アルケミスト―夢を旅した少年【パウロ・コエーリョ】

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中村先生お薦めの本。

6月頃図書館で予約して、9月も終わりになってようやく借りることができました。
およそ3ヶ月待ちとなるほど人気の本のようです。


「アルケミスト」とは錬金術師のこと。
先生の授業では「アンドロギュヌス(両性具有)」とか、「錬金術」といった単語が
よく登場するのだけど、錬金術を知るための本として紹介されました。

失われた薔薇」も良かったけど、こちらもなかなか。

何かを本当にやりたいと思う時は、その望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。

これはセレンディピティであり、前兆である。
僕が夢を実現するための。

そして錬金術とは、夢を実現するために必要な、世界の真実を見出す術である。


少年の名はサンチャゴといい、アンダルシアの平原で羊飼いをしていた。
彼は旅がしたくて自ら羊飼いの道を選び、その選択に満足していたはずだった。

自分が見た夢の真実を解明するために彼は「本当の旅」に出る。

出発点は祭壇にイチジクの木が立つ朽ちた教会だった。
船に乗り海を渡り砂漠を横断してピラミッドを目指した。
クリスタル商と出会い、錬金術師を探すイギリス人と出会い、
ラクダ使いと出会い、オアシスで愛する女性と出会い、
そして錬金術師と出会う。

盗賊や詐欺師などの危険に遭いながらも、
彼は出会うべく人に出会い、知るべきことを知っていった。

「それは好運の原則と呼ばれているものだよ。誰もでも初めてカードをする時は、ほとんど確実に勝つものだ。初心者のつきだ」「どうしてそうなるのですか?」「お前の運命を実現させようという力が働くからだ。成功の美味で、お前の食欲を刺激するのさ」

ビギナーズ・ラックは神から与えられたチャンスだ。
その神がキリストにせよ、アラーにせよ、仏陀にせよ、
人は望めばチャンスは与えられる。
要はそのチャンスを見つけられるかどうか、だ。


羊を持っていた時、僕は幸せだった。そして僕のまわりにいる人々を幸せにできた。人々は僕が行くと、僕を心から歓迎してくれた、と彼はふり返ってみた。しかし、今、僕は一人ぼっちで悲しい。一人の人間が僕を裏切ったから、僕はいじわるになり、人を信用しなくなるんだ。僕は宝物を見つけられなくなったから、宝物を見つけた人を憎むようになるだろう。そして自分はだめな人間だという考えにとりつかれるだろう。なぜなら、僕はとるに足りない人間で世界を征服できないからだ。

夢は他人が与えてくれるものじゃない。
自分で見つけて、理解して、実行するものだ。
自分をだめにするものは、自分の外ではなく、自分の中にある。


「でもおまえはわしとは違うんだ。おまえさんは夢を実現しようと思っているからね。わしはただメッカのことを夢見ていたいだけなのだ。...(中略)...でも実現したら、それが自分をがっかりさせるんじゃないかと心配なんだ。だから、わしは夢を見ている方が好きなのさ」

夢を実現させることに幸せを感じる人もいれば、
夢を見ることに幸せを感じる人もいる。
幸せの形は人それぞれだけど、それでもそれらは一つの手によってすでに書かれている。
それを「マクトゥーブ」とアラブ人は呼ぶ。


「私たちは持っているもの、それが命であれ、所有物であれ、土地であれ、それを失うことを恐れています。しかし、自分の人生の物語と世界の歴史が、同じ者の手によって書かれていると知った時、そんな恐れは消えてしまうのです」

