金曜日の中村先生の授業、「文学と美術」。
およそ4回ほどかけたモローが終わり、今度はルドン。
まずは初期の作品を見る。
印象派と同時代に生きながらまったく独自の路線を歩んだゴーイング・マイウェイ。
きっとB型なんだろう、この人。
印象派が光を求めたのに対し、
ルドンはその光をことごとく吸収した。
それはまさしく「黒い太陽」。
幼少時に母の愛を受けられなかったことが、彼の中の黒い太陽。
黒い気分。
それが「メランコリー」。
メランコリー。
カタカナで書くと、なんかロマンチック。
「メリーゴーランド」と響きが似ているからだろうか。
その語源を直訳すると「黒い胆汁」なのだそうだが、
適切な日本語で表現するならば、さしずめ「憂鬱」といったところだろう。
ものごとが上手くいかないとき、人は憂鬱になる。
それが慢性化するとストレスとなり、
ひどいときにはうつ病などのような精神の病へと至る。
どんなに要領の良い人間でも、いつもものごとが上手く運ぶなんてことはそうない。
誰だって多かれ少なかれストレスを抱えて生きている。
ストレスに対する耐性を強くする方法は二つ。
感度を下げてストレスに鈍感になるか、
ストレスと仲良くつきあうか。
前者は、およそ本能的、先天的に働く防御作用である。
しかしストレス状態ではだいたい作業効率は落ちるから、
大抵の場合、周囲に迷惑をかけることになる。
さらに溜まりに溜まったストレスが一気に爆発して自分自身を破壊する危険すらある。
あまりオススメできない方法であることは言うまでもない。
後者は、強い精神力が必要である。
ストレスをストレスとしてしっかり自覚しながら、
それをポジティブなものへと置換しなければならないのだから。
しかし実際、成長は常に適度なストレスを与えることによって
その後のリラックス時にドラスティックに生じるものである。
ノーストレス、ノーグローアップ。
そう考えれば適度なストレスは自分にとってプラスである、と
捉えるのはそんなに難しいことではない気がする。
その思考回路が必要以上にストレスを大きくしてしまわないためのリミッターとなる。
いつか成長している自分を想像するために。
だからメランコリーはロマンチックなのである。
黒い太陽はメランコリー。
心の奥底を照らす黒い光。
心を陰らしているようで、実は光を照らしている。