この本は丹下氏が1950年代から60年代にかけてメディアに発表してきた内容を
整理し直してまとめたものです。
整理し直したとはいえ、バラバラに散らばっている言葉を集めて本にした、
という形式上全体としてはやはりまとまりがなく、散文的になっています。
さらに288ページにわたる本文中にほとんど図解はなく、
巻末に白黒写真が14枚掲載されているのみ。
そして「建築家が書く文章は難解である」という傾向に従って
けして優しくはない文章。
読むのはやっぱり大変だったけど、
それでもなお文中の所々、断片的に本質が潜んでいる。
初版1970年。
本書執筆の時点ではまだ代々木体育館や東京カテドラルのような
有機的な建築は紹介されておらず、
まだ氏の建築の最終段階には到っていないようです。
しかし40年の月日が流れてなお、
色褪せることがない建築の本質には到達していた。
そしてその後形として結実した。
本質は時間を超えて存在し続ける。
言葉だけでなく、形でもそういう本質を自分も残していきたいと切に願う。
丹下氏の建築はこれまでに何度となく見てきたけど、
氏の言葉に触れるのはほぼはじめて。
ここまで考えるのか、というくらい思慮深く、
ここまで広いのか、というくらい視野が広い。
知識は過去の伝統の積み重ね。
それをまとうことはとても重要なことだけどそれだけでは新しい創造は生まれない。
...私はくりかえしていうが、創るということと衛るということとは、全く無縁なことである。創造とは大なり小なり模倣と切りはなしては考えられない。文字通り無からの創造などということは、ありえない。模倣は、あるときは外界や自然の、あるときは社会的事象のまた伝統に対する模倣である。それらは何か形式的なもの、規範的なものとして芸術創造を規制する働きをもっている。しかし、この模倣といっても、それを衛るということでは決してない。...(中略)...本質的な意味で創造には、否定と破壊の内部エネルギーが含まれているのである。形式的なもの、規範的なものとしてはたらく過去にたいして、それを否定し、破壊しようとする内的エネルギー、生成的なものが、それにぶつかることによって、その矛盾にみちたものの燃焼のなかに創造があるのである。(「Ⅱ現代建築と芸術 - 4 芸術性の創造について」より)
「創る」ということと、「衛る」ということははたして全く無縁なのだろうか。
その他の文章を眺めていると、丹下氏自身、こう言いながら
その実心の中では迷っているような気もする。
2つは1つの波の中にあり、1つは波頭、1つは波底にある。
両者は一見相容れないようでありながら、切っても切れない関係にある。
だから創造的であるにはまず過去を学ばなければならない。
日本の創造の過程はどんなものだったか。
西欧と比べてどのような差異、特色があったのか。
この現実から、抽象的に自己のなかに設定した宇宙に逃げ込み、ただ外界や自然を自己の主情や感性の反映として見るのである。このような認識あるいは創造の姿勢を「もののあわれ」と呼ぶことができる。源氏物語における、この「もののあわれ」の世界は、その芸術性の高さにもかかわらず、このような限界をもつものであることを自覚しなければならない。日本建築と対置される自然とは、このような自然、このような箱庭に向かっての開放性であって、自然そのものに向かった開放でもない。それを私的な開放性と呼んでいいとすれば、それはヨーロッパにおけるアゴラやピアッツァがもった社会的開放性と対照をなすであろう。私は建築と庭とが一つに融け合うことの意義を否定しているのでは決してない。しかし日本建築が獲得した開放性には、このような限界があるということを、ここで強く自覚しない限り、この開放性は私たちの伝統として発展的に継承されることはできないのである。(「Ⅲ現実と創造 - 2 日本の伝統における創造の姿勢-弥生的なものと縄文的なもの」より)
自然はただそのままの姿を受け入れるには大きすぎた。
