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[ブルーヌード(1952)]


共通教育科目のテストが終わりました。

今年は中村先生の二科目のみ。
例によって記憶力を問うものではなく、ノート持ち込みOK、
授業を通して印象に残ったテーマについてその理由を述べる、
という記述形式のテスト。

自分にとって言葉はグラフィック・デザインと同じく
表現のプロセスの途中過程で用いるツールのようなもので、
表現の最終手段ではないようだ。
どれだけ言葉を重ねても満足することはない。


西洋美術史Ⅱのテストは、
後期の授業(バルビゾン派〜フォーヴィスム)の中から
印象に残ったテーマ、作品を4つ挙げてその理由を述べよ、
というものだった。

最初の3つは自分の好きな分野でもある印象派、新印象派、後期印象派を
挙げてまあ普段から思っていることをつらつらと書いたのだけど、
最後の一つはフォーヴィスムのマティスを挙げてはみたものの、
実はいまいちよく分からず、適当にお茶を濁したような回答になってしまった。


その夜。

「美の巨人」でマチスの「ブルーヌード」が特集されていた。

平面的で見ようによっては抽象画に見えてしまうマティスの作品について
これまではあまり関心がなかった。
唯一記憶に刻まれていたのは、やはり以前「美の巨人」で
紹介されていた目の覚めるようなブルーのマティスの教会だった。


今回のブルーヌード特集で、マティスの絵が少し分かった気がした。


...これもセレンディピティですな。


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神秘主義、といえばはずせない一冊...らしい。

例によって中村先生のオススメです。


しかし例によって難解。そして謎だらけ。

発行当時は執筆者の名を伏せて匿名出版される。
著者がアンドレーエであることは彼の没後120年後に明らかになるのだけど、
くしくも「化学の結婚」の主人公、クリスティアン・ローゼンクロイツも、
死後120年後に、公開されるであろうとされている。
はたしてこれは単なる偶然なのか、仕組まれたできすぎの話なのか。

本書は表題の「化学の結婚」(1616)のほか、


  「薔薇十字の名声」(1614)
  「薔薇十字の信条告白」(1615)
  「全世界の普遍的か総体的改革」(1614)


の全四編が収められていますが、前者三編は薔薇十字の三大基本文書とされている。

しかし発刊当時は匿名出版だったため、
アンドレーエの単独執筆なのか、誰かとの共同執筆なのか、
それさえも諸説あるとか。


薔薇十字という秘密結社の存在自体が秘密のベールに包まれた、
正体のはっきりしない存在であるがゆえに謎が謎を呼ぶ。

巻末にはかなりのボリュームの解説があるけれど、
そのボリュームの大きさゆえに余計混乱してしまう。


薔薇十字とは何なのか?
「パラケルスス」(薔薇:魔術)とルター(十字:宗教)の統一なのか?
その統一が「化学の結婚」なのか?
統一に必要な材料が「哲学の石」「黄金の石」なのか?
だとしたらそれらの具体的な正体は何なのか?

あまりにも寓意的で、謎かけのように問いかけるから、
いかようにも解釈できる。


真実は一つでも、その解釈は無限にある。
だから同じ宗教でも宗派が生まれる。
宗教では満足できないから、秘密結社やフリーメイソンなどが登場する。


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[Tabula Smargdina(エメラルド版)](出典:Macrocosm


中村先生の授業で神秘主義を学んでます。

神秘主義はこれまでも授業の合間の余談で何度も登場していたけれど、
本格的に学ぶのはここにきてはじめてかも。

神秘主義と言えば、登場するのが「錬金術」と「アンドロギュヌス(両性具有)」。
...こう書くとどこか怪しい雰囲気を醸し出してしまうけど、
神秘主義はオカルトを代表する思想ではない。
何事も盲信しすぎることでオカルト的になるのであり、
神秘主義も正しく冷静に見つめる限りは真理を知るための哲学となる。


