありながら、
周囲に惑わされず、逆に長い道のりの末に逆に周囲を惹きつけた。


今自分が孤独な生活を選択しているのも、なにかしらの意味があるはずだ。
なにかしらの本質をつかみ、実践しようとしているはずだ。

知識は積むことに意味があるのではなく、
知恵として使うことに意味がある。


  「子曰く、学びて思わざれば、則ち罔(くら)し。
   思いて学ばざれば、則ち殆(あや)うし。」