この歳になってくると、小中高の学生時代の記憶は断片的になってくる。
昔から音楽は苦手だった。
でも嫌いってわけじゃなかった。
それほど熱中したわけでもなかったけど、
歌うのも、聴くのも、弾くのもそれなりに好きだった。
もちろん全然センスはなかったけど。
当然指揮のセンスなんかも皆無なんだけど、
授業の時に習った二拍子、三拍子、四拍子の振り方だけはなぜか今でも記憶に残っている。
中でも四拍子が一番のお気に入りだ。
今でも音楽が流れているときや、ふと手持ちぶさたになるとき、
手振りで四拍子を振る。
曲の拍子なんてほとんど知らないのに、
不思議とリズムが合う。いや、合っている気がする。
そういうときはとても安らぎを感じる。
だから不安なとき、辛いとき、緊張したとき、煮詰まったときなど、
気づくといつも四拍子を振っている。
記憶を頼りに四拍子の振りをイラレでスケッチしてみました。
これが本当に正しい四拍子の振りなのかどうかは分からないけど。
こうして描いてみると美しい形をしている。
自分の中の四拍子に美しさを求めていたのだろう。
そして美の中に安らぎや調和といったものを求めている。
僕には音感がない。
その代わり僕はリズムをつかむことが出来る。
これまでも自分に合うリズムをつかんできたし、これからもつかんでいけるはずだ。
そしてつかもうとさえすれば、自分と合う誰かのリズムもつかめるはずだ。
もっと踏み込めば誰かのリズムに合わせることさえ可能なはずだ。
かつて合気道でその感触をつかんだように。
だから僕は「触れる」ことにこだわるんだと思う。
触れられない2Dより、触れられる3Dにこだわるんだと思う。
見えない空間をリズムで刻むことで、見えない空間が感じられるのだ。
たぶん僕はこの四拍子を一生忘れない。
この四拍子がこれまで僕を助けてくれたし、これからも僕を助けてくれる。