神秘主義を代表する伝説の錬金術師。
それが「ヘルメス・トリスメギストス」。
直訳すると「「3倍偉大なヘルメス」「三重に偉大なヘルメス」。
ヘルメスはあのギリシャ神話に登場するゼウスとマイアの間に生まれた守護神。

そのヘルメス・トリスメギストスが記した錬金術の奥義が、
「Tabula Smargdina(エメラルド板)」。

これは偽りのない真実、確実にしてこの上なく神聖なことである。

唯一なるものの奇蹟を成し遂げるにあたっては、

下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるものがごとし。

万物が一者から、一者の冥想によって生まれるがごとく、

万物はこの唯一なるものから適応によって生じる。

...ここまでノートをとったところで次のスライドへ。
相変わらずのマシンガントークをしながら。

ネットで検索してみる。
良さげなサイトを発見。

  Macrocosm

そこから続きを引用。

「太陽」」はその父にして「月」はその母、

風はそを己が胎内に宿し、「大地」はその乳母。

万象の「テレーム」(テレスマ=意志)はそこにあり。

その力は「大地」の上に限りなし。

汝は「大地」と「火」を、精妙なるものと粗大なるものを、ゆっくりと巧みに分離すべし。

そは「大地」より「天」へのぼり、たちまちまたくだり、

まされるものと劣れるものの力を取り集む。

かくて汝は全世界の栄光を我がものとし、ゆえに暗きものはすべて汝より離れ去らん。

そは万物のうち最強のもの。何となれば、

そはあらゆる精妙なるものに打ち勝ち、あらゆる固体に滲透せん。

かくて世界は創造されたるなり。

かくのごときが、ここに指摘されし驚くべき適応の源なり。

かくてわれは、「世界智」の三部分を有するがゆえに、

ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれたり。

「太陽」の働きにつきてわが述べしことに、欠けたるところなし。

エメラルド版についてはさまざまな文献があるみたいです。
上記はその中でも比較的著名なセルジュ・ユタンの『錬金術』のもの。

かのアイザック・ニュートンもエメラルド版について述べているとか。


優れた科学は優れた思想から。
...そういうことだろうか。


薔薇の名前【ウンベルト・エーコ】

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中村先生の授業において、
象徴主義・神秘主義を習う過程で紹介された本。

イタリアの記号学哲学者、ウンベルト・エーコによる小説。

舞台は教皇と皇帝の二極体制下で権力と欲望が渦巻く中世イタリア。
世界中のあらゆる書物が収められた異形の文書館を持つベネディクト会修道院で
ヨハネの黙示録に沿って次々と起こる奇怪な殺人事件。
その事件を解決すべく派遣されたフランチェスコ会修道僧バスカヴィルのウィリアムと
その弟子、ベネディクト会見習い修道士メルクのアドソのコンビが事件に立ち向かう。
物語は年老いたアドソが当時を回想する形で語られてゆく。

二人のコンビが難事件を解決してゆく、と書くと、
あたかも名探偵ホームズとその助手ワトソンによる、
推理小説のごときイメージを浮かべてしまうけど、
ただの推理小説なら、上下巻で800ページにもわたる大作である必要もない。

この物語は、キリスト教の世界観を描いたものであり、
さらにその奥深くには宗教VS哲学、あるいは宗教VS科学の対決が描かれている。


宗教だけで世界は成り立たず、
さりとて科学だけでも世界は成り立たない。

目に見えるものと、目に見えないもの。
世界はこの2つで成り立っており、どちらか一方だけで成り立つものでもない。


メランコリー【オディロン・ルドン】

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[『夢のなかで』より<Ⅰ.孵化><Ⅶ.猫かぶり>](出典不詳)


金曜日の中村先生の授業、「文学と美術」。

およそ4回ほどかけたモローが終わり、今度はルドン。
まずは初期の作品を見る。

印象派と同時代に生きながらまったく独自の路線を歩んだゴーイング・マイウェイ。
きっとB型なんだろう、この人。

印象派が光を求めたのに対し、
ルドンはその光をことごとく吸収した。
それはまさしく「黒い太陽」。


幼少時に母の愛を受けられなかったことが、彼の中の黒い太陽。

黒い気分。
それが「メランコリー」。


サロメ【ギュスターヴ・モロー】

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[出現(水彩バージョン)](出典:Wikimedia)


