愛媛県今治市の今治ラヂウム温泉に行ってきました。
2016年に今治市の建造物としてははじめて国の登録有形文化財に指定された建物です。
3階建ての建物で、1階がラヂウム温泉、2階がバレエ教室、3階が青雲閣というホテルと
なっているのですが、2014年にラヂウム温泉が休業となり、
現在は利用されていない状況なのですが、歴史的価値を活かして再建を目指したい、
という所有者と有志の方々の働きかけで見学会が開催される、というのを
facebookでたまたま知り、急遽お邪魔してきました。
とはいうものの、戦前の一次資料が少なく、設計者や建設者などの詳細資料が乏しく、
現在建築家や文化財保護の専門家を中心に調査が進められているのだとか。
地元の材木商で財を成した所有者の祖先により建造、
建設されたのは大正8年〜昭和2年の間と幅がありますが、
仮に大正8年の時点で建っていたとすれば、
松山でもっとも古いRC建築である木子七郎設計の萬翠荘よりも古い建物になります。
設計者はオランダ人建築家らしい、というところまでは分かっているようで、
建築に詳しい方の話によれば、
オランダの近代建築の父と呼ばれているベルラーヘの作風に似ているそうです。
第二次世界大戦の今治空襲にも耐え、
一時は軍の施設として利用されていた時期もあったとか。
建物は最初RC2階建だったものを、
後に鉄骨造の3階部分と現在のバレエ教室部分が増築されましたが、
それによって建物外観はよりカオス感が増し、独特の雰囲気を醸し出しています。
今治城に行ってきました。
今治城は藤堂高虎が関ヶ原の戦いの戦功に伊予半国20万石を拝領し、
1602年に築城を開始、1604年〜1608年に完成させました。
枡形虎口による鉄御門の強固な守り、
堀を二重三重に巡らせて、瀬戸内海の海水を引き入れて、
船が城郭まで入れるようになっていた日本屈指の海城でした。
Wikipediaによれば、築城当時に天守が建造されたかどうかの一次資料がなく、
その存在については諸説あるそうで、
現在の天守は1980年に多門櫓、武具櫓とともに再建された史実に基づかない模擬天守です。
その後1985年に御金櫓、1990年に山里櫓、そして2007年に鉄御門が再建されました。
現在は二の堀、三の堀は埋め立てられ、本丸と二の丸・三の丸を囲む堀のみですが、それでもこの壮観さ。
往時はさぞかし圧倒的だったことでしょう。
返す返すも廃城令という残念な施策が悔やまれます。
[初代城主・加藤嘉明]
2011年にはじめて愛媛に来たときに松山城に登った。
そのときは時間の都合上、三の丸や二の丸をすっ飛ばして、本丸まで登ったものの、
天守閣の中には入らず引き返した。
それから6年。
ようやく松山城への核心へと迫る。
松山城はお堀に囲まれた平地部の三の丸、
勝山山麓にあって政務や藩主家族の居住場所であった二の丸、
標高132メートルの勝山山頂部に建てられた本丸が、
南西から北東へと斜めに連なる平山城です。
築城は1602年に加藤嘉明により取りかかるが、
完成前に会津藩へ転封となり、二代目城主となった蒲生忠知により
二の丸・三の丸を含む平山城・松山城を完成させたものの、
子供がいなかったため蒲生家は断絶、松平定行が三代目藩主となり、
以後明治維新までの235年間松平家が城主を務めた。
天守は1784年の落雷で一度焼失し、ペリーの黒船来航の翌年(1854年)に再建されました。
それが現在の天守。
現在日本には12の現存天守が残っていますが、
松山城はその中で唯一、親藩である証の「葵の御紋」が付されたお城なのです。
そして現存天守の中でもっとも新しいものでもある。
2011年にはじめて愛媛に来たときに松山城に登った。
そのときは時間の都合上、三の丸や二の丸をすっ飛ばして、本丸まで登ったものの、
天守閣の中には入らず引き返した。
それから6年。
ようやく松山城への核心へと迫る。
松山城はお堀に囲まれた平地部の三の丸、
勝山山麓にあって政務や藩主家族の居住場所であった二の丸、
標高132メートルの勝山山頂部に建てられた本丸が、
南西から北東へと斜めに連なる平山城です。
築城は1602年に加藤嘉明により取りかかるが、
完成前に会津藩へ転封となり、二代目城主となった蒲生忠知により
二の丸・三の丸を含む平山城・松山城を完成させたものの、
子供がいなかったため蒲生家は断絶、松平定行が三代目藩主となり、
以後明治維新までの235年間松平家が城主を務めた。
二の丸の建物は明治維新後は一時期県庁として使われていたものの、
明治5年(1872年)に火災により焼失、270年の歴史に幕を閉じた。
その後は跡地に病院や学校が建てられていた時期もありましたが、
1992年、現在の二之丸史跡庭園が整備・開園し現在に至ります。
伊予市(いよし)は、愛媛県の中予地方に位置する市。中予地方の最西に位置し、以西は南予地方となる。
複数の削り節工場が立地し、国内に出荷される6割のシェアを占めている。また、五色浜をはじめとした海水浴場や、JR予讃線(愛ある伊予灘線)や夕やけこやけラインから見える景色等、美しい瀬戸内海(伊予灘)が本市の観光資源となっている。(Wikipedia)
早いもので伊予市に引っ越して一年が過ぎました。
海あり、山あり、街ありとバランス良く、松山へのアクセスも良く、
なかなか過ごしやすいです。
最近インスタの画像をブログに貼り付けられる、ということを知ったので、
伊予のいーとこ風景を集めてみました。
(一部インスタ画像じゃないものも混ざってます^^;)
瀬戸内国際芸術祭2016最終日。
粟島での消化不良感が残ったまま帰る気にならず、丸亀まで戻って
猪熊弦一郎現代美術館に行くことにしました。
この美術館には瀬戸芸の作品はなかったのですが、さすがに高松まで引き返す気にはならず、
須田港から一番近くのアートスポット、ということで。
丸亀の駅前に立つその美しく巨大な箱は、建物そのものが強烈なインパクトを放っている。
基本的に猪熊弦一郎の作品を展示する美術館だけれど、格別この作家が好きなわけでもなく、
今回訪れたときにやっていた企画展もさほど興味をそそるものではなかったけれど、
MoMAの改築を手掛けた谷口吉生による美術空間を見るだけでもそれはそれで面白い。
美術館の前は何度となく通っているのですが、
中に入るのは2011年に訪れて以来、実に5年ぶり。
瀬戸内国際芸術祭2016の最終日は日曜日。
混雑が予想される東の島々を避けて西の島々の一つ、粟島に行くことに。
まず高松で栗林公園を鑑賞し、その後三豊市の須田港へ。
高松から須田港まではおよそ1時間半。
須田港12:35発のフェリーに乗りたかったので、
1時間前に到着するよう10:00に栗林公園を出発。
小さな須田港には駐車場はなく、
少しな離れたところに臨時駐車場があって、無料シャトルバスで送迎してくれます。
前回の本島訪問で西の島々もなかなか良いじゃないか、ということで
高見島、伊吹島、粟島の中から悩んだ末に粟島に行くことにしたのですが...
四国唯一の特別名勝・栗林公園の中にある商工奨励館と讃岐民芸館。
【商工奨励館】
明治32年に「香川博物館」として建築され、本館・西館・東館・北館とそれを結ぶ廊下により回廊構造となっています。栗林公園の情報や伝統的工芸品の展示・実演などを行っています。また、本館の二階には世界的家具デザイナーであるジョージ・ナカシマのテーブルや椅子を展示、ベランダから美しい南庭方向を望むことができます。(パンフレットより)
【讃岐民芸館】
香川をはじめ各地の焼き物、木工品、漆器など生活に密着した民具が、収蔵・展示されています。代表的なものに、香川漆器、高松張子、理平焼、一閑張などがあります。(パンフレットより)
自分が訪れたのは瀬戸内国際芸術祭の作品鑑賞が主な目的でしたが、
なかなかどうして、建物を含め見どころ満載のスポットでした。
逆に瀬戸芸の作品が力負けするくらい。
四国唯一にして日本最大の特別名勝・栗林公園に行ってきました。
栗林公園の起こりは、16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって、西南地区に築庭されたことに始まるといわれ、1625年頃に当時の讃岐国領主・生駒高俊公によって紫雲山を背景に南湖一帯が造園され、現在の原型が形づくられました。
その後、1642年に生駒氏に代わって高松に入封した初代藩主。松平頼重公の時に園内六十景命名をもって完成し、明治維新に至るまでの228年間、松平家11代の下屋敷として使用されてきました。
明治8年に県立公園として一般公開されるようになり、昭和28年には、文化財保護法による「特別名勝」に指定され、今日に至っています。
国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で、最大の広さ(約75ヘクタール)を持つ栗林公園は、緑深い紫雲山を背景に六つの池と十三の筑山をを巧みに配し、四百年近い歴史を誇る江戸初期の回遊式大名庭園として、すぐれた地割り、石組み有し、木石の雅趣に富んでいます。(パンフレットより)
芸術上または観賞上価値が高い土地について、
日本国および地方公共団体が指定したものを「名勝」と呼び、
さらにその中でもとくに重要なものとして指定されたものを「特別名勝」と呼ぶ。
日本には36の特別名勝がありますが、四国にはただ一つ、栗林公園のみ。
そしてこの公園は日本最大の特別名勝でもある。
瀬戸内国際芸術祭など高松に行く機会がよくあり、
この庭園の前も何度となく通っているのだけど、今回ようやく訪れることができました。
市街地のど真ん中にこんなに大きな自然庭園があるなんてびっくりです。
フランスの旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」において、
栗林公園は「わざわざ旅行する価値がある」として、三つ星施設に記載されているそうです。
また、明治時代の教科書には日本の三名園(兼六園、偕楽園、後楽園)よりも「木石の雅趣」が優れている、と記されているのだとか。
瀬戸内国際芸術祭2016秋会期・小豆島後編。
