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今年最後の読書レビュー。
ル・コルビュジエの「ユルバニスム」。
毎回難解な文章に苦しめられながらも、何度も手を伸ばしてしまう。
それだけコルビュジエの建築が魅力的だということなのだけど、
日本にはコルビュジエの建築は国立西洋美術館しかなく、
イメージと言葉からしか彼の建築を知る手だてがない。
そしてやっぱり言葉からではコルビュジエの建築哲学はピンと来ない。
「ユルバニスム」とはいわゆる「都市計画」ということなのだけど、
僕はいまだに都市計画そのものがピンと来ない。
建築家としてのコルビュジエには大いにインスパイアされるのだけど、
都市計画家としてはよく分からない。
唯一実現した、チャンディガールにしても、
建物個々は魅力的ではあるけれど、
都市としてははたしてどうだったのか。
そもそも、成功した都市計画などあるのだろうか。
パリ、ロンドン、ベルリン、ニューヨーク、そして東京...
それぞれの都市には個性があり、それなりの魅力があって、
それなりの光と闇を抱えている。
自然が人智の及ばない神の操作があるように、
都市にもそういう部分があるのではないだろうか。
完全な都市などない。
人智による完全な操作が可能な都市が実現したとして、
はたしてそういう都市に魅力はあるのだろうか。
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最もお気に入りの建築家のSD選書をまだ読んでなかった。
卒業制作のラストスパート前に読む本として、
これほどふさわしい本もない。
アントニオ・ガウディ。
最も独創的でありながら、最も多くの人に受け入れられている建築家。
好き嫌いはあるだろうけど、
建築に詳しくない人でも彼の名前を知らない人間はいないだろう。
逆に現代建築の普及に最も貢献したと言われる20世紀の三大建築家、
コルビュジエ、ライト、ミースの名前は、
建築にそれほど興味がない人にはなじみがないかもしれない。
この差は一体なんなのだろう。
コルビュジエ、ライト、ミースは世界各地にたくさんの名建築を残した。
一方ガウディと言えば、スペイン、それもそのほとんどが
バルセロナを中心としたわずか25点ほどの建築群。
そしてその中のただ一つの作品が彼を世界で一番有名な建築家たらしめている。
神の建築家。
神に愛された建築家。
それがガウディをガウディたらしめている。
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計算が苦手だ。
昔から算数・数学、物理の類は苦手だった。
微積分が現代社会にどのように生かされているのか、
未だによく分からない。
考えることと、計算することはたぶん別回路だと思う。
脳の中で使われる部分がそれぞれ違うのではないだろうか。
そんな自分が建築、とりわけその「構造」に惹かれるのはなぜなのだろう。
理数系が苦手なのに、理数系の高専に進学したのは、
単なる気まぐれだったのだろうか。
2年生の時、建築構造の授業を受けにわざわざ八王子まで通った。
美大なので構造計算はさわり程度しかやらないのだけど、
それでもけっこう混乱した。
それでも授業は面白かった。
この世界に確かに「存在」しているという実感がほしい。
だから構造というものに興味があるのだと思う。
それを計算ではなく、直感で得たいのだと思う。
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過去にミースに関する本を2冊読みました。
・評伝ミース・ファン・デル・ローエ
・ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて
再びミースについて考える、という意味で本書は最適かな、と思って読んだのですが。
いまだに1つもミース建築を実際に訪れたことがないからか、
...さっぱり分からない。
ニューヨークに旅行したとき、シーグラムビルを見逃したことが返す返すも悔やまれる。
それにしても。
"Less is More"をテーマに極限までムダを削ぎ落としたシンプルな立方体の空間に、
どうして周囲はこうも複雑な解釈をしようとするのか、不思議でならないのだけど、
ある意味そういう状況が本当の意味での"Less is More"なのかな。
写真を見るだけでもその美しさは半端ではない。
実物を見たときの感動はいかばかりか。
(...あるいはグラフィックの魔術で、実際はそれほどでもないかもしれないけど)
しかし彼の模倣品である20世紀都市はなんと醜いことか。
そして思うのである。
「立方体は人間にとって最適な空間を与える本質的なフレームではない」
ミースだからこそ、立方体の空間を美の極みへ高められたのだ、と。
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「私と日本建築」に引き続いてレーモンド関連の本を読みました。
「私と日本建築」がレーモンド自身の言葉であるのに対し、
本書はレーモンドの弟子による記述。
前者が主観的記述であるのに対し。後者は客観的記述。
主観と客観を知ることで、対象をより深く理解できるようになる。
ライトやコルビュジエ、ミースほど知名度は及ばずとも、
間違いなく彼は近代建築の担い手であった。
それでいて、常に近代建築の悪しき風習から抜け出そうとしていた。
目先の効率に囚われ、生産性や経済性の機能を最優先とし、
人類幸福という至上命題を忘れがちになる、
インターナショナル・スタイルの欠点に早くから気づいていた。
ライトやミースが晩年になってようやく気づいたことを、
彼は早い時期から知っていた。
それを彼は日本の建築から学んだという。
日本の理想の建築を考えるにはまたとない逸材ではないだろうか。
私と日本建築 (SD選書 17)
A4ギャラリーでのアントニン・レーモンド展を見て、
この本を読むことにしました。
40年以上も日本に住みながら、日本語が書けなかったため、
原文は英語でそれを他人が訳した文章ですが、
建築家が書く文章にしては比較的分かりやすい文章でした。
本書は本としての執筆ではなく、
雑誌への論文や講演内容などをとりまとめたもの。
ここ3年、建築家の文章を読むようになって自分なりに思うことは、
訳の分からぬ文章を書く人ほど、スケールのでかい建築を創る、ということ。
はたしてレーモンドはどうだったのか。
ルイス・カーン建築論集 (SDライブラリー)
ルイス・カーンの建築論集をやっと読み終えました。
今回はSD選書ではなく、SDライブラリー。
もっとも現在ではSD選書のほうでも同内容のものが出てるみたいですが。
SD選書の基本カラーが黒なのに対し、SDライブラリーは白です。
最初の数ページでかなりインスパイアされたのですが、
その後はライトほどまでとはいかなくともやはり難解な内容で
読むのに苦労しました。
この本は講演会でのスピーチやインタビューなどを集めた十章構成なのですが、
繰り返し繰り返し同じキーワードが登場してきます。
たぶんそうでもしなければ彼の伝えんとする本質が見えてこないからなのでしょう。
こうして読み終えたあとでもやはりその半分くらいしか彼のいわんとすることが
理解できなかった気がします。
それでもこの本から学ぶことは多かった。
人は自分自身でないものを学ぶことはできない。
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新住居での生活も慣れてきて、大学のセッションもまだ山場前...
ということでしばらく中断していた読書を再開。
最近はもっぱら建築系の本が多いです。
やっぱ建築が一番やりたいのかな。
建築系の読み物...というとやはりSD選書。
今回はフィンランドの建築家、エーロサーリネン。
著者は実際にエエロ・サーリネンの事務所で働いた経験のあるという穂積信夫氏。
エエロ・サーリネンはアルヴァ・アアルトと同じフィンランド人ですが、
エエロは13歳の時にアメリカに移住しており、
その活動の場はアメリカ中心で作品の多くもアメリカにあります。
アメリカのミッドセンチュリーを代表する建築家、という位置づけみたいです。
意外だったのはあのチャールズ・イームズと親友だったこと。
エーロの息子に彼の名前をつける(イームズ・サーリネン)ほどだったとか。
エーロの父親、エリエル・サーリネンも著名な建築家で、
親子そろって優れた建築家だったようです。
ちなみにエリエル・サーリネンの代表作はヘルシンキの中央駅。
日本の親子建築家、といえば谷口吉郎、谷口吉生の両氏が有名ですよね。
SD選書の写真は小さく、白黒なので様子が分かりにくい、ということで
作品集を探したところ、多摩美八王子の図書館に
建築と都市a+uの1984年4月臨時増刊号で
エーロ・サーリネンを特集したものがあったので借りました。
大きめカラー写真もさることながら、穂積信夫氏による解説や、
ケヴィン・ローチやシーザー・ペリなどエーロの弟子へのインタビューなど
内容は盛りだくさん。うーんこれは欲しいかも。
が、現在は絶版になっているようで古本屋で探すしかなさそうです。
アルヴァ・アアルト (SD選書 34)
SD選書、今回は北欧の巨匠、アルヴァ・アアルト。
著者の武藤氏は1960年から1年間、実際にアアルトの事務所で働いた経験があり、
日本で最初のアアルトの解説本である本書を執筆することになって、
1967年に再びフィンランドを訪れ、アアルトの諒解を得て1969年に刊行されました。
つまりこの本はアアルトが存命中に記されたもので、
当然ながらアアルトの晩年については記述されていません。
例えばフィンランディアホールとか。
アアルト建築の外観は20世紀の三大巨匠コルビュジエ、ミース、ライトに
比べると見劣りする感は否めない。
しかし本書冒頭にはこうあります。
"建築-その真の姿は、人がその中に立った時にはじめて理解されるものである"
〜 アルヴァ・アアルト 〜
外観より中身。
空間を包むものではなく、包まれる空間。
アアルトの建築はどうやらそういうものらしい。
[NYグッゲンハイム美術館]
コルビュジエ、ミースとくれば次はライトでしょ...
というわけで読みました。SD選書。
著者は谷川正巳氏という日本人です。
建築の教授とのことですが、この本のほかにも数冊ライトに関する著書を
訳したり記したりしているようです。
大学の図書館は春休みで閉館なので目黒区の図書館で借りました。
ちなみに1967年初版ということでAmazonではすでに古書扱い。
本の写真だけでも...といってもSD選書はどの本も全身黒尽くめなので
写真とるほどのものでも...
