[村野藤吾作品集]
個人美術館の課題で前人の偉大な建築群をリサーチしているわけですが。
あらためて村野藤吾氏と丹下健三氏の建築美を再認識。
両氏とも新建築社から分厚い作品集が出ています。
とてもイイです。
手元にそろえたい一冊ですが、値段がね...
...いつか必ず。
まず村野藤吾。
年代別に1928-1963、1964-1974、1975-1988の三巻構成。
上野毛の図書館には晩年の1975-1988しか置いてなく。
八王子には全巻あるみたいなので今度取り寄せよう。
ネットで検索したところ、装丁が縦縞と横縞の二種類あるんだけど何が違うんだろ?
[横縞バージョン]
新しいものは新しいものから生まれるのではなく、
故きを温めて新しきを知る。
建築の正しい評価は時間をかけて行われる。
だから僕はまずはクラシックを学ぶ。
一方の丹下健三作品集。
丹下氏と建築史家の藤森照信氏との共著。
[代々木競技場]
丹下氏はいわゆるコルビュジエ・タイプ。
正統派モダニスト。
実際丹下氏はコルビュジエをかなり尊敬していたらしく、
モデュロールなどの手法を積極的に取り入れていた。
最低限の簡素な直線の中に芸術性を漂わせた。
しかしコルビュジエ同様、晩年はそれまでの直線的な造形から一転して
有機的な曲線へと転化した。
サヴォア邸からロンシャンの礼拝堂へ。
広島ピースセンターから代々木競技場へ。
一方の村野藤吾はというと。
晩年の丹下氏やコルビュジエほどのダイナミックな曲線は使わないけれど、
コーナーは角が丸められ、その外観も内部空間も有機的。
まったく似ている、というわけではないけれど、
感覚的にはアルヴァ・アアルトと同じ臭いがするのは見当違いだろうか。
外から見れば大地と建築が融合してまるで大地から建築が生えているように見え、
内部に入ればかつて人間が狩猟民族だった頃の住まいであった洞窟か、
母親の胎内にいるかのような感覚。
どちらかといえばアアルトに通ずるものがある気がする。
結局のところ、丹下氏も村野氏もたどる道は違えど、
行き着くところは同じ「オリジン」だった。
そこに僕は惹かれるのかもしれない。
有機体である僕らを包む空間はやはり有機的であるべきではないだろうか。