タグ「城川」が付けられているもの

城川の茶堂、都会へ。

ehimenewspaper20120215_chado.jpg


新聞ネタが続きます。

本日の愛媛新聞。


西予市城川町の茶堂群。
元は四国八十八ヶ所霊場巡礼者を接待するために建てられたものだそうです。

基本的に数メートル四方の隅に四本の柱が立ち、その上に三角屋根が乗っかっている、
というシンプルなものですが、茶堂によって屋根が茅葺きだったり、瓦だったりと
様々な個性があり、いろいろ見ていると面白いです。

車社会の発達と共に接待は失くなってしまいましたが、
その名残としての地域行事が残っているところもあります。


その茶堂が関東は横浜に建ちました。

マンションの中に佇む茶堂は田舎にある茶堂とはまた違った趣がありますが、
城川の茶堂の良いアピールになると思います。

こういう良い文化がこの地域にはたくさんある。
その良さをもっともっとたくさん伝えたい。


城川かるた

shirokawakaruta.jpg


本日のよりみちクラブは新年一発目ということで、かるたとり。

それもただのかるたとりではなく、地元城川町を題材にした「城川かるた」。

かるたなんて小学生以来、もう何年やってないだろう。


かるたってチームでやるもんなんだ。
かるたってキレイに並べてやるもんなんだ。


1月も終わりにさしかかっての正月遊び。


三滝渓谷二見滝紅葉

mitakihutami_koyo1.jpg


会心の一枚。


窪野の三滝渓谷にて。
二見滝というスポットが唯一の紅葉スポットなのですが、
まさに見ごろでした。

ここは紅葉の期間が短く、まさに今が見ごろ。
この週末には終わってしまうかも。


恒久的な美と、瞬間的な美がある。
その見極めを間違えてしまうと、それらの美と出会えることはない。
森は悠久の時を経て育つからこそ美しいのであり、花は散るからこそ美しいのである。


マロン!マロン!マロン!

shirokawamaron.jpg


城川の栗工場を見学させてもらいました。


遊子川のある城川には、城川開発公社という半官半民の会社があります。

城川の特産品開発・販売が主な業務内容で、
今回は先輩隊員が城川の栗をアピールするための取材に同行させてもらいました。

最初は社長さんといろいろ話をさせていただきました。
パワー溢れる元気な人で、こういう元気な人が町を引っ張るのだな、ということを実感。


こういう元気な人と話すと、元気がでる。
元気を分けてもらう。

町おこしには当然、ユニークなアイデアとか、手法とか、スキルとかが必要なんだろうけど、
その前にやっぱり、まずは「パワー」が必要なんだと思う。

元気な人を見つけて、町に対する「想い」を共有する。
町おこしはそこからはじまる。


奥伊予花火大会'11

shirokawabon_fireflower.jpg


城川の花火大会に行ってきました。

毎年魚成、高川、土居・窪野地区合同開催で、
なぜか、遊子川地区だけ単独開催。

で、遊子川の集落応援隊である僕は当然遊子川の盆踊り準備をお手伝いをしていて、
こちらはノータッチ。

遊子川の盆踊りを翌日に控えて、
昼間に看板三本立てて、ヘトヘトだっただけに、
こちらはパスして翌日に備えようかとも思ったけど。

やっぱり、同じ城川の盆踊りがどんなか気になるし。


...好奇心には勝てず。

やっぱり盆踊りは夏の風物詩だね。


F-104DJ ジェット練習機

doi_jet6.jpg


男の子はどうして飛行機に憧れるのだろうか。
羽を持たない人間が空を飛びたがるにはなぜだろうか。

どこの地域にも、小さい頃の夢としてパイロットを挙げる男の子が一人や二人いたものです。
僕の場合は、なぜか警察官か科学者だったけど。


土居の運動公園に戦闘機があります。
実際に自衛隊で使われていた練習機を前の町政時代の町長さんが譲り受けたそうです。
子どもたちの遊具として置かれているみたいですが、
乗ると機体が凹むので、乗らないように、という注意書きがあるくらいなので、
見て楽しむだけのものらしい。


平日朝、ということもあって、周囲にはだれもいない。
機体は錆び、そばのジャンボ滑り台も故障中。
あまりこの場所が利用されていないように見える。
子供たちが年々少なくなっている、という過疎地の現状ゆえなのでしょうか。


飛ばない人間は、ただの人間だ。
オブジェは過去を忘れないためと、未来を夢見るためにある。


ギャラリーしろかわ

shirokawa_gallery1_s.jpg


東京にいた最後の4年間、ひたすら美術館巡りをした。
それまで美術館なんて、ほとんど足を運ぶことなんてなかったのに、
憑かれたように都内近辺の美術館を訪れた。

他に娯楽らしい娯楽をすることもなく、美術館や建築巡りをすることが
学びでもあり、娯楽でもありました。

そこでは人間の「感情力」とでもいうものを磨いたような気がします。

豊かな感情がいかに人間にエネルギーを与えるか。
これらが美大での最大の発見だったように思う。
美術は一部の才能ある人や特権階級の人たちだけのものでなく、
豊かな人生を望むすべての人へのものであることを知った。