[前編はこちら]
三都半島の北部から醤の郷を周りました。
電動自転車で三都半島を往復縦断してふるさと村まで戻って自転車を返却、
ふるさと村で軽く昼食をとり、しばし休憩。
この時点で結構グロッキー状態だったのですが、
気力を振り絞ってバスで醤の郷エリアへ。
安田でバスを降りて醤の郷エリアを見て回り、
続いて坂手港エリア、映画村のある田浦半島も巡るつもりでいたのですが、
これが甘かった;;
瀬戸内国際芸術祭2016訪問3回目。
会期最終日前日と最終日かつ週末ということもあり、
かなり混雑するだろうと思い、できるだけメジャーどころを避けてマイナーどころを回ることに。
1日目は小豆島の三都(みと)半島エリアと醤(ひしお)の郷エリアを、
2日目は午前中は栗林公園、午後は粟島を周ることにしました。
本記事では三都半島の前半部(半島南部)をレポートします。
いつものごとく前日真夜中下道を運転して高松へ。
6:50高松発の池田港行きフェリーで小豆島へ。
7:50池田港着、電動自転車をレンタルすべく8:05のバスで小豆島ふるさと村まで移動、
8:14ふるさと村着、営業は8:30からなんだけど、少し早めに開けてくれて、
8:30ジャストに自転車での移動スタート。
電動自転車での移動ははじめてだったのですが、
三都半島はけっこうアップダウンがあって思ったほど楽じゃなかったなあ。
半島を一周して再びふるさと村に戻ってくる頃にはかなりグロッキーでした;;
展示開始の9:30まで時間をつぶすために、まずは最南端まで一気に移動し、
そこから北上する形で巡っていきました。
瀬戸内国際芸術祭2016秋会期その1。
一日目の豊島に続いて二日目は本島へ。
高松のホテルを朝6時にチェックアウト、本島への船が出る丸亀港へ移動。
四国から東の七島(直島・豊島・小豆島・男木島・女木島・犬島・大島)へは高松がベースになりますが、
西の五島(沙弥島・本島・粟島・高見島・伊吹島)はそれぞれの島によってベースの港が異なります。
本島へは丸亀港からのフェリーになります。
これまで東の島々しか行ったことがなかったので、高松港以外の港を利用するのはこれがはじめて。
出航のおよそ一時間前に丸亀港に到着、瀬戸芸用の無料駐車場に車を停めてフェリーを待つ。
到着直後の丸亀港の様子を見ていると、
高松がベースの東の島々に比べれば、西側はやはりちょっとマイナーなのかな、と思っていたのですが、
出航間際になってくるとあれよあれよと島へ向かう人で溢れてきて、
フェリーも豊島に向かう船と比べても大きくて立派なもの。
豊島は平日、本島は土曜日に訪れたという事実があるにしても、
東の島々と同じくらい訪問客で賑わっていました。
あなどれず、西の島々。
瀬戸内国際芸術祭2016の秋会期がはじまりました。
夏会期に続いて二度目の訪問。
1回目は小豆島と直島を訪れましたが、
今回は豊島と本島を訪れました。
まず1日目は豊島。
前回の芸術祭に続いて二度目の訪問です。
今回の目的は唐櫃浜や甲生など前回訪れることができなかったエリアと、
今回新たに加わった新作品の鑑賞です。
朝一番の舟で島に渡り丸一日かけて歩き回りました。
瀬戸内国際芸術祭2016直島編。
メインの二つの建築だけでなく、他にもいろいろ回りました。
前回(その1/その2)と被る部分もありますが、
比較して微妙な違いなどを楽しんでいただければ幸いです^^
直島へ行くには、だいたいまず宮浦港へ行きます。
本村港ヘ行く便もありますが、便数が少ない上に運賃も高いです。
島内は大きく宮浦エリア、本村エリア、美術館エリアの3つに分かれており、
各エリア間はバスで移動します。
運賃は100円均一なのでお手軽に利用できます。
(区間によっては無料なところもあります)
社内は結構混むのであらかじめ100円玉のご用意を。
瀬戸内国際芸術祭2016夏会期・2日目は直島。
といっても、今回の直島訪問は瀬戸芸メインではなく、
直島に新しくできた二つの建築作品(うち1つは瀬戸芸の作品でもありますが)。
一つは宮浦地区に新しく建て替えられた直島キリスト教会(以降「直島教会」と表記)。
タマビの教授と学生がチームとなって設計に参加したとか。
もう一つは本村地区の直島町役場の裏側にできた直島ホール。
設計者の三分一博志氏は正直初耳な建築だけれど、
特徴的な外観に惹かれてぜひとも訪れたいと思ってました。
まずは始発のフェリー(高松港8:12→宮浦港9:02)で直島へ。
フェリーターミナルから徒歩10分ほどで直島教会へ。
瀬戸内国際芸術祭2016、小豆島編。
去年は坂手地区しか行けなかったので、今回は島を一周したいな、と。
海側がメインだったので、今回はまずは山の中から行きたいな、と。
6:50高松発のフェリーで池田港に上陸、8:01のバスで土庄港へ。
ここで瀬戸内国際芸術祭線に乗り継いで9時前に肥土山地区の入口・常盤橋に到着。
まずはインフォメーションでチケットをパスポートに交換しているうちに
展示開始の9時に。
なかなか良いタイムスケジュールだ。
しかし炎天下でのウォーキングは大変だった〜!
雨に振られるよりは全然いいけど...
待ちに待った瀬戸内国際芸術祭に行ってきました。
チケットは春会期がはじまる前に購入していたのですが、
新しい仕事に就いたこともあり、残念ながら春会期には訪れることはできず、
夏会期になってようやく訪れることができました。
前回は秋会期に二度訪れたのですが、今回は夏会期に1回、秋会期に2回、
いずれも1泊2日の日程で行きたいと考えています。
前回の心残りはなんといっても小豆島。
坂手港エリアしか行けなかった上にあいにくの雨天。
というわけで、今回はまず1日目に小豆島、
2日目は直島に新しくできた二つの建築作品を中心に見て回りました。
それぞれの島の様子は別記事でご紹介するとして、
本記事では本旅の概要をまとめておきたいと思います。
愛媛県大洲市にある少彦名神社に行ってきました。
大洲市は生活圏内で、買い物によく行く町だったのですが、
この神社は市街中心部からやや離れたところにあり、なかなか訪れる機会がなく。
また現在は氏子を持たない神社らしく、20世紀末の頃には
第一の鳥居が伊予大洲駅の目の前にありながら、地元の人もほとんど訪れず荒れ放題だったとか。
2002年に地元有志が集まって「おすくな社中」を結成され、熱心な保存活動がはじまりました。
とくに山の斜面からせり出すように建てられた参籠殿は、
「伝統的な懸け造り(三方懸け)という技法で建てられた近代建築」という大変珍しいものであり、
2013年にはワールド・モニュメント財団(WMF)により「危機遺産」に認定され、
その翌年には修復のための助成金を得て修復工事が行われました。
自分が訪れた時はこの工事期間中のことでしたが、終盤ということもあって、
ほぼその全容を目にすることができました。
工事は途中現場の棟梁が不慮の事故で命を落とすという、不幸があったものの、
2015年3月に無事終了し、竣工式が行われました。
2016年にはこの参籠殿の保存活動がユネスコアジア太平洋文化遺産保全賞の2016年最優秀賞を受賞。
いやー、地元にこんなすごい建物があったなんて。
灯台下暗し。
松山ひめぎんホールでの木工教室を終えた晩、
萬翠荘で開催されたイベントを見に行ってきました。
簡単にいえば、萬翠荘を巨大なスクリーンに見立てたプロジェクションマッピング。
あらかじめ県内いくつかの小学校でこどもたちに「萬翠荘ぬりえ」を描いてもらい、
それを投影します。
主催/いよこころざし大学・愛媛県、共催/萬翠荘、協力/エプソン。
今年度より遊子川地区では県の紹介を経て地域づくり活動に
プリンタメーカーのエプソンさんの協力を得ています。
今年の盆踊り大会では、学校の校舎に大きなスクリーンを設置して
遊子川の今と昔の写真の投影を行ったり、
盆踊りの参加者が自分の携帯カメラで撮影した写真を会場で印刷してプレゼントする
企画を実施しました。
また、遊子川の名景を大判印刷した写真展を開催したりもしています。
遊子川に良く来ていただくエプソンの担当者の方から今回のイベントを教えていただきました。
女木島・男木島巡りの翌日。
最初は豊島か小豆島に行くつもりだったけど、
あまりに疲れすぎて、急遽直島の大竹伸朗の直島銭湯「I♥湯」へ。
前回行きそびれたし。
世界広しといえど、裸で鑑賞する芸術はここだけだよね。
瀬戸芸の中でも一番メジャーな島、直島。
来島する人も一番多いけれど、
さすがに朝から銭湯に入る人はなく、ほぼ貸切状態。
500円でできる贅沢。
贅沢ってかけた金額じゃあないんだよね。