失うことへの「恐れ」が夢を追うことを躊躇させる。


彼らは実験室の中で金属を純化することに一生を捧げていた。彼らはもし金属を何年も何年も熱すれば、それぞれ固有の性質が蒸発してしまい、残るものは「大いなる魂」だと信じていた。この「大いなる魂」は彼らに、地球上にあるすべてのものを理解させてくれるはずだった。なぜなら、それはすべてのものが意思を通じ合うためのことばだからだ。彼らはそれを発見することを「大いなる作業」-それは液体と固体からなっていた-と呼んだ。...(中略)...「大いなる作業」の液体の部分は「不老不死の霊薬」と呼ばれ、それはすべての病気をいやし、錬金術師に年をとらせないということを、少年は学んだ。そして固体の部分は「賢者の石」と呼ばれていた。

錬金術師の定義。
本質を見出すためには健全な身体と魂が必要なのだ。


「人は誰でも、その人その人の学び方がある」と少年は独り言を言った。「彼のやり方は僕とは同じではなく、僕のやり方は、彼のやり方と同じではない。でも僕たちは二人とも、自分の運命を探求しているのだ。だからそのことで僕は彼を尊敬している」

イギリス人は本の中から真実を見いだそうとし、
少年は事実を注意深く観察することで真実を見いだそうとした。
どちらも正しい方法であり、両方を実践できればより真実は見えやすくなる。
たとえ双方が矛盾する答えを出したとしても。

そしてすべての人間が少年のように感じることができたなら、
世界からくだらない争いはなくなるだろう。


ものごとが口づてで伝えられなくてはならないのは、それらが純粋な人生から成り立っており、こうした人生は絵や言葉ではとらえられることができないのだ。人々は絵や言葉に気をとられて、「大いなることば」のことを忘れてしまうのがおちだった。

絵や言葉は人々のコミュニケーションを格段に進化させた。
しかし真実を確実に伝えるための手段は今も昔も変わらない。
直接顔を合わせて会話をすること以上のコミュニケーションなどない。
ほかの手段はあくまで「口づて」をサポートする手段でしかないことを忘れてはならない。


「悪いのは人の口に入るものではない」と錬金術師は言った。「悪いのは人の口から出るものだ」

「悪」とは人というフィルタを通して誕生する。


「人は愛されるから愛されるのです。愛に理由は必要ありません」

「人に愛されるから愛するのではなく、愛したいから愛するのだ」とはよく言うけれど。
こういう言い方もあるんだね。
愛されていることを感じる力も幸せになるために必要なものなのだ。


「男は出ていくことよりも、家へ帰ることを夢見るものです」

どんなに楽しい旅であっても、家に帰ることへの喜びがあることは幸せなことである。
帰る家がある、ということはとても幸せなことなのだ。
この物語を一言でいうと、このような一文になるのだろう。


「学ぶ方法は一つしかない」と錬金術師は答えた。「それは行動を通してだ。おまえは必要なことをはすべて、おまえの旅を通して学んでしまった。おまえはあと一つだけ、学べばいいのだ」...(中略)...「ではほかの錬金術師が金を作ろうとしても作れなかったのは、何がまちがっていたのですか?」「彼らはただ金だけを探しているのだ」と錬金術師は答えた。「彼らは自分たちの運命の宝物だけを求めていて、実際に運命を生きたいとは思っていないのだ」「僕がまだ知らなければならないことは、何ですか?」と少年がたずねた。...(中略)...「わしはただ錬金術師だから、錬金術師なのだ」と彼は食事を用意しながら言った。「わしは錬金術をわしのおじいさんから学んだ。彼はそれをその父親から学び、そうしてどんどんさかのぼってゆくと、この世界ができた時まで行きつくのだ。その頃、この『大いなる作業』は、エメラルドの上に簡単に書かれていた。しかし、人間は簡単なものを拒否し始め、論文や解説書や哲学的研究を書き始めた。彼らはまた、自分たちは他の人よりももっと良い方法を知っていると思い始めた。しかしエメラルド・タブレットは今も生きている」...(中略)...「僕はエメラルド・タブレットを理解すべきですか?」「もしおまえが錬金術の実験室にいるとしたら、エメラルド・タブレットを学ぶ良い機会だったろう。だが、おまえは砂漠にいる。砂漠に浸り切るがよい。砂漠がおまえに世界をおしえてくれるだろう。本当は地球上にあるすべてのものが、教えてくれるのだ。おまえは砂漠を理解する必要もない。おまえがすべきことはただ一つ、一粒の砂をじっと見つめることだけだ。そうすれば、おまえはその中に、創造のすばらしさ見るだろう」「どのように砂漠に浸り切ればいいのですか?」「おまえの心に耳を傾けるのだ。心はすべてを知っている。それは大いなる魂から来て、いつか、そこへ戻ってゆくものだからだ」