愛媛に来ることになったとき、美術館巡りはしばらく無理かな、
と半ばあきらめかけてました。

しかしあるじゃないですか。
意外と近くに。


穴神洞

takagawa_anagami_board2.jpg


高川地区の奥の方を「川津南」といいます。

ちなみに手前の方を「高野子」といいます。
「高野子」と「川津南」だから「高川」地区なのです。
「遊子谷」と「野井川」だから「遊子川」というように。


川津南には穴神洞、という鍾乳洞があります。
愛媛県の指定記念物だそうです。

前回訪れたときは、入り口に鍵が閉まっていて入れませんでした。
近くの農協が鍵を持っていて、
中に入るときは、事前にこちらに届け出る必要があるのを知りませんでした。

で、今回2回目にしてようやく中に入ることができました。


広島県人としては、鍾乳洞といえばお隣山口県の秋芳洞を思い浮かべるわけですが、
なにしろ小学校の修学旅行で行ったきりなので、記憶がすでにあやふや。
とにかく広くてでっかかったような。

それに比べると、穴神洞はささやかなものですが、
その小ささが逆に別の面白さがあるように思います。

ここももっとアピールすれば、観光スポットになるような気がするなあ。


宝泉坊

takagawa_hosenbo_goshinboku2_s.jpg


月一回の集落応援隊の定例会議。
毎月の活動報告を行う場なのですが、今回は僕の歓迎会をしていただく、
ということで宝泉坊に隣接する城川町高川地区の公民館へ。

宝泉坊とは食事処、宿泊ロッジ、プール、テニスコートなどを備える複合温泉施設で、
城川の中の一大リゾート地。

遊子川からは車で20分程度なのですが、
今回は歓迎会でお酒を飲む、ということで宝泉坊に宿泊することに。

まあ、そうそうここに泊まることもないだろうし、これも良い機会。


「リゾート」。
偏見かもしれないけど、僕はこの言葉があんまり好きじゃない。
田舎に都会の「洗練されたイメージ」を持ち込もうとしているような気がして。
まあそれも多少程度なら悪くない気もするけど、
田舎が持っている「自然への近さ」、
自然の持っている本質への近さ、という田舎の良さを無視するところまでいってしまうと、
とたんにそのイメージは陳腐なものになってしまう。

場所性のない機能性、という都会のイメージは田舎にはいらない。

場所性やその場所が積み重ねてきた歴史性を壊さないような施設。
逆にそれらの特性を生かすような。
そのようなものをこれからは考えていかなければならないのではないでしょうか。


龍澤寺緑地公園

ryutakuji_plate.jpg


三滝山からの帰り道、
魚成にある龍澤寺(りゅうたくじ)緑地公園へ行ってきました。

お昼ご飯を食べようと思って行ったのですが、
いざ弁当を食べていると、虫が寄ってきてしょうがない。
都会の緑地公園で弁当を食べるようにはいかないもの。

田舎で生きるには、それなりのたくましさが必要です。
まあ、本来生きものが生きていく上ではその「たくましさ」が必須なのだけど。
都会は生存機能を他者に依存させすぎて、
人間が本来持つべき「たくましさ」を忘れてしまっている気がします。


龍澤寺は曹洞宗系列の禅寺で、けっこう立派なお寺です。
入り口には屋根付き橋、立派な山門の奥にさらに塀に囲まれた本道、禅堂、庫裡などがあります。

禅宗独特の美しさ。
荘厳美、とでもいいましょうか。


三滝渓谷自然公園

mitaki_fall1.jpg


窪野にある三滝山に行ってきました。

窪野は遊子川の南にある地区で、三滝山はおよそ標高640m。
三滝山には三滝渓谷という美しい渓谷があって、
三滝渓谷自然公園として、ちょっとした観光スポット、ハイキングスポットになっています。


遊子川に来る前は、東京23区内唯一の渓谷、等々力渓谷のそばに住んでいました。
三滝渓谷はこの等々力渓谷の幅はそのままに長さだけをスケールアップさせたような感じです。
等々力渓谷は都内にこれだけの規模の渓谷があること自体が素晴らしいですが、
水量が少なく、やはり都会の水系、ということで清涼感にやや欠けます。


三滝渓谷は一つ一つはそれほど大きくない規模の滝が群を成して集まって、
壮大な渓谷を構成している、という感じです。

これそザ・渓谷、という感じ。


どれだけ自然を精密に模倣しても、本物にはかなわない。

人は自然を越えられない。
人は自然の一員なのだから。