金曜日の「文学と芸術」の授業。
ただいまギュスターヴ・モロー。

中村先生の好きな画家ということもあって、2週に渡り作品紹介。
いや、来週もやりそうな感じ。


シャセリオー、ドラクロワらロマン主義の影響を受け、
自らは象徴主義の先駆者となり、
マティス、ルオーというフォービスムの画家を輩出した。

古典から近代絵画への移行期に位置した画家なのでしょうか。


モローは、神話を題材にした作品が圧倒的に多い。
その独特の美しさから、好きな画家の一人なのだけど、
一番好きなのは、やはり一連の「サロメ」シリーズかな。


聖書には「ヘロデヤの娘」としか記されない女性を独自の解釈で描き、
後のオスカー・ワイルドの戯曲やリヒャルト・シュトラウスのオペラの元となった。


ゴッホの「哀しみ」

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[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)


「文学と芸術」の授業でゴッホを学びました。

これまで中村先生の他の授業でもゴッホは度々登場してきたけれど、
これほどまとめて紹介されたのは今回がはじめてかも。

フィンセント・ヴァン・ゴッホ、1853年生まれ。

最初は伯父の美術商の元で働くが、失恋を機に職を失い、
今度は牧師を目指すも狂信的な熱意が逆に人々に不気味がられ、この職も失う。
その後の1879年に画家を志し、1880年に37歳の若さで亡くなるまでの
およそ11年間で数々の名作が生まれた。

しかしゴッホが存命中に売れた絵画はわずかに一点。
その一点も弟のテオが購入したという。

...と聞きましたが、Wikipediaでは別の人が買ったとありますね。
また売れたのは一枚だけではなく、数枚だったという説もあるとか。

まあ、いずれにせよ、彼が存命中に彼の絵はほとんど評価されていなかった、ということ。
...これも、Wikipediaには晩年には彼の絵を高く評価する人も現れていた、とありますが、
いずれにせよ、彼がその評価の恩恵を授かることはなかった。


時を経て現代、ゴッホの絵は億単位で落札されるという。

...なんとも哀しい話じゃないか。

芸術は貧に足りてこそ、理解できるものだと思う。
成金共にゴッホの想いが、理解できるのだろうか。

芸術を理解する者が芸術界では自由がきかず、
芸術を理解しない者が芸術界を動かす、という不思議な時代。


それでも表現者は自分のエゴを信じ、
自分を見失わずに生きねばならない。

それが「強さ」というものである。


マニエリスム

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[ブロンツィーノ『愛の寓意』]※画像は大塚国際美術館の陶板画。


久々の美術ネタ。


履修登録が終わり、共通教育科目が授業スタート。


結局、中村先生の「文学と芸術」「西洋美術史Ⅱ」を履修。
これで上野毛キャンパスでの中村先生の授業5コマをすべて履修。
先週のガイダンスを聞く限り、同じ内容がなきにしもあらず、だけど、
新しいネタもまだまだありそうな気がしたし、なによりも...

...けっこう忘れてる。

こうなったら徹底的にルネサンス以降のクラシックをたたき込むのも悪くない、
ということで履修することにしました。

西洋かぶれ、というわけでもないのだけど、
ことアートに関しては圧倒的に西洋のほうが好きかも。
現代アートよりはクラシックなものが好きだけど、
古ければ古いほどいい、というものでもなくて、
芸術が王侯貴族だけのものだった頃のはあんまり好きじゃなく、
ルネサンス以降が好き。
中村先生が担当するパートがこの頃だというのも、
先生の授業が好きな理由の一つでもある。