だから日本人は自分のスケールにあった自然-箱庭を創った。
あるがままの自然を受け入れようとしながら、
結局は自分の都合のよいスケールに操作している。
そこに発展的な未来はあるのだろうか。
このようなアニミズムから「もののあわれ」の道をたどってきた創造の姿勢とその表現は、さらに中世に入って「すき」-「さび」への道を歩んでいくのである。...(中略)...この現実は、彼らが獲得しつつある現実ではなく、自己の外に無常に流れゆくものとして認識されるのである。現実からの抽象的な超越がはじまる。たよるものは自己の内部にしかないのである。僧侶たちは僧界から、武士たちはその貴族化した世界から、自己の内部に超越してゆくのである。そうしてその内部にあるものは、主情であり、直接感情なのであって、そのような感性的小世界が「すき」の世界であった。それは王朝的な「みやび」の展開であり、「もののあわれ」的姿勢の展開でもあるのであるが、しかし、ここでは王朝的なおおらかさ、豊富さを失って、方丈の栄華、貧しさの直接的肯定が現れてくる。外延的なひろがりを失って、自己への内向性が圧縮されて現れてくる。外形的には、動より静、完全なものより不完全なもの、繁よりは簡という象徴的形象化が現れてくる。このような象徴的傾向が、さらに凝縮しつつ鈍化してゆくとき、そこに型が完成される。むしろ、その型に従うことによって自己を生かす-それは自己の個性を殺し、自己を無にして型に従うことであり、その型に従うことによって自己を発見してゆくという、無の姿勢における創造なのである。世阿弥における能、利休における茶にも、このような無の姿勢があるのである。このような創造の姿勢と表現を、私たちは「さび」と呼んでいる。(「Ⅲ現実と創造 - 2 日本の伝統における創造の姿勢-弥生的なものと縄文的なもの」より)
「数寄」や「寂び」こそは日本の誇るべき精神だと思っていた。
しかし言われてみれば、自己の内部に閉じこもる行為が
発展を目指す社会にとって真に有効なのだろうか、という気持ちもなくはない。
しかしそれでももっと内へ向かおうとするものが自分の中にある。
桂の書院には、寝殿造りにいたる上層系譜の伝統である弥生的性格-静的な平面性、平板な空間性、そうしたエスセティックな形態均衡-をその基本的性格としてもっている。しかしその形式化を阻止し、そこに、躍動する空間性や、自由な諧調を与えているものは、他のものである。私はそれを下層系譜の伝統、縄文的とよんでよいところのヴァイタルなエネルギーであると考えている。また庭のそこかしこの石組、また庭に点在する茶亭は、農民層住居にみられるような縄文的性格を秘めている。しかし、その生成的なエネルギー、奔放な流動性、未形成な形態感、均衡を失った破調といった縄文的性格に抑制を与え、秩序と形式を付与しているのは、また他の一面である。私はそれを王朝的、弥生的伝統から来る諧律であると考えている。この二つの系譜の伝統は、日本歴史上はじめて、この時期にこの桂でぶつかりあうのである。この上層文化の系譜と下層のエネルギー、弥生的な文化形成の伝統と縄文的な文化生成のエネルギーとが、ここで伝統とその破壊として、ディアリケティクに燃焼しあうことによって、この桂の創造はなしとげられたとみてよいだろう。ここには伝統と創造の論理が貫徹されている。伝統は、そのものとして、文化創造のエネルギーとなることはできない。伝統は常に形式化への危うい傾斜を内に秘めている。伝統を創造に導くためには、伝統を否定しその形式化を阻止する新しいエネルギーがそこに加わらねばならない。伝統の破壊がなければならない。しかしまた、伝統の破壊だけが文化形成をなしとげるものではない。その破壊のエネルギーを制御し、規制する形式的な何かが必要である。伝統と破壊のディアリケティクな統一が創造の構造である。(「Ⅲ現実と創造 - 2 日本の伝統における創造の姿勢-弥生的なものと縄文的なもの」より)
縄文的文化と弥生的文化については去年の日本美術史Ⅱで学習した。
「すき」や「さび」は一見弥生文化からくる護りの精神のように思える。
しかし自己の内部への探索の果てには外部への発展的な前進の鍵がある気もする。
その境地においてはもはや弥生的な護りの姿勢はなく、
より始源的な縄文的エネルギーがあふれている。
僕は合気道をしていますが、
合気道も一見すれば護りの武道のように見える。
しかし守ることで攻めている。
いわゆる「先の先」。
そこに「すき」「わび」「もののあわれ」の真の効果がある気がする。
矛盾こそ創造を生みだすバイタリティであります。このバイタリティは大衆のなかにもひそんでいます。それを視覚化し物体化する創造こそ、建築家・都市計画家の役割だと考えます。私はこのような立場を生命的 the vitalと呼びたいのです。おそらくそこで創造されるものは、秩序と自由、安定と流動をともに含んだ有機的生命のようなものとなるでしょう。(「Ⅲ現実と創造 - 5 美的なものと生命的なもの」より)
本質は矛盾をはらんでいる。
だから本質を直接見ることはできない。
見えない本質を感じるために人は対極を用意して断片的に形にしていく。
建築もその1つなのだ。
日本は昔から、古代ギリシアのギリシア人がアゴラをもたない野蛮人だと軽蔑したいわれている東洋の一つの国です。昔から、市民の広場というものがありませんでした。都市は、王様の宮殿か城か、そういうものを中心に建設されてきました。そういうところから、日本の伝統的な文化のなかに、あるいは都市の形成のされ方のなかに、非公共性のようなもの、反社会性のようなものが濃厚にあります。逆にいいますと、私性が露骨に出てきているのです。(「Ⅲ現実と創造 - 6 現代都市と日本の伝統-伝統の克服」より)
言われてみれば日本にはアゴラが少ない。
中途半端な自己内部への逃避はただの身勝手だ。
その中途半端さが現在の東京をはじめとした渾沌とした都市形態を醸し出している。
私性が露骨に現れる傾向は21世紀を迎えた今も今なお色濃く残っている。
建築の設計はフィクションをリアリティにもたらす過程であるといえるだろう。私たちは設計のあいだ、つねにフィクションとリアリティの間を彷徨しているのである。いくすじかの道をたどってフィクションをリアリティに高めたか思うと、やはりそれもまたフィクションにすぎなく思われだして、とめどもなくさまようのである。いつの場合にもフィクションをリアリティにみちびく道-方法-は用意されてはいない。そのつど、自分たちで創ってゆかねばならない。...(中略)...私たちが、設計の過程でリアリティを感じるのは、個々の要素が全体のなかに溶けこんで、一つの生きた統一体として機能しはじめたように思われるときである。そのうようなときには、どの一本の線も、それなくしては全体がなりたちえないほどの意味をもったものとして感じられてくるのである。偶然のたまものであるようなフィクションもそれは必然的なものに思われてくるのである。何か不安なもの、もろいもの、この世のなかに存在しえないように思えていたものが、確固としてこの世のなかに深く根をおろしたもののように思われてくるのである。冒険が普通の日常のことに思われてくるのである。私たちは設計のあいだつねに、もろい、あぶなげなフィクションの感じと、確固としてこわれないリアリティの感じとの間をさまよいながら、しだいに協同の作業によってリアルなものに近づいてゆくのである。このころになると、チームのメンバーは、めいめいその発想や作業の分担の枠を越えて、この協同作業の進展が、自身の心のなかの展開のように思われてくるのである。このような協同作業の方法は、個性を殺しあうものではないかといわれるかもしれない。あるいは、新しいメンバーのなかには、何か重圧を感じ、自分の個性がすくすくと成長しえないと感じる人がいるかもしれない。しかし私たちはこのように考えているのである。そういう個性は、もって生まれた悪い癖であるかもしれない。