うろこ雲

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梅雨の合間の晴れ。

雲一つない青空が一番爽快で気持ち良いけれど、
こんなうろこ雲も悪くない。

雲は空に感情を与えてくれる。
その意味では雲のない空は味気ない気もしなくない。

今日はとくにキレイなうろこ雲だった。


しかしどうして東京の空はこうも狭いのだろう。

見上げれば視界のどこかに電線が入る。
しかし僕たちの文明はこの線なくしては成り立たない。

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歩道橋の上に上がって。
ようやく必要悪の電線が視界から消えた。


大学入学前にニューヨークに旅行したのですが、
秩序ある都市は現代的でありながら、過去の資産を大切に運用していこうとする、
健全な都市の姿を見ることができました。

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形あるものはいずれ消えゆく。
それを「もののあわれ」と受け入れる姿勢そのものは悪くないと思う。
しかしそれは「あきらめ」の姿勢とは異なる。
いずれ消えゆくものと分かっていてもそれでもなお、
できるだけ長く持たそう、という抵抗が「生きる」ということではないか。
そしてそういう建物を設計してゆくことが建築家の仕事なのではないか。


今、僕たちは目の前の空を分断する電力に頼って生きている。
このまま電力文明に依存していていいのだろうか。
今のテクノロジーをもってしても発電所から電気の使用場所までの送電の間に
その何割かの電気エネルギーを失っているという。

太陽熱や風力などの無限エネルギーを電力元とする研究が進んでいるとはいえ、
いまだにその多くは地球の有限資源を電力元にしている現状。


ミニマムに生きる習慣を取り戻さねば。
それは娯楽を削ることではない。
文明を削ることでもない。

小さな変化を見逃さない感覚を磨けば、人はもっとミニマムに暮らせるはず。