フランク・ロイド・ライト【谷川正巳】

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NYグッゲンハイム美術館


コルビュジエミースとくれば次はライトでしょ...

というわけで読みました。SD選書
著者は谷川正巳氏という日本人です。
建築の教授とのことですが、この本のほかにも数冊ライトに関する著書を
訳したり記したりしているようです。

大学の図書館は春休みで閉館なので目黒区の図書館で借りました。
ちなみに1967年初版ということでAmazonではすでに古書扱い。
本の写真だけでも...といってもSD選書はどの本も全身黒尽くめなので
写真とるほどのものでも...

...というわけでライトの建築物で唯一訪れたことのある、
NYのグッゲンハイムの屋内写真をトップ画像に置いてみました。
外側は僕が訪れたときは工事をしていて見事な外観が拝めませんでした。

...さて、ライトの建築で僕が知ってるのはこのグッゲンハイムの他には
落水荘、マリーン郡庁舎、日本は旧帝国ホテルぐらいなわけですが。


この本で少しはライトの建築精神が垣間見えたような気がします。


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(出典:Wikipedia)


それにしてもドラマチックな人生。
そして凄惨な不幸に見舞われながらも絶えることのない建築への情熱。
その天才性よりもその情熱に心惹かれるものがあります。


ウィスコンシン州の田舎に生まれたライトは母アンナの直感力により、
生まれる前から建築家としての人生を運命付けられていた。
幼少の頃はフレーベルの恩物と呼ばれる独特の理論で
「自然に内在する諸法則」を理解するための教育をアンナから受ける。
やがてそれが彼の天才性へと成長してゆく。

やがて彼が唯一他からの影響力を認める師、ルイス・サリヴァンの下で働き始め、
有能な師につくことで自らの才能を開花させてゆくが
経済的理由から個人的なバイトをはじめ、それがサリヴァンの逆鱗にふれ、
ライトはサリヴァンの下を去り、独立することになる...

最初の妻キャサリンとは6人の子供を授かるもやがてその愛は冷め、
顧客の妻チェニー夫人と不倫関係になってしまう。
チェニー夫人との新しい生活のためにタリアセンという新居を自ら設計するも
使用人が発狂してチェニー夫人を惨殺してしまう。

ライトの建築人生はこの不幸の事件を境にその前後で
第1黄金期、第2黄金期に分けられます。それぞれの時期の特徴は
第1黄金期は「草原住宅」、第2黄金期は「有機的建築」と言う言葉で表現されます。


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[草原住宅「プレーリーハウス」の代表作・ロビー邸](出典:Wikipedia)

草原住宅は高さを抑え、水平方向に長いもの。
田舎に生まれ、自然の中で育った、というバックボーンからくるもので
フロンティア精神溢れるアメリカならではの建築といえます。


不幸な事件を機に第1黄金期は終わり、長い空白期間を迎えます。

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[帝国ホテル](出典:Wikipedia)

仕事の数は激減するも、建築に対する情熱は冷めず、
少ない仕事をこなしながら自分の建築理論を推し進めます。
日本の旧帝国ホテルはちょうどこの空白期間に設計されたものですが、
ただ水平に長いだけの草原住宅ではなく、
地震国日本ならではの耐震設計が随所に施されました。
その耐震性はくしくも完成直後に襲った関東大震災に耐えたことで証明されます。
現在は取り壊され、その玄関部分だけが明治村に残るのみ。
今となっては写真でしかその全貌が見れないのが残念です。

空白期間を経て、カウフマン邸(落水荘)でライトの第2黄金期がスタートします。

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[落水荘](出典:Wikipedia)

この第2黄金期は突如として突発的にスタートしたのではなく、
ただ沈黙したかに思われた空白期間が彼の建築の熟成期間となった。
自然の重要視に加えて空間の流動を意識し、垂直方向に伸びる幾何学図形。
貝殻の形状をした外観に螺旋構造の内部。
グッゲンハイム美術館はまさにそうした「有機的建築」の集大成。


[ジョンソンワックス社・社屋]

ただ本書中では「有機的」の意味を単に「生物的な」という意味合いではなく、
「組織的」「総合的」という意味合いで各ユニット(部分)の関係性、関連性を
重視してそれらが総体を表現する、という意味で捉えるべき、とあります。
建築は見るものじゃなく、住まうもの、ってことが言いたいのかな。


コルビュジエは住宅から都市計画まで幅広く、
ミースが都市部で垂直方向を軸にした高層ビルを多く設計したのに対し、
ライトが設計した多くは住宅でした。
多くの作品のうち、公共建築物は晩年に設計したマリーン郡庁舎のみ。


モダニズム建築の三人の巨匠は
それぞれ建築の対象としたものが微妙に異なるようです。

コルビュジエの自身の考えや計画が実現されなかったものが多い
(とくに都市計画は多くのうち実現したのはチャンディガールのみ)のに対し、
ライトは対象が住宅、ということもあってか実に多くの作品を残しています。
派手だった私生活からしてもなんかピカソに似ている気がします。

コルビュジエは建築を芸術として捉え、自ら絵筆も握っていましたが、
芸術性という点ではライトも負けてない気がします。

コルビュジエやミースは住む「人」を重要視したのに対し、
ライトは「自然(環境)」を重要視した。


地球に対して大きな贖罪をしていかなければならない現在においては、
どちらも重要視していかなければならず、
それが21世紀の建築に求められるものなのかもしれない。

ライトとミースとコルビュジエ。
どれが好き、どれが正しいとか選択している場合じゃなく、
三人まとめて学ばなければならない時代なんじゃないのかな。