アルチュール・ランボー

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中村先生の特講Ⅰの後期テストの第一問。


 「アルチュール・ランボーとはいかなる人物であったか」


...今となってはうろ覚えだけど、こんな感じだった気がする。


実際の解答ももちろんうろ覚え。
こんな感じで書いた、という程度。

人間は忘れゆく生きものである。
どんなに一生懸命学んでも、時間が流れてゆくごとに悲しいほど忘れてしまう。
そんな忘却を少しでも留めておきたく、僕は記録する。


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詩人ヴェルレーヌにその詩の才能を見出され、若くして天才的な詩人として活躍する。
従来の詩が「主観的な」領域にとどまっていたのに対し、
ランボーは「僕は一個の他者だ」という言葉通り「客観的な」詩を目指した。
「酔いどれ船」「母音」などの代表作に見られるように、
ランボーは詩という理路整然とした定型文の中で壊乱的な表現を用いることで
不可視で未知なるものをつかむ「見者(voyant)」になろうとした。
詩の中で、ランボーは「言葉の錬金術師」となり、超自然的な力を獲得し、
自己破壊=狂気と紙一重の限界の詩的体験を語る。
後半生はヴェルレーヌと別離し、詩を捨て、
武器商人などをしながらヨーロッパやアフリカを放浪したが、
そこには不可視で未知なるものをつかむ見者であり続けようとした姿が伺える。

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正直ランボーの詩自体の魅力は僕にはまだよく分からない。

またいつか読み直したとき、その魅力が分かるときが来るのだろうか。