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広島滞在最終日。
最後はやっぱり平和記念公園。

前回訪れたのは2011年3月
実に7年ぶりの訪問です。


「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです。
 過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです。
 ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否することです。
 ヒロシマを考えることは、平和に対しての責任を取ることです。」


広島出身であることを心から誇りに思います。


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若人よ 不純の劫火を消せ

若人よ 不屈の理念を燃やせ


淡路島は南あわじ市の若人の広場公園に行ってきました。
鳴門から大鳴門橋を渡ってすぐのインターチェンジを降りて30分ほどで到着。


以下Wikipediaや南あわじ市ホームページからの情報。

若人の広場公園は戦争の犠牲となった20万人もの学徒を弔い、恒久平和を願う施設として、
丹下健三の設計により1967年に建設されました。
その後30年と経たない1994年に観客数激減のため閉鎖、
さらにその翌年の阪神淡路大震災により被害を受け、10年もの間放置されたため施設は荒れ果てました。
2005年以降、一部修復の動きがあったものの、施設内へは立入禁止のまま。
その後南あわじ市が土地を購入し、当時の様子を極力再現する再整備事業が発足、
2013年に着工し、戦後70年となる2015年に完成、再びの開園となりました。


1967年、竣工式に眼下の海に海上自衛隊の艦船が並ぶことに反発した丹下さんは、
この建築を自身の作品としての発表を行わなかったことから、
永らく世に知られることなく、丹下さんの「幻の傑作」と言われています。

自分がこの公園の存在を知ったのは2013年の瀬戸内国際芸術祭でのイベントで開催された、
香川県立ミュージアムでの展示でした。
さっそく見に行きたいと思ったものの、すでに工事に入っており、
訪問が実現するのに実に3年もの月日を要しました。


優れた建築は設計者がいなくなった後も残り続ける。
そこは3年待つに値した素晴らしい空間でした。


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JDNの読者プレゼントに当選し、
香川県立ミュージアムで開催されていた丹下健三展に行ってきました。
2013年の瀬戸内国際芸術祭のイベントの一環として、
世界的建築家としての礎を育んだ瀬戸内での作品を中心に展示。


14年間勤めた会社を辞めて、己が求める道を探して入った美大で、
デザインに出会い、建築に出会いました。
結局いまだに建築の道を進むことはできていませんが、
自分は最終的には建築をやりたい、という気持ちはいまだ変わっていません。

といっても、建築を職業として数多くの建物を設計したいわけではなく、
「モノづくり」から「空間づくり」という長いプロセスを経て、
ただ一つ、たった一つ、自分が心から作りたいと思うモノを、理想の環境に建てたい。
そして後世の社会に何かしら影響力を与えるようなモノを作りたい。
それが自分の夢。

そのために気の遠くなるような長い道を亀のごとく遅い歩みで、
ゆっくり進んでいます。
建築とは早急になされるものでも評価されるべきものでもないんじゃないかな。


丹下健三という建築家はその長い行程の中で、
間違いなく無視することのできない天才。


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丹下健三設計の香川県庁舎の内観編。
(外観編はこちら

最初に訪れた時は閉庁日で中に入れませんでした。
二度目の来庁は、香川県立ミュージアムで開催されている、
丹下健三展のチケットを入手したことがきっかけでした。
丹下さんの生誕百年ということで、いろいろイベントも開催されており、
普段は入れない県庁舎内を巡るツアーガイドに参加しました。


前日21:30に西予市明浜町を出発。
R56→R11を経由してひたすら下道で高松へと向かいます。

深夜1時半頃、四国中央市の24時間スーパーの駐車場にて仮眠、
2時間ほど寝てたら警備員に起こされて移動、近くの道の駅でさらに1時間仮眠を取り、
朝8時頃には高松に到着。
1時間ほどサンポート高松をぶらぶらした後、香川県庁へ。
10時からツアーガイドスタート。


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香川県庁舎に行ってきました。
まずは外観をレポート(内観編はこちら)。


香川県立体育館と同じく丹下健三設計。
香川県立体育館がモダニズムの巨匠にしては異色の有機性の強いものであるのに対し、
こちらはまさに正統派モダニズムの作品。
近代建築の巨匠ル・コルビジェの「近代建築の五原則」を忠実に踏襲したものとなっています。