...というわけでライトの建築物で唯一訪れたことのある、
NYのグッゲンハイムの屋内写真をトップ画像に置いてみました。
外側は僕が訪れたときは工事をしていて見事な外観が拝めませんでした。
...さて、ライトの建築で僕が知ってるのはこのグッゲンハイムの他には
落水荘、マリーン郡庁舎、日本は旧帝国ホテルぐらいなわけですが。
この本で少しはライトの建築精神が垣間見えたような気がします。
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ル・コルビュジエの「輝く都市」を読みました。
SD選書。
「モデュロール」と同じく内容は難解です。
ル・コルビュジエ自身の理論が難解なのか、邦訳の仕方が難解なのか、
半世紀以上も前の時代背景のギャップが理解を難解にさせているのか。
単に僕の理解力が足らないのか。
いずれもあてはまる気がしますが、
まあとにかくこの本の内容の半分も理解できなかった気がします。
それでも読んで損をしたか、というとそうではなく、
何かしら得るものはあったはずで、
ここでは少ないながらもその得たものを書き出せればと思います。
ちなみにWikipediaによれば、
この本の原題は"Manière de penser l'urbanisme(都市化の思考方法)"で、
これとは別に原題が"La Ville radieuse(輝く都市)"という本が別にあるみたいです。
前者は1946年、後者は1953年発行です。
この本はアスコラルという建築刷新のための建築関係者の集まりにおいて
都市問題を解決するために打ち立てられた理論
(本書ではアスコラル理論と言ってますが)を紹介したものです。
理想の都市とはどういうものだろう?
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今回の腰掛け作りで参考にした本。
実際インスピレーションを得るのに役立ったかどうかは微妙ですが、
デザイン様式の歴史の勉強にはなりました。
以下簡単に古い順に主な様式をピックアップしていきます。
【中世】
フランスのゴシック様式にはじまり、
イタリアのフィレンツェではじまったルネサンス様式、
やがてルネサンスはフランス(ルイ13世様式)へ、
そしてイギリスへ(エリザベス様式)。
そしてルネサンスからジャコビアン様式(イギリス)を経てバロック様式へ。
バロック様式は後期ルネサンスとも言うそうです。
やはりイタリアにはじまり、フランスへ(ルイ14世様式)、
そしてイギリス、アメリカへ(ウィリアム&メリー様式)。
そしてロココ。
これはフランスにはじまりやがてイギリスへ(クィーンアン様式)。
【近代】
まずアーツ&クラフツ運動。
いわずとしれたウィリアム・モリスによるものですね。
そしてアール・ヌーヴォー。
ベルギーにはじまった「新芸術」運動。
ヴァンデ・ヴェルデ、ヘクトル・ギマール、C.R.マッキントッシュなどが有名。
そしてバウハウス。
ドイツのワルター・グロピウスが設立したデザインの学校。
最後の校長はミース・ファン・デル・ローエ。
ほかモヒリ・ナギ、マルセル・ブロイヤーなどが有名。
セセッション(ウィーン分離派)。
1892年、オーストリアではじまった芸術運動。
ウィーン工房を創設したヨーゼフ・ホフマンが有名。
そしてアール・デコ。
1910年から1930年にかけてフランス、アメリカを中心に広まる。
より直線的に、よりシンプルになりましたね。
クライスラービルなどNYの摩天楼群が有名。
ドイツ工作連盟(DWB)
1907年ヘルマン・ムテジウス、ペーター・ベーレンスらにより創設。
デ・スティル
1917年オランダで結成された造形運動グループ。
キュビスムに影響を受けてるそうです。
リートフェルトが有名ですね。
エスプリ・ヌーヴォー(新精神)
ル・コルビュジエと画家オアザンファンらにより創設。
コルビュジエはキュビスムを批判し、ピュリスムを唱える。
ミースもここに分類されてました。
そして時代はモダンデザイン、ニューインターナショナル・デザインへと。
モデュロール 1―建築および機械のすべてに利用し得る調和した尺度についての小論 (1)(SD選書 111)
モデュロール 2―発言は使用者に ル・モデュロール1948年の続編 (2) (SD選書 112)
夏休みのレポートでル・コルビュジエのモデュロールを取り上げました。
それでコルビュジエ自身による著書を読んだわけですが...
...正直難しかった。
書いてあることの何割理解できたんだろう。
僕自身数学が苦手、というのもありますが、
レイモンド・ローウィの「口紅から機関車」でもそうだったように、
時代や、文化背景の異なる人の記述を理解することは
けっこう難しい、ということもあると思う。
ただ、伝わったこともある。
コルビュジエの真面目な性格や、建築や芸術に対する真摯な気持ち。
そういうものは時代を超えて伝わるものなんだな。