アントニン・レーモンドの建築【三沢浩】

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私と日本建築」に引き続いてレーモンド関連の本を読みました。

「私と日本建築」がレーモンド自身の言葉であるのに対し、
本書はレーモンドの弟子による記述。
前者が主観的記述であるのに対し。後者は客観的記述。
主観と客観を知ることで、対象をより深く理解できるようになる。


ライトやコルビュジエ、ミースほど知名度は及ばずとも、
間違いなく彼は近代建築の担い手であった。
それでいて、常に近代建築の悪しき風習から抜け出そうとしていた。
目先の効率に囚われ、生産性や経済性の機能を最優先とし、
人類幸福という至上命題を忘れがちになる、
インターナショナル・スタイルの欠点に早くから気づいていた。
ライトやミースが晩年になってようやく気づいたことを、
彼は早い時期から知っていた。

それを彼は日本の建築から学んだという。


日本の理想の建築を考えるにはまたとない逸材ではないだろうか。


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[群馬音楽センター]


技術を駆使さえすれば、どこでも場所を選ばず、同じ機能が提供される。
人間の叡智があれば、自然の助けなど借りずとも、
理想社会をどこにでも築ける。

...それがマスプロの理念であり、
インターナショナル・スタイルの理念でもあった。

実際にその理念は実現され、20世紀はインターナショナル・スタイルで埋め尽くされた。
あたかもその理念は正しかったように見えた。

しかし、21世紀になって、人々はその理念の半分は幻想だったことに気づき始めた。
実際には20世紀後半にはごく少数の人々は気づいていて、ポストモダニズム、という
運動に繋がっていったけれど、あくまで表面的なもので長続きはしなかった。

...これが僕のインターナショナル・スタイルとポストモダニズムに対する現状の認識。


どんなに技術が進んでも、人間が有機体であり、自然の一員であることには変わりない。
自然を無視した環境下ではどのような機能も人間に幸福をもたらさない。
自然を無視した建築は長くは続かず、いずれ滅びゆく。
自然環境は一律同じではなく、場所や時によってさまざまな個性がある。
同じ人間でもさまざまな個性があるように。

建築も人間と同じように有機的であるべきではないのだろうか。

レーモンドはそれを教えてくれる。


「近代建築」の機能は、日進月歩の科学と技術とに追い越され、その度に変わる。そしてコンクリートや鉄材の寿命も、30年を普通と考えるようにもなってきた。これらは当然、地価の上昇や法改正に伴う手直しやつくりかえという影響を受ける。だめ直しか、新築かという経済的見地から考えればそれも合理的だと考えたいのだが、公共建築や個人の建築はそう簡単にはいえない。木造の家が軽く100年もつことがわかり、一方で鉄筋コンクリートは永久といった考え方はなくなった。だからどっちが良いかはそれらに代わる現代建築の均衡経済論に過ぎない。このセンターの更新と、市民の支持による延命こそ、「使い捨て建築」への痛烈なインパクトであり、センターはかくて残されたといえるのである。(P185 「群馬音楽センター」)

群馬音楽センターは1961年、市民の献金により建てられた。
それから30年後の1990年、老朽化が進んだこの建物を、
外観も内観もほとんど変えることなく、補修工事が行われ、よみがえった。

設計したレーモンドはすでに亡くなっていたが、
彼の建築思想は生き続けている。

理想の建築の姿と、「永遠」の意味を教えてくれる。


レーモンドの主張するところは「モダン・アーキテクチャー」であり、「モダニスティック・アーキテクチャー」でない。それも含めてここでは「近代建築」と呼んできた。レーモンドはいう。「この改革の動き-これによって生まれたあの白い四角な建物を、残念なことに大多数の人々は、現代建築の恒久的象徴とみなしている-の過程で、ますます明らかになってきたのは、機能主義だけでは偉大な建築を生み出すためには十分でないことである。(「私と日本建築」P48)」彼は機能的とか合理的という言葉を嫌った。単にチェコ人だからドイツ嫌いということではなく、ドイツ的精神の非人間的部分を憎んでいた。その正反対にあった東洋の人間的部分を愛し同調し、それが「現代(モダン)」だといい、それをここでは「近代」と読み換えたのである。だから歴史的な意味でいうと「近代主義」という日本の普通の言い方は、彼の意に沿わないに違いない。そして戦前からモダニズムの原理が日本にあったといい、それが戦後アメリカにいるうちに昇華し、レーモンドの背後にある理念として、われわれ所員が実践のために体得しようとした五原則と呼ぶ正直さ、単純さ、直截さ、自然さ、経済性になった。(P196「脱近代の方向へ」)


多くの建物はなぜ「四角い」のか。
最近の一番の疑問である。

もちろん「効率的に建てやすいから」というのが明快な答えであることは分かっている。

しかしその四角い箱ははたして、人間にとって最適に過ごしやすいスペースなのだろうか。

多くの人に最適解を与えることは社会の幸福にとって重要であることは分かるけど、
もっともっといろんな形を考えるべきではないのだろうか。


今のところ、実際に訪れたレーモンド建築は聖オルバン教会聖アンセルモ教会
群馬音楽センター札幌聖ミカエル教会


人は環境に育てられる。
良い環境が良い人間を育てる。

人々が住まう建築も、環境によって育てられるのではないだろうか。