かつて官公庁という場所は威厳を重視するがゆえに、
いかつくて重厚な面構えで近寄りがたい雰囲気のものでした。
ときの香川県知事・金子正則は「民主主義時代に相応しい庁舎を」と、
香川県丸亀市出身の洋画家・猪熊弦一郎を介して知り合った丹下氏に設計を依頼します。

1958年に東館(旧本館)と議事堂が建てられますが、
それは日本の伝統的な「梁」を表現した外観とする一方で、
センターコア方式を採用し、1階の天井を高くして四周をガラスで張り巡らし、
壁に猪熊弦一郎氏の壁画を置きました。
その空間はとても明るく、重厚な外観でありながら市民に開かれたものになっています。

2000年に新本館が建てられます。
丹下さんの新旧時代の作品を一度に見ることのできる貴重なケースと言えます。
新本館は旧本館の倍以上の高さでありながら、今風の「軽さ」を備えたものであり、
旧本館の圧倒的な存在感は今も色褪せません。
この新旧二つの建物を見比べてみると、同じ設計者でもこうも作風が違ってくるのか、
と興味深いものがあります。

時代背景、社会情勢、経済状況などの変化もあるでしょうが、
そこには設計者の思考の変化も少なからず影響しているのではないでしょうか。
2000年完成の新本館はもはやかつてのモダニズムではない。
旧本館よりも高層でありながら、そこには重厚感はなく、むしろ軽さを感じさせる。
モダニズムが終焉し、ポストモダンすらも霧散してしまい、
様式という様式が存在しない時代。

それは丹下健三という世界的建築家をもってしても個性が際立たなくなる時代なのだろうか。
個性的な建築、というものが許されない時代なのだろうか。

そうだとすれば、なんとつまらない世界か。


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香川県立体育館に行ってきました。

世界的建築家・丹下健三。
彼の数々の名建築の中でも自分が一番好きなのは、1964年に建てられた3つの建物。
彼の名を一躍世界に知らしめた国立代々木競技場東京カテドラル
そして今回レポートする香川県立体育館。

この3つの建築が好きな理由は、その有機性。
建築がただ箱を作るだけのものではないことを教えてくれる。
大海原に漕ぎ出す舟のような外観のその建物は、
空間効率はけっして良いとは言えないけれどここにいるだけでワクワクさせてくれる。

幸福とはただやみくもに効率化して便利さを追求することだけで
得られるものではないんだよね、きっと。


1/3にこんぴらさん参り瀬戸大橋記念公園に続いて高松入りして立ち寄りました。
この日はまだ正月休みで体育館の中に入れず、やむなく外観だけ撮影しました。
結局高松に一泊して翌4日から開館となったことで、中に入ることができました。
残念なことに耐震的に問題あるとかで、現在は3階のアリーナは使用できなくなっており、
一階のトレーニングルームやスタジオのみ利用されているようです。

坂倉準三設計の西条市体育館のように取り壊すことにならなきゃいいのですが。


※現在体育館は老朽化により閉鎖されており、中に入ることはできません。


広島平和記念公園【丹下健三|広島県広島市】

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平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。
平和は自然からも神からも与えられるものではなく、
人々が実践的に創り出してゆくものである。
この広島の平和を記念するための施設も与えられた平和を
観念的に記念するためのものではなく平和を創り出すという
建設的な意味をもつものでなければならない。
わたくし達はこれについて、先ずはじめに、いま、建設しようとする施設は、
平和を創り出すための工場でありたいと考えた。
その「実践的な機能」を持った工場が、
原爆の地と結びつくことによって、
平和を記念する「精神的な象徴」の意味を
帯びてくることは極く自然のことであろう。
この二つの調和が計画にあたっての目標であった。

丹下健三「広島市平和記念公園及び記念館競技設計等選図案1等
ー広島市平和記念都市に関連してー」『建築雑誌』1949年11月号


広島は世界ではじめて核兵器で爆撃された街である。

広島は戦争の悲惨さを知り、平和の尊さを知る街である。
広島を故郷とする人間はそのことを誇りに思っている。

自分もそんな広島県人の一人である。


広島には世界平和を願うための施設が二つある。

村野藤吾が設計した世界平和記念聖堂ともう一つが今回紹介する平和記念公園。
日本が世界に誇る建築家、丹下健三氏がマスタープランを担当し、1954年完成。
負の世界遺産、原爆ドームを筆頭に、
平和記念資料館、原爆慰霊碑など、平和を祈る数々の施設を有し、
広島のみならず、日本が世界に誇る「平和を祈る場」である。


