多摩美術大学奨学金 授与式 2009

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

shogakukin_juyo09.jpg


めでたく2年連続で本奨学金を受けることができまして

...その授与式。


2回目ともなると慣れたもので。

場所は前回と同じく普段は入ることのない図書館の3階部分。
そして普段は会うこともない理事長とか学長とかから
ちょっとしたお言葉をいただいて。

去年と違ってたのは、
去年は一人一人授与証を直接理事長から手渡しで受け取っていたのが
今年は代表一人で以下省略。


最近はなんでもかんでも省略だ。
形は省略され、変わりにデジタルという実体のないものに置き換えられる。
ハードウェアはミニマムに。
ソフトウェアはマキシマムに。


そうして人間は本当に大切なものを見失ってゆく。

...と思うのは気のせいだろうか。

今年の上野毛での奨学生は14人。

僕が知る限り去年と同じ顔ぶれは僕以外には一人だけ。
その一人も去年は交換留学生だったので、
純粋に連続して奨学生なのは僕だけ...のようです。
(いたらすみません^^;)


...だからといって自分が優秀だと短絡的に考えるほどもう若くもない。

この奨学金は「学力、人物ともに優秀であり、かつ、経済的理由により、
学業の継続が困難な学生」に給付されます。

つまり勉強ができて、好人物で、貧乏な学生、というわけですが、
経済状況なんて数字だけで厳密な判断などできはしないし、
人物像も文章力と直結するものでもない。

こうしてみると理系と違って能力を数値で直接的にジャッジしづらいとはいえ、
残る学力が公正に判断できる材料のように思えます。


去年、今年と奨学生の内訳を見てみると、
圧倒的に造形学科の学生が多い気がする。
人数的にはデザイン学科のほうが多く、応募者もけして少なくなかった。
...にも関わらず造形学科の学生が多いのはなぜか。

ここで去年から導入された「S」評価がキーになる。

ただでさえ、絶対評価が難しい美術系科目において、
実技系科目ではなおさらその能力判定は難しくなる。
なぜなら通常デザインやアートの評価は社会においては、
大衆の一人一人が主観的に判断していくけれど、
総体としては客観的に判断されてゆくものであるのに対し、
大学においては講師一人もしくは二人の主観的な采配に左右されるため、
「S」判定をするにはかなりの勇気が要る。
つまり実技系科目では「S」評価は出にくい。

一方共通教育科目は基本的に座学で、知識の蓄積がメインとなり、
単純な数値判断が難しいとは言ってもテストやレポートで
実技系科目よりは大胆なジャッジができる。

共通教育科目でいかに「S」を多く獲得するか。
それが今後の奨学金獲得のコツではないでしょうか。
去年で必要単位数を取得し、今年は専門科目に集中したいこともあって
共通教育科目をあまり多く履修していないので
来年は厳しいかもなあ...


美大なので共通教育科目の内訳は美術系科目が必然的に多くなります。
となると当然造形学科の学生のほうがモチベーションが上がりやすく、
好成績をとりやすい。
...こう考えると奨学生に造形学科の学生が多いのも頷ける。


デザイン学科の学生が共通教育科目で好成績をとるには。

...デザインがいかにアートと繋がっているかを理解する、実感する。

アートはデザインの源泉だと思う。
アートへの興味がない人間にデザインはできないと思う。

美大にデザイン科がある意味はなんなのか。
美大では頭の善し悪しというものはあまり関係なく、
センス(感覚)への興味、モチベーションが重要なのではないでしょうか。


デザインを学べば学ぶほどデジタルへの興味...というより固執が薄くなる。
今後もデジタルは必要だろう。
しかし僕にとっては最終形ではない。

この世界に存在する、重力を受ける「ほんとうの形」を創ること。
デジタルはその最終形を導くための通過点に過ぎない。


奨学金の授与式の簡単な報告のつもりが、
横道逸れて長々と語ってしまった...