モデュロール 1―建築および機械のすべてに利用し得る調和した尺度についての小論 (1)(SD選書 111)
モデュロール 2―発言は使用者に ル・モデュロール1948年の続編 (2) (SD選書 112)
夏休みのレポートでル・コルビュジエのモデュロールを取り上げました。
それでコルビュジエ自身による著書を読んだわけですが...
...正直難しかった。
書いてあることの何割理解できたんだろう。
僕自身数学が苦手、というのもありますが、
レイモンド・ローウィの「口紅から機関車」でもそうだったように、
時代や、文化背景の異なる人の記述を理解することは
けっこう難しい、ということもあると思う。
ただ、伝わったこともある。
コルビュジエの真面目な性格や、建築や芸術に対する真摯な気持ち。
そういうものは時代を超えて伝わるものなんだな。
破天荒だったフランク・ロイド・ライトの人生に比べ、
コルビュジエの人生は堅実で、面白味がない、と言う人もいるかもしれない。
ソヴィエト・パレスやチャンディガールの都市計画など、
あれほど壮大なビジョンを持って活動していたコルビュジエの最期は
カップ・マルタンの小さな小屋だった...
でも僕はそこがコルビュジエらしい、と思うし、
派手さよりも堅実さを求める姿に共感を覚えます。
まあ、彼ほどの才覚は10分の1もないんでしょうけど。
大きなものから小さなものまで、
彼が生涯を通じて研究に費やした基本概念が「モデュロール」なのです。
万物の尺度となったメートル法は自由である反面、その自由さゆえに
かつて築かれてきた調和や秩序による美が埋もれてしまうかもしれない。
また、メートル法が普及したとはいえ、依然、インチ・フィート単位系が使われる
ケースも少なくなく、世界を舞台に活動するコルビュジエには単位系の相違が
活動の支障となっていた。
その美の喪失への危惧と、単位系の衝突による障害からモデュロールは生まれた。
ただ、コルビュジエほどの人間が生涯をかけてさえ、
モデュロールが広く世界に普及することはなかった。
それほどモデュロールは難しいテーマだった。
黄金比で構成される人体寸法をベースにした比例尺度。
それは人が触るものを創造するには素晴らしい尺度なんだろうけど、
いかんせん人は成長過程と個人差による程度差が存在する。
それを一意に基本尺度を決めてしまうことはやはり無理がある。
コルビュジエ自身その難しさを痛感していて、
だからこそ、本書の最後に「発言は使用者に」と、
後の世代にモデュロールの未来を託しているのです。
美を構成するものは、黄金比だけではない。
しかしそれはまぎれもなくその一部である。
過去幾千年も使われてきた美の比率なのです。
だから僕等はモデュロールを使い続けなければならない。
美を求める限り。
使い続ければいつかはより良い方法が見つかるかもしれない。
最後に勝つのは地道な積み重ねによる継続なのだ。
「デザイン基礎論」の課題で作成したモデュロールレポート。