幼い頃からこの公園は身近な場所だった。
遠足で何度も訪れたし、フラワーフェスティバルではメイン会場になる。
しかし、当時はこの施設の存在意義を本気で考えたことはほとんどなかった。

故郷を永く離れ、建築に興味を持つようになった今、
ようやく僕はこの公園に正面から向き合うことができる。


故郷の大切さを知るために人は旅に出る。


横浜美術館【丹下健三|横浜市西区】

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[サルバドール・ダリ「バラの頭の女性」]

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ドガ展を見に久々に横浜美術館へ行ってきました。

丹下健三設計により1988年竣工、翌1989年開館。


僕の中のイメージでは建築家には2つのタイプがあって、
デビューから早い時期に花開く天才肌タイプと、
晩年に花開く大器晩成型。

丹下さんは前者で、1955年の実質的なデビュー作となった広島平和記念公園から、
1964年の東京カテドラル代々木競技場香川県立体育館を頂点に、
以後はあまりぱっとしない印象がある。
...あくまで僕の中での印象なのだけど。


横浜美術館もぱっと見はモダニズムの重厚さは薄れ、
どちらかといえばポストモダンの軽さが見える。
モダニズム好きにはちょっとがっかりなのだけど、そこは巨匠、
内部空間はやはり素晴らしい。


国立代々木競技場【丹下健三|東京都渋谷区】

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セシル・バルモンド展からハローワーク渋谷への道すがら、
「世界の丹下」の最高傑作、国立代々木競技場を散策。

イベントでもないかぎり、中へは入れないけど、
外は昼間であればかなり近くまで寄れることに、いまさらながら気づく。


NHK側からぐるりと一周。

バルモンドの構造デザインも素晴らしかったけど、
こちらもなかなか。
今見てもなお、古さを感じさせないデザイン。
とても半世紀前のものとは思えない。

構造設計を担当した坪井善勝ってどんな人だったんだろ。


村野藤吾と丹下健三

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murano1.jpgmurano2.jpgmurano3.jpg [村野藤吾作品集]


個人美術館の課題で前人の偉大な建築群をリサーチしているわけですが。

あらためて村野藤吾氏と丹下健三氏の建築美を再認識。

両氏とも新建築社から分厚い作品集が出ています。
とてもイイです。
手元にそろえたい一冊ですが、値段がね...

...いつか必ず。


まず村野藤吾。
年代別に1928-1963、1964-1974、1975-1988の三巻構成。
上野毛の図書館には晩年の1975-1988しか置いてなく。
八王子には全巻あるみたいなので今度取り寄せよう。

ネットで検索したところ、装丁が縦縞と横縞の二種類あるんだけど何が違うんだろ?

murano1y.jpgmurano2y.jpgmurano3y.jpg [横縞バージョン]


新しいものは新しいものから生まれるのではなく、
故きを温めて新しきを知る。
建築の正しい評価は時間をかけて行われる。

だから僕はまずはクラシックを学ぶ。


建築と都市―デザインおぼえがき【丹下健三】

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夏休みも終わりぎりぎり。

丹下氏の「建築と都市」をやっと読み終えました。


人間と建築」と対になる本で、
「人間と建築」がヒューマン・スケールで建築を語るものだとすれば、
「建築と都市」はスーパー・ヒューマン・スケール、もしくは
マス・ヒューマン・スケールで建築を語るもの。

原初の頃においては歩幅が行動範囲の規範となっていたものが、
電気エネルギーをコントロールする術を覚えたことで
人間は数関数的にその行動限界を拡大した。

遠くへ移動する術は覚えたけれど、
原初以来の生活感覚はなかなかすぐには対応できない。
スーパー・ヒューマン・スケールでの適正な感覚の欠如が
現在の都市の問題となっている...


拙い読解力で分析すると、
丹下氏が指摘する都市問題の原因とはこのようなものではないかと。


そして「東京1960」からおよそ50年。

増える一方の凶悪犯罪、心を病む人たち、失われる自然。


...都市ってたいして進化していない気がするのは僕だけだろうか。


人間と建築―デザインおぼえがき【丹下健三】

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この本は丹下氏が1950年代から60年代にかけてメディアに発表してきた内容を
整理し直してまとめたものです。