たとえ圧迫され、つみ取られても、その奥底から芽ばえてくるものがあれば、それが個性と呼ぶに値するものなのだと考えたいのである。建築における個性はリアルなもののなかでのみ成長しうるものである。自由においしげった雑草が個性であるとは思われない。むしろふみかためられた大地のなかからも、ふき出ないではやまないようなもの-すぐれて必然的なもの-にささえられて、建築における個性は成長してゆくものだ、と考えたいのである。私たちの作るものは、いつもこのような協同のものなのである。ただ一人の名をつけることができない。それだけに、個性らしいものは、まだもってはいない。むしろ、私たちは、このような協同の作業を通じて、お互いに切断する場所をつくりたいとつねに念願しているのである。(「Ⅳ技術と人間 - 3 フィクションとリアリティ」より)
デジタル技術は本来より高品質なリアリティを目指して出現した。
しかし高機能であるがゆえにデジタルは本来の目的を忘れ、
フィクションの世界に留まり、その世界の幅を広げ続けている。
制約のないフィクションの世界では
リアルな世界では考えられない程のスピードでその世界を広げてゆく。
しかしどんなに世界が広がってもそこは触れることのできない世界。
触れる喜びは感じることのできない世界。
あらゆる制約を受けてなお成長しようとする個性。
そんなリアリティのなかに真の価値はある。
廃墟ほど美しいものはないと人はいう。重力に抗して立ちあがったポテンシャルが、零に帰ってゆく姿、自然と闘う人間の営みが自然の力に打ちひしがれて再び自然に帰ってゆく姿、そこには無常の美しさがあるだろう。しかし私は、打ちひしがれても、打ちのめされても、立ち上がろうとする人間の自然にたいする闘いの姿に、より生命的な美しさを感じている。私は立ち上がり、ささえ、張る力に感動する。コンクリート-正確には鉄筋コンクリート-は、私たちに、立ち上がり、ささえ、張る力とエネルギーとを無限に与えてくれる。私はコンクリートのその力を愛している。このような無限の力に、重力の場で秩序を与えてゆく、コンクリートが内包している渾沌としたエネルギーから、力の秩序を創造する。現代の建築家だけがこの喜びと感動を知っている。建築の歴史は、いかに重力に抗し、耐え、さらにそれを克服して、生活の営みの空間を獲得するかということであったといえよう。この自然の重力に対決するだけの力が、建築家たち、技術家たちによって創られてきたのである。この力は、またいくつかの秩序の体系を生みだした。それはいろいろな建築の形式-ギリシアやゴシックなどの-となって歴史に現れている。人は建築がつくり出したその空間のなかに、あるいはその形に、力の秩序を感じて、人間の創造の偉大さに感動する。建築とは、ともあれ力の表現、重力との闘いの跡である。(「Ⅳ技術と人間 - 5 鉄とコンクリート」より)
課題のエスキース時、「君はなぜ構造に興味があるの?」と問われた。
ブログでさんざん考え、整理されていたはずなのに即答できなかった。
重力を受けて生成されるプロポーションの過程に興味がある。
本質的な形とは何なのか?
本質は目に見えないものだから目に見える「形」は本質的じゃないのではないか?
本来品質的でない「形」に本質を付与するもの。
それが「構造」というものではないだろうか。
建築家、あるいはデザイナーという人たちは、テクノロジーとヒューマニティのあいだに依存している唯一の人間であります。(「Ⅳ技術と人間 - 6 技術と人間」より)
テクノロジーだけでは人は幸せにはなれない。
ヒューマニティだけでも人は前進できない。
僕の一分とは。
それが見つかればもっと歩みを早めることができるのに。
別に天に昇る翼が欲しいわけじゃない。
地に足をつけて自らの意思でしっかり大地を闊歩したいだけ。
「建築と都市」も読まねば。
ヒューマン・スケールからスーパー・ヒューマン・スケールへ。
より客観的になることで人は自分を知る。
2011年に復刻版が出ているようです。