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2010年4月24日

「札幌聖ミカエル教会」とアントニン・レーモンド展

建築デザイン/ 展示・イベント

toyocho_takenaka_a4gallery.jpg


ここのところ平日は悪天、週末は好天の日々。
それはそれで都合がいいのだけど、
たまの週末は疲れた身体を家でゆっくり休めたい...

と思いつつ、
先週のル・コルビジェ展に引き続き、
アントニン・レーモンド展へ行ってきました。

今回は江東区東陽町にある、竹中工務店のギャラリー、「A4」。
A4は「エー・クワッド」と読むらしい。
竹中工務店の社屋自体がグッドデザインを受賞するほどオシャレです。
このビルについてはまた別途。


アントニン・レーモンドについては、名前は知っているのだけど、
実際どんな人間で、どんな建築をしたのかはまだよく知らない。

アントニン・レーモンドという人と建築を知るまたとない機会なのですが、
大成建設のタイセイ・ギャルリーと同じく、日曜休館、ということで
土曜日の授業前に、急ぎ行ってきました。


「木造モダニズム」
...どうやらそれを日本にもたらしたお人らしい。



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タイトルの通り「札幌聖ミカエル教会」が展示の目玉。

stmichaelchurch_facade.jpg

stmichaelchurch_alter.jpg

この展示のおよそ一年の後、現地を訪れることができました。


木製の模型がまた美しいんだな。
模型でさえこんなにキレイなのだから、本物はさぞかし...キレイでした^^

外観よりは内部空間に魅力を感じました。
切妻屋根に斜めにクロスする筋交いが美しいリズムを生んでいる。


アントニン・レーモンドは、あのフランク・ロイド・ライトの弟子だったんだね。
ライトほどのインパクトはないものの、その面影があるといえば、ある気がする。

どんな分野にせよ、その道で大成する人というのは、
どれだけ強いエゴを持っているか、どれだけ自分のエゴに執着できるか、
ということに尽きるのではないだろうか。

大衆に、社会に、クライアントの意向左右されることなく自分を貫き通す傲慢さ。
それでいて、その傲慢さを許してしまうほどの魅力。
天才はその二つを兼ね備えている。

その意味では、レーモンドは「いい人」すぎたのだろうか。
ライトほど自分のエゴに執着できなかった。
僕にはそんな風に思えてならない。

しかし天才であることだけがただ一つの価値なのではない。
真の価値は凡人がいかに自分の夢を実現するか。
その創意工夫と、実現するためのたゆまぬ努力が価値あるものなのではないだろうか。


会場には、札幌聖ミカエル教会以外の作品も写真パネルで紹介されていたのですが、
その中に、どこかで見たことある教会が。

kamiyacho_church2.jpg
[聖オルバン教会]

...バイト先のすぐそばにある教会じゃないか。

外観的には、その隣の聖アンデレ教会のほうに心を奪われていたのだけど、
この教会を気に入ったクライアントが札幌聖ミカエル教会を依頼したというのだから、
断然中を見たくなってきた。

ただ、アンデレ教会ほどオープンな雰囲気じゃないんだよなあ...


そのほか、英国館や三重大学レーモンドホールも良さげだったな。
いつか訪れてみたい。


木造モダニズムはその後思ったほど進化していないのかもしれない。
ミース以降、モダニズムは鉄とコンクリートへ完全に移行し、
木材は伝統を継承していくだけの、過去の材料となってしまった。
レーモンドが今の日本の建物を見たら、何と思うだろうか。

木は生きものである。
生きものであるだけに鉄やコンクリートに比べると、
どうしても耐久性に難があるのかもしれない。

しかし、鉄やコンクリートとて、永遠にその形を留めることができるわけではない。
形あるものはいつかはその形を失うのである。

大切なのは素材の耐久性ではなく(もちろん、それも重要な要素だけど)、
造形が持つ本質的な「魅力」ではないだろうか。
時を越えて存在する魅力があるならば、
壊れても、人が変わっても、また同じ形を何度でも創ろうと思う。

実際、日本の古寺はそうやって生き残っているのである。
人々に残していきたい、と思わせる形や空間が残るべくして残っていくのである。

木造モダニズムはまだまだ進化の余地がある。


パネルで紹介されているレーモンドの言葉がまたステキだった。

日本で仕事をする外人建築家には、一つの特権がある。現代建築の目標として再発見された基本的原則が、日本建築や文明の中で、具体化されていくのを眼前に見られるからである。西欧では、深く根を張る唯物主義が邪魔をして、この純粋な原則にまだ気がつかず、精神構造ばかりが追求されている。これらの原則は、日本の古来の建築の中に、きわめてはっきりと表現されているのである。日本人は、事物を愛してもそれに溺れることはない。常に考えの補助とするのである。事物は日本人にとって、ただ精神的真理の象徴として存在する。事物の表す真実を無意識に用いるのは悪趣味なのである。実に人生とはそこにかくされた意義を求める劇であり、実景でもある。人間はその意義の探求に生き、あるいは理解できる真実を、生活に反映させようとためす。最上の居心地は、家の中にあるのではない。

鹿島出版社のSD選書からの引用、ということで、
さっそく大学の図書館で借りました。

ちょうど難解な「粗い石」を読み終えたばかり。


今度はもうちょっと平易な文章で建築を理解できるといいのだけど。

...ただ、最近は難解だからこそ、建築は面白いのかな、という気もしてるけど。


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