執念の果てにたどり着いた究極の碧【マティス・ブルー】

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[ブルーヌード(1952)]


共通教育科目のテストが終わりました。

今年は中村先生の二科目のみ。
例によって記憶力を問うものではなく、ノート持ち込みOK、
授業を通して印象に残ったテーマについてその理由を述べる、
という記述形式のテスト。

自分にとって言葉はグラフィック・デザインと同じく
表現のプロセスの途中過程で用いるツールのようなもので、
表現の最終手段ではないようだ。
どれだけ言葉を重ねても満足することはない。


西洋美術史Ⅱのテストは、
後期の授業(バルビゾン派〜フォーヴィスム)の中から
印象に残ったテーマ、作品を4つ挙げてその理由を述べよ、
というものだった。

最初の3つは自分の好きな分野でもある印象派、新印象派、後期印象派を
挙げてまあ普段から思っていることをつらつらと書いたのだけど、
最後の一つはフォーヴィスムのマティスを挙げてはみたものの、
実はいまいちよく分からず、適当にお茶を濁したような回答になってしまった。


その夜。

「美の巨人」でマチスの「ブルーヌード」が特集されていた。

平面的で見ようによっては抽象画に見えてしまうマティスの作品について
これまではあまり関心がなかった。
唯一記憶に刻まれていたのは、やはり以前「美の巨人」で
紹介されていた目の覚めるようなブルーのマティスの教会だった。


今回のブルーヌード特集で、マティスの絵が少し分かった気がした。


...これもセレンディピティですな。


red_table.jpg
[赤い調和(赤い食卓)(1908-09)]


ものを造る上で大切な三要素。


  1.構造(構成)
  2.触感(質感)
  3.色彩


鮮やかな青の紙によって積み重ねられた、ねじれたポーズの裸体。

マティスのブルーヌードは、
この3つの要素が絶妙にバランス良く調和しているように見えた。

授業ではフォーヴィスムの画家としてのマティスしか見なかったけど、
実際マティスはフォーヴィスムの画家として売れてゆくほどに、
そのスタイルに疑問を感じるようになり、
ついには自ら起こしたフォービスムのスタイルを捨てた。

自分の心の声に従い、世間に認められた自分のスタイルを捨てるには
さぞかし勇気が要ったことだろう。
しかし、フォーヴィスムとしての自分を捨てられたからこそ、
彼は色彩の魔術師として、ピカソと並ぶ天才現代画家として
称されるに至ったのではないだろうか。

人はいずれ捨て去るもののために学ぶのである。
そうやって人は進化してゆく。


晩年、大病を患ったマティスは絵筆を握ることができなくなってしまう。
絵筆の代わりにハサミを握り、色を塗った切り紙を
キャンバスに貼り付けてゆく。
一連のJazzシリーズを経て、本作「ブルーヌード」へと至る。
無数の表現の果てに辿り着く、究極のシンプル。
絵画への執念が最後の最期に花開く。

執念が作品の魅力になるのである。
どんなに手先を器用に動かしても、執念のない作品に魅力はない。


それにしても、このマティスのブルーといい、
フェルメール・ブルーや、東山ブルーなど、
若さ故の燃えるような情熱の先にあるものは青なのだろうか。

そこには大勢の人を一気に動かすようなエネルギーはないけれど、
そこには静かではあるが確実に、永遠に続く真の情熱がある。
そこに「飽き」という感情の入り込む余地などない。


自分もいつかその境地へと達したい。

そのためにはまずはまだまだ情熱を燃やさなくては。
まだまだ試行錯誤しなくては。