中村先生の授業を整理すると。


  【1年生: 社会と芸術】
  ゴヤ、ピカソ、ダリ、ロルカなど主にスペイン芸術を中心に
  その時代の社会背景と芸術との関係を学ぶ。

  【2年生: 特講Ⅲ】
  構図や色彩、文字との関連など、絵画技法がテーマ。

  【3年生: 特講Ⅰ】
  エミール・ゾラ、オスカー・ワイルド、ボードレール、ロートレアモン、フローベールなど、
  フランス文学を中心に学ぶ。

  【4年生: 西洋美術史Ⅱ】
  ルネサンス以降の絵画の歴史を学ぶ

  【4年生: 文学と芸術】
  象徴主義を中心とした授業。


授業のテーマなどについては、あくまで僕が感じたイメージであって、
正確なものではありません。年によって内容も微妙に異なるだろうし。
詳細についてはシラバスを参照してください。
...といいながら僕はシラバスを参照にしたことはほとんどないけど。


「私は神よ」

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中村先生の特講Ⅰの後期テストの第四問。


「ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』において、
 エドワルダの「私は神よ」という台詞の意味はどのようなものか?」


エロティシズムは哲学である。

しかし人はエロティシズムを本心では求めているのに表面上は敬遠する。

それは日常生活を脅かすものだから。
意味の過剰さがもたらす暴力だから。

キュビスムの特徴

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[ピカソ『アヴィニョンの娘たち』](出典:Wikipedia)


中村先生の特講Ⅰの後期テストの第三問。


「キュビスムの特徴を述べよ」


ぱっと見た感じでは画家が何を描こうとしたのかよく分からない絵。


この講義を受けて、画家が描こうとしたものが少しだけ分かった気がします。


サロメはなぜヨカナーンの首を求めたのか?

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[ギュスターヴ・モロー『出現』(水彩バージョン)](出典:Wikimedia)


中村先生の特講Ⅰの後期テストの第二問。

「オスカー・ワイルド『サロメ』でサロメが愛するヨハネの首を求めたのはなぜか?」
...こんな感じの問題。


ユダヤの副王ヘロデは実兄で前王ピリポの妻ヘロディアへの恋慕から、
ピリポを殺し、ヘロディアを我が后とし、自ら王位につきながらも、
ヘロディアとピリポの娘サロメにもいやらしい目線を向ける。

サロメは義弟との不義を働くヘロディアを非難し、
そのために幽閉されている預言者ヨカナーンに恋をするが、
ヨカナーンは不義をはたらく女の娘であるサロメに見向きもしない。

ある日、サロメは王から踊りを舞ってくれと頼まれるが、
その見返りとして、ヨカナーンの首を要求する...


ボイス・レコーダーで過去の授業を聴き直しても、
時間切れで肝心のその答えが入ってない。

...だからこの問題は山勘。
信憑性はゼロに等しいでしょう。

つまり僕の創作。


アルチュール・ランボー

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中村先生の特講Ⅰの後期テストの第一問。


 「アルチュール・ランボーとはいかなる人物であったか」


...今となってはうろ覚えだけど、こんな感じだった気がする。


実際の解答ももちろんうろ覚え。
こんな感じで書いた、という程度。

人間は忘れゆく生きものである。
どんなに一生懸命学んでも、時間が流れてゆくごとに悲しいほど忘れてしまう。
そんな忘却を少しでも留めておきたく、僕は記録する。

マダム・エドワルダ【ジョルジュ・バタイユ】

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中村先生の「特講Ⅰ」の授業で取り上げられた作品。

バタイユのエロティシズム哲学を学びました。

エロティシズムに哲学などあるのか?

エロティシズムは種の繁栄のための一本能に過ぎないのではないか?

エロティシズムの本質を学ぶことで僕らは何を得るのか?


