[ギュスターヴ・モロー『出現』(水彩バージョン)](出典:Wikimedia)
中村先生の特講Ⅰの後期テストの第二問。
「オスカー・ワイルド『サロメ』でサロメが愛するヨハネの首を求めたのはなぜか?」
...こんな感じの問題。
ユダヤの副王ヘロデは実兄で前王ピリポの妻ヘロディアへの恋慕から、
ピリポを殺し、ヘロディアを我が后とし、自ら王位につきながらも、
ヘロディアとピリポの娘サロメにもいやらしい目線を向ける。
サロメは義弟との不義を働くヘロディアを非難し、
そのために幽閉されている預言者ヨカナーンに恋をするが、
ヨカナーンは不義をはたらく女の娘であるサロメに見向きもしない。
ある日、サロメは王から踊りを舞ってくれと頼まれるが、
その見返りとして、ヨカナーンの首を要求する...
ボイス・レコーダーで過去の授業を聴き直しても、
時間切れで肝心のその答えが入ってない。
...だからこの問題は山勘。
信憑性はゼロに等しいでしょう。
つまり僕の創作。
どんなに求愛しても、ヨカナーン(ヨハネ)は自分を不義の子と蔑み、見向きもしない。
彼が生きている限り、彼の愛は得られない。
それならばいっそ彼の命を絶ってしまえば、彼は永遠に自分の「もの」になる。
愛は本来与えるものであって、得ようとするものではない。
愛しすぎるがゆえに、愛の本質を見失い、愛は狂気に変容した。
その狂気がサロメにヨハネの首を求めさせた。
ワイルド独特の退廃的、デカダンの雰囲気が漂う。
同時に人間だけが求める芸術を至上とする芸術至上主義も垣間見える。
...今、あらためて書いてみると、ちょっとおかしい文章。
...この問題は落としたかな。