ノミニケーション

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TODOROKI ILLUMINATION


めちゃなことをしたい。思い切って、めちゃなことを、やってみたい。私にだって、まだまだロマンチシズムは、残っている筈だ。笠井さんは、ことし三十五歳である。けれども髪の毛も薄く、歯も欠けて、どうしても四十歳以上の人のように見える。妻と子のために、また多少は、俗世間への見栄のために、何もわからぬながら、ただ懸命に書いて、お金をもらって、いつとは無しに老けてしまった。笠井さんは、行い正しい紳士である、と作家仲間が、決定していた。事実、笠井さんは、良い夫、良い父である。生来の臆病と、過度の責任感の強さとが、笠井さんに、いわば良人の貞操をも固く守らせていた。口下手ではあり、行動は極めて鈍重だし、そこは笠井さんもあきらめていた。けれども、いま、おのれの芋虫に、うんじ果て、爆発して旅に出て、なかなか、めちゃな決意をしていた。何か光を。(太宰治『八十八夜』)


正月三箇日は寝正月。


四日目にデジハリの友人から実に三年ぶりかくらいに連絡が来て、
久々に渋谷で飲むことになった。

渋谷へ向かう途中、等々力の駅前で大学の先生とばったり。
等々力の駅前には、多摩美と等々力商店街振興組合とのコラボによる
イルミネーションツリーが期間限定で設置されていて、
陣頭指揮をとられていた先生が様子を見に来られていました。

学生たちにも基礎提案の機会を与えられたのだけど、
僕は本課題の方に気をとられていて、あまり乗り気となれず。

こうして実際出来上がったものを眺めていると、やはりそのことが悔やまれる。
そして空間、という目に見えない魔物に魅入られながらも、
自分の根底に「ものづくり」への想いがあることを再認識させられた。


笠井さんほどの責任感もなければ、紳士でもないけれど、
世知辛い世の中に多少の厭世感を持つリアリストではあるけれど、
そんな僕にだってまだまだロマンチシズムは残っている。

僕だってめちゃをしたい。

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TODOROKI ILLUMINATION


この不景気の中、デジハリの友人はフリーでWebディレクターをしているという。
酒を飲むのが好きで、いわゆる「ノミ(飲み)ニケーション」でコネを築き、
そのネットワークで仕事をしている。

コミュニケーションの達人である。
生きていく上で、いかにコミュニケーションが大切かを教えてくれる。
そしていかに自分のコミュニケーション能力が未熟かを思い知らされる。

その友人のすごいところは、
そのコミュニケーション能力は決して元からの性格によるものではないこと。
彼女曰く、「自分は元々臆病で、人見知りが激しい」。
三年以上前に彼女とサシで飲んだとき、
ぽつりとそう語ったその言葉を今でも鮮明に憶えている。

普段の彼女は明るく、人なつっこく、誰とでもすぐに仲良くなれる社交的な人間である。
だからすぐにはその言葉を信じられなかったのだけど、
あるとき、ふとした瞬間の仕種に、彼女の内気さが垣間見えた。


本当にコミュニケーションが得意な人とは、コミュニケーションの難しさを知る人である。
コミュニケーションの得手不得手は性格的なもの、と若い頃はそう思っていたけど、
それは間違いである、ということに最近ようやく気づいた。

コミュニケーションが苦手な人ほど、コミュニケーションの大切さが分かる。
その自覚がコミュニケーション能力を向上させるのである。

彼女のコミュニケーション能力は彼女の「強さ」であり、
僕のコミュニケーション能力の未熟さは僕の弱さである。
僕は自分で思うほど、他人に対する壁は高くないのかもしれない。


思いこんだら一筋である。
周囲が見えなくなってしまう。
おかげで大学に入ってから、大学の外の世界に対して自分を閉じた。
前の会社の仲間とか、デジハリの仲間とか、次第に疎遠になった。
最初は周囲が僕から遠ざかっていく、と思っていたけど、
遠ざかっていったのは僕自身なのかもしれない。


それでも、そんな僕に声をかけてくれる人はいる。
その人のおかげで、また新しい人と繋がることができる。

だからそういう友人を僕は大切にしたい。


このブログは自分主体で、自分の中のけっこう深い部分を掘り起こして、
日の当たる場所に置いたりする。
そういうものはとかくなんの興味も惹かなかったり、
それどころか反発さえ招くことがあるのかもしれない。

しかし中には少数派ではあるけれど、共感してくれる人もいる。
5年間亀の歩みでブログを続けてきて、それは確信できる。
その「共感」が僕の心の支えとなる。
自分を確立させる「強さ」となる。


あまり効率的なやり方ではないし、現代的なやり方でもない。

それでもなんとかやっていける、ということを世に示したく、
ブログを続けているような気がする。


ぱっと見てすぐに理解できるものが「良いもの」なのだろうか。
「使いやすい」「便利なもの」が「良いもの」なのだろうか。

最初はよく分からなくても、
気づいたら身近にあって、これからもずっと傍に置いておきたい、と思わせるもの。
使う人自身が「良く」使うための工夫をしていくもの。
そのような人の行為によって、生活によって進化していくもの。
...そういうものが「良いもの」ではないだろうか。


そういった「良いもの」を創りたい。
そういう「良いもの」をデザインしたい。


そのためには、まず飲もう。
ノミニケーションをしよう。

...下戸だけど^^;