整理し直したとはいえ、バラバラに散らばっている言葉を集めて本にした、
という形式上全体としてはやはりまとまりがなく、散文的になっています。

さらに288ページにわたる本文中にほとんど図解はなく、
巻末に白黒写真が14枚掲載されているのみ。

そして「建築家が書く文章は難解である」という傾向に従って
けして優しくはない文章。


読むのはやっぱり大変だったけど、
それでもなお文中の所々、断片的に本質が潜んでいる。

初版1970年。
本書執筆の時点ではまだ代々木体育館や東京カテドラルのような
有機的な建築は紹介されておらず、
まだ氏の建築の最終段階には到っていないようです。

しかし40年の月日が流れてなお、
色褪せることがない建築の本質には到達していた。
そしてその後形として結実した。


本質は時間を超えて存在し続ける。
言葉だけでなく、形でもそういう本質を自分も残していきたいと切に願う。


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※外観編


東京カテドラル聖マリア大聖堂へ行ってきました。


自由学園明日館と同じくちょうど1年前に訪れているのですが、
素晴らしく感動したのでもう一度行きたい、という想いと
せっかく撮った写真をPCの故障で失ったのでもう一度撮りたい、という想いと
「勉強のため」という理由であれば内部を撮影できる、と友達から聞いて、
ぜひとも中を撮影したい、ということで行ってきました。

1年前と同じく快晴。
桜はまだ満開とまではいかなかったけど。


外観を一通り撮り終えた後、いよいよ中へ。
受付でおそるおそる撮影の許可を求めたところ、あっさりOKしてくれました。


[注意]

東京カテドラル内部は原則撮影禁止です。
特別に(...といっても受付で一言ことわっただけですが)許可を得て撮影してます。
画像の公開については悩みましたが、「学術利用であればOK」という許可の範囲内
...と自主判断して公開してます。

関係者の方々で問題があると思われる場合は
コメントなり問い合わせフォームなりで連絡していただけますでしょうか。

本ブログに掲載の写真は原則転用禁止(理由はこちら)なのですが、
本記事に掲載の写真の一切の転用をことさら"厳格"に禁じます。

とくに深い宗教心があるわけではないですが、
宗教の持つ荘厳さと礼節には敬意を持っているつもりです。


人間にとって一番の武器は「信じる」ことである。

...紆余曲折の人生を経て今、心からそう感じます。


HP面とEP面

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【HP面(Hyperbolic Paraboloid: 双曲放物線面)】

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【EP面(Elliptic Paraboloid: 楕円放物線面)】


モノの形をデザインしていく過程において、
伝統工芸などをのぞけばその多くは「量産性」を前提に考えねばならない。

直線はもちろん、曲線も幾何学的に計算で求められるものがのぞましい。
計算で求められるものは複製や改良が容易となるからです。
アートでは自由曲線ですむものが、
デザインでは曲線は幾何学的要素が求められる。
そこがデザインにおける造形の難しさであり、面白さでもある。
...と思うのです。

今回、課題に取り組むにあたり造形を参考書で検討していて、
自分が惹かれる造形要素にふと目が止まりました。


それがHP面とEP面。


僕の好きな10の教会


年末年始にかけて「美の巨人」でフランスの礼拝堂が特集されてました。
レオナール・フジタ(藤田嗣治)の礼拝堂、マティスのロザリオ教会、
そしてコルビジェのロンシャンの礼拝堂。


教会が好きだ。
とくに熱心なキリスト教信者ではないけれど。

キリスト教に限らず、
日本の神社や仏閣、中国やインドの仏教寺院、イスラムのモスクなど、
宗教建築はいずれも美しい。


どうして宗教建築はかくも美しいのだろうか。
それは人々の「信じる心」を具現化したものだからだろうか。


...信じる心は美しく、疑う心は醜い。


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文京区にある東京カテドラル聖マリア大聖堂。

Wikipediaによれば、
1899年に木造でゴシック様式のものが建てられましたが
1945年の東京大空襲により焼失、
1964年に丹下健三設計で現在の姿の大聖堂が建てられました。

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[焼失前の旧大聖堂](出典不詳)

地理的には池袋駅東側の目白通り沿いにあります。


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区の図書館で見つけました。
自分が最初に知った建築家は、安藤忠雄さんでした。
その当時からすでに安藤さんは有名になっており、
その出会いは至極当然のものでした。

丹下さんは時代的には安藤さんよりもさらに前の人ですが、
スケール的には安藤さんよりもさらにスゴイ人のようです。

まさに「世界の丹下」なのです。
(いまや安藤さんも「世界の安藤」ですが...)

ただ「丹下」と聞くと、
『あしたのジョー』の「丹下段平」を思い起こしてしまうのは自分だけではないはず...