若人よ 不純の劫火を消せ
若人よ 不屈の理念を燃やせ
淡路島は南あわじ市の若人の広場公園に行ってきました。
鳴門から大鳴門橋を渡ってすぐのインターチェンジを降りて30分ほどで到着。
以下Wikipediaや南あわじ市ホームページからの情報。
若人の広場公園は戦争の犠牲となった20万人もの学徒を弔い、恒久平和を願う施設として、
丹下健三の設計により1967年に建設されました。
その後30年と経たない1994年に観客数激減のため閉鎖、
さらにその翌年の阪神淡路大震災により被害を受け、10年もの間放置されたため施設は荒れ果てました。
2005年以降、一部修復の動きがあったものの、施設内へは立入禁止のまま。
その後南あわじ市が土地を購入し、当時の様子を極力再現する再整備事業が発足、
2013年に着工し、戦後70年となる2015年に完成、再びの開園となりました。
1967年、竣工式に眼下の海に海上自衛隊の艦船が並ぶことに反発した丹下さんは、
この建築を自身の作品としての発表を行わなかったことから、
永らく世に知られることなく、丹下さんの「幻の傑作」と言われています。
自分がこの公園の存在を知ったのは2013年の瀬戸内国際芸術祭でのイベントで開催された、
香川県立ミュージアムでの展示でした。
さっそく見に行きたいと思ったものの、すでに工事に入っており、
訪問が実現するのに実に3年もの月日を要しました。
優れた建築は設計者がいなくなった後も残り続ける。
そこは3年待つに値した素晴らしい空間でした。
この公園が最初に建設された1967年。
その3年前の1964年には代々木競技場、東京カテドラル、香川県立体育館という
(自分的には)三大傑作を実現した直後で丹下さんがもっとも脂が乗っていた時期ではないだろうか。
広島平和記念公園、愛媛県民館、香川県庁舎、今治市庁舎・公会堂など、
瀬戸内での数々の経験を経て代々木競技場で大きく羽ばたき、
再び瀬戸内での取り組みとなった若人の広場は、これまでの経験をすべてつぎ込むことができた。
自分は再整備前の状態を知らないので、その前後の比較はできないけれど、
新しくよみがえったこの公園を見ていると、そう信じざるを得ない。
駐車場から全体像を眺む。
建物は地下に埋没されてるわけではないですが、木々に囲まれ、全体像がつかみにくくなってます。
隈研吾氏の亀老山展望台や安藤忠雄氏の地中美術館などに共通する、
「建築は大地から切り離すべきなのか?」という建築の至上命題がここにある気がします。
この公園は、大きく記念塔、管理棟、イベントスペースの3つのエリアで構成されます。
入口から入って最初に見えてくるのが管理棟。
窓のない、石造りの巨大な箱が強烈な印象を与える。
屋上は展望台になってます。
周囲は四方に見事な風景が広がる。
山を見てよし、
海を見てよし、
大鳴門橋も見えます。
展望台から下を眺む。
一段下がったところにイベントエリアが広がります。
管理塔に戻って玄関付近。
屋根と柱の間をピン接合とし、重厚なコンクリートながら浮遊感を演出。
屋上展望台から記念塔に向けての眺望。
通路を渡ると...
圧倒的な存在感の記念塔にたどり着きます!
直線的な三角塔ではなく、円錐状に湾曲させたHPシェルとすることでよりダイナミックな造形に。
塔の麓の「永遠の灯火」。
阪神淡路大震災により一度は途絶えた灯火も復活。
記念塔からの眺望もなかなか。
管理塔の中は資料館となってます。
天井をアーチ状とすることで粗めのコンクリートながら柔らかな雰囲気となっています。
案内には朝9時からの開場、とありましたが8時半にはすでに開いてました。
朝一、ということもあると思いますが土曜日だというのに来場者は自分以外には
カップル一組だけでした。
ゆっくり鑑賞するぶんにはまあ嬉しい限りなのですが、
あまりに来場者が少なければまた閉鎖の憂き目に合う危険性もなきにしもあらず。
これだけの施設を無料で鑑賞できるのだから。
戦争の悲惨さを伝える貴重な場所、という意味ではできるだけ多くの人に訪れてほしい。
多くの人が訪れればまめに維持活動が行われ、それだけ良い状態を永く保つことができると思うのです。
本公園が復活し、代々木競技場も日本の著名な建築家らにより世界遺産登録への運動もはじまった。
今は閉鎖されている香川県立体育館もなんとか復活してもらいたい。
【information】オフィシャルサイト(南あわじ市)
アクセス:神戸淡路鳴門自動車道淡路島南ICより車で20分、西淡三原ICより車で25分
開園時間:9:00〜17:00(季節により変動あり)
入場料無料、駐車場27台(身障者用2台)