...興味は尽きないところですが。


ドリアン・グレイの肖像【オスカー・ワイルド】

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特講Ⅰの授業でオスカー・ワイルドの「サロメ」を学んでいる、
ということもあって読みました。

オスカー・ワイルド唯一の長編小説。
...一冊で良かったのかもしれません。

全19章構成。
ドリアンの蒐集物を紹介する第11章の前半は要らない気がする。


彼の表現力は素晴らしいと思いますが、
そのすばらしさゆえに短い文章ですべてを表現できてしまう。
無駄に文章を長くしてしまうと今度は説教じみたものになってしまう。
ヘンリー卿の言葉を長く聞いていると、
親や先生に説教されてるような気になってしまうのは僕だけだろうか。


彼に唱えた芸術至上主義、快楽主義、個人主義、
そしてイギリスの「ダンディズム」をよく表している一冊だと思います。


人間は本能的に快楽を求める。
それは人生が辛く、はかないものだから。

しかし。
それでも人は快楽に身をまかせてはいけない。
自らを厳しい秩序で制限することで、人は幸せを感じることができるのだ。
人だけが感じることのできる快楽を享受できるのだ。


サロメ【オスカー・ワイルド】

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特講Ⅰの授業でオスカー・ワイルドの「サロメ」を学んでいます。


ギュスターヴ・モローの「出現」から影響を受け、
R,シュトラウスのオペラ「サロメ」の元となった作品。
ビアズリの挿絵と共に今なお読まれ続ける戯曲の1つ。

元は新約聖書の福音書に伝わる挿話。
新約聖書自身にはサロメの名の記述はなく、単に「ヘロディアの娘」とあるのみ。
Wikipediaによれば実在の人物、とありますが、
聖書とどのようにして結びついているのかはよく分からない。

とにかく聖書のような神聖な書物から、
このような狂気の物語が誕生したことが驚きです。


宗教は神の神聖性を説くために悪魔、怪物、狂気を自ら生みだした。
これらの悪から救ってくれるものこそが神なのだと。
狂気は神への信仰心と対峙するものであると同時に宗教の一部でもある。
そしてそれが狂気の唯一の存在意義である。

...そういうことなのだろうか。


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中村先生お薦めの本。

6月頃図書館で予約して、9月も終わりになってようやく借りることができました。
およそ3ヶ月待ちとなるほど人気の本のようです。


「アルケミスト」とは錬金術師のこと。
先生の授業では「アンドロギュヌス(両性具有)」とか、「錬金術」といった単語が
よく登場するのだけど、錬金術を知るための本として紹介されました。

失われた薔薇」も良かったけど、こちらもなかなか。

何かを本当にやりたいと思う時は、その望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。

これはセレンディピティであり、前兆である。
僕が夢を実現するための。

そして錬金術とは、夢を実現するために必要な、世界の真実を見出す術である。


失われた薔薇【セルダル・オズカン】

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中村先生の授業で紹介された本。
神秘主義を説明する本として紹介されてました。

この本と並行して「ソフィーの世界」を読んでいたのですが、
ちょうど「失われた薔薇」を読み終わった直後に
ギリシャの三賢人(ソクラテス、プラトン、アリストテレス)の後登場した
新プラトン主義のプロティノスによる神秘主義の部分を読んだのです。

なんたるセレンディピティ!
おかげで神秘主義が少し理解できた気がします。


美しく才気溢れるセレブな女性ダイアナは周囲の称賛を受けながらも
どこか満たされない日々を送る。
自信のなさと堅実な道の選択から本当は小説家になりたいのに、
法律家の道を選ぼうとしていた。

そんな中、彼女の最大の理解者である母が亡くなってしまう。
死に際に母が娘に残した言葉は彼女をさらなる悲しみへと突き落とす。

なんとダイアナには双子の妹メアリがいて、
幼い頃に死んだはずの父の元で育っている。
母の病気を知った父はメアリに母に連絡先を教え、
メアリは母へ4通の手紙を出す。
どうやらメアリは幸せではないようだ。
心配した母はダイアナにメアリを探すように、という遺言を残して逝った。

ダイアナは最初はそんな母親の遺言を無視していたが、
やがてメアリが立ち寄ったと思われるイスタンブールを訪れる決心をする。
そこでダイアナを待ち受けていたものは...


この本はあくまである母娘の物語であって、神秘主義の解説本ではありません。
本文中に「神秘主義」の文字は一切出てこないし、
「ソフィーの世界」を併読していなければ、この本を読んだだけでは
神秘主義を意識することはないでしょう。

それでもこの本を読み終わると、なにか満たされた気になる。
それは僕だけじゃない。

世界30カ国で翻訳されて世界中で読まれていることを考えれば、
神秘主義は今の世界に必要な「考え方」だと言えます。


人は一生自分のエゴから抜け出ることはできない。
しかしそのエゴを殺さなければ、人は誰とも分かち合えない。

エゴを殺すことで人は真に自由になれる。
人は神になれる。神と一体化する。


フローベールとエミール・ゾラ

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[ギュスターヴ・フローベール(画像はWikipediaより)]


特講Ⅰの前期テスト勉強。

二人のフランスの詩人、ボードレールとロートレアモン伯爵に続いて、
二人のフランス人作家、フローベールとエミール・ゾラ。


フローベールが1821年生まれ、エミール・ゾラは1840年生まれで
年齢的にはフローベールが約20年先輩。


ギュスターヴ・フローベール。
写実主義を確立した作家とされていますが、若き日にはロマン主義の影響を受け、
空想過剰な小説を書いていました。
1857年、『ボヴァリー夫人』で一転して客観的、写実的な描写で
一気にその才能を開花させ、写実主義の傑作となった。
そして1869年に『感情教育』を執筆。
授業ではこの『感情教育』を取り扱いました。

『感情教育』についてはすでに別記事でレビューしているので割愛します。

写実主義では客観性を重視し、極力主観を出さないのが特徴的。
『感情教育』では「視点技法」と呼ばれる
主人公フレデリック・モローをはじめとした多くの登場人物の視点から
物語が語られることで客観的表現がされています。


そしてこの写実主義はやがてエミール・ゾラに代表される自然主義文学へ
影響を与え、展開していきます。

ボードレールとロートレアモン伯爵

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[ボードレール](画像はWikipediaより)


前期の「特講Ⅰ」では5人の文学作家を学びました。

うち3人が詩人で、一人はジョン・ダン
残る二人が今回取り上げるボードレールとロートレアモン伯爵。

二人ともほぼ同じ時代に生き、共に「悪」を取り扱う詩人。
だからなのかどうもこの二人を混同してしまう。

年齢的にはボードレールのほうが四半世紀先輩。
ボードレールは46歳、ロートレアモン伯爵は24歳という若さで早逝。


人間は誰しも自分の中に「悪」を持っている。
完全なる「善」が神であるならば、神は「不完全な存在」として人間を創造した。
さらにその人間を男と女に分有した。

不完全であるがゆえに人間は生まれながらにして悪を内に持ち、
完全な存在になろうとして「美」を求める。


先人たちは人間の美を求める本質にのみに着目し、
「真・善・美」という芸術のプラス方向にのみ目を向けてきた。
しかしそれでは本当の芸術は、真の美は追求できない。

ボードレールは人間の二重性に着目することで悪の領域から美に迫り、
ロートレアモン伯爵は人間の不完全さを憎むマルドロールの視点において
悪の領域から美に迫った。


「美」とはいったいなんなのだろう。


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[ジョン・ダン肖像画](出典:Wikipedia)


前期試験が終わり、一応夏休みに入りました。

しかしまだレポートが残っていたり、ゼミの撤収作業が残っていたりと
まだ気が落ち着けません。

前期のテストは中村先生の「特講Ⅰ」のみ。
結果は...たぶん完璧。

録音した講義内容を聞き返しながらテスト勉強。
ノート持ち込みOKなので、暗記する必要はないのだけど、
限られた時間内でしっかり記述するために、要点を整理。

せっかくなのでブログに記録しておこうと。


まずはイギリスのマニエリスムの詩人、ジョン・ダン。

奇想(Concetto:コンチェット)の達人。