錬金術とは単に金でないものを金にすることではない。
いろんな不純物を取り除き、真に大切なものをみつけることだ。


「僕の心は裏切り者です」馬を休ませるために止まった時、少年は錬金術師に言った。「心は僕に旅を続けてほしくないのです」「それはそうだ」と錬金術師は答えた。「夢を追求してゆくと、おまえが今までに得たものをすべて失うかもしれないと、心は恐れているのだ」「それならば、なぜ、僕の心に耳を傾けなくてはならないのですか?」「なぜならば、心を黙らせることはできないからだ。たとえおまえが心の言うことを聞かなかった振りをしても、それはおまえの中にいつもいて、おまえが人生や世界をどう考えているか、くり返し言い続けるものだ」「たとえ、僕に反逆したとしても、聞かねばならないのですか?」「反逆とは、思いがけずやって来るものだ。もしおまえが自分の心をよく知っていれば、心はおまえに反逆することはできない。なぜならば、おまえは心の夢と望みを知り、それにどう対処すればいいか、知っているからだ。おまえは自分の心から、決して逃げることはできない。だから、心が言わねばならないことを聞いた方がいい。そうすれば、不意の反逆を恐れずにすむ」

自分の心と常に会話する。
時には自分に対して客観的になりながら。
そうしないと自分は自分の心に裏切られる。
自分の心をよく知らずして、自分の道など見つかるはずもない。


「僕の心は、傷つくのを恐れています」ある晩、月のない空を眺めている時、少年は錬金術師に言った。「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」...(中略)...「本気で宝物を探している時には、僕はその途中でたくさんのものを発見した。それは、羊飼いには不可能だと思えることに挑戦する勇気がなかったならば、決して発見することができなかったものだった」

恐れは本能だ。だから恐れることを恥じることはない。
しかし人は恐れを乗り越えることで知恵を積み重ねてきた。
そして知恵は人が幸せになるためには欠かせない。


少年はさまざまな人と出会い、話した。
最後には少年は人だけでなく、砂漠と話し、風と話し、太陽と話した。
世界共通の「ことば」で。
そして彼が辿り着くゴールはすべての旅人が辿り着くゴールであった。
すべての旅人は必ず出発点に戻る。
星の王子様も、青い鳥のチルチルとミチルもそうだったように。

出発点にすべての答えがあるのに、
出発点にいるだけではその答えは永遠に見つからない。
出発点から遠くはなれて旅に出ることで、出発点にある答えは見えてくる。

それが原点回帰の原理なのだ。
人は旅をしなければ答えを見つけることができない。


あらゆるものに目を向け、万物と対話をする。
ただ、口に出して話すことだけが会話なのではない。
対話の対象は人だけではない。

ものを作る人はものと対話し、
建築を建てる人は場所(環境)と対話をする。


対話により自分と相手との関係を築くこと。
それはデザインそのものである。
万物との対話に必要なものが万物共有の「ことば」なのだ。
そして対話にあたり前兆(きざし)を見逃さないことが良いデザインの秘訣。

デザインのヒントを与えてくれるものはデザインに関するものだけではない。


主人公の名はサンチャゴと冒頭で述べながらも、
物語中ではずっと「少年」という表記にしているのが気になった。

たぶん作者はこの物語の主人公を、
この物語を読むすべての少年-夢を見る人-に見立てているのだろう。