過去にミースに関する本を2冊読みました。
・評伝ミース・ファン・デル・ローエ
・ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて
再びミースについて考える、という意味で本書は最適かな、と思って読んだのですが。
いまだに1つもミース建築を実際に訪れたことがないからか、
...さっぱり分からない。
ニューヨークに旅行したとき、シーグラムビルを見逃したことが返す返すも悔やまれる。
それにしても。
"Less is More"をテーマに極限までムダを削ぎ落としたシンプルな立方体の空間に、
どうして周囲はこうも複雑な解釈をしようとするのか、不思議でならないのだけど、
ある意味そういう状況が本当の意味での"Less is More"なのかな。
写真を見るだけでもその美しさは半端ではない。
実物を見たときの感動はいかばかりか。
(...あるいはグラフィックの魔術で、実際はそれほどでもないかもしれないけど)
しかし彼の模倣品である20世紀都市はなんと醜いことか。
そして思うのである。
「立方体は人間にとって最適な空間を与える本質的なフレームではない」
ミースだからこそ、立方体の空間を美の極みへ高められたのだ、と。
ミースの主要な作品をネットから集めてみました。
ドイツ時代、独立第一作、リール邸。
[リール邸(ベルリン-ノイバーベルススベルク、1907年)]
最初から箱ばかり作っていたわけではないんですね。
建築家への道のりは長く、巨匠といえど例外ではなかった。
建てたくとも建てられない、不遇の時代もあった。
[鉄筋コンクリートオフィスビル案(1922-1923年)](出典不詳)
不遇の時を経て、バルセロナ万博のドイツ館パビリオンで一気に開花。
[バルセロナ・パビリオン(1929年)](出典:Wikipedia)
このパビリオンに置くために設計されたチェアも世界的に有名になりました。
続いてトゥーゲントハット邸へ。
[トゥーゲントハット邸(チェコ-ブルノ、1930年)(出典:Wikipedia)
この後ワルター・グロピウスの要請でバウハウスの三代目校長に就任するも、
ナチス・ドイツの台頭によりバウハウスは3年で閉鎖、アメリカはシカゴへと亡命、
ミースの第二の建築人生が幕を開ける。
まず、就任先のIIT(当時はアーマー工科大学)のキャンパスを手がける。
その中の代表作、クラウンホール。
かの有名なファンズワース邸。
美しい建物とは裏腹に、その創造過程は愛憎劇に富み、ドロドロ感を呈す。
施主と恋仲になるも、ミースのやりたい放題の設計で予算はかさみ、遂には裁判沙汰へ。
最終的には勝訴したそうですが、建築家のあるべき姿を考えさせられる建築。
(建築家、というよりは人間としての、という方がいいかもしれないが)
水平方向に広がっていた軸線は、技術との融合に伴って垂直方向へと向かい、
シカゴを拠点とした高層ビル群へと発展する。
[建設中のレイクショアドライブ860-880(シカゴ、1948-1951年)]
しかしニューヨークは独特のマンハッタニズムが彼を歓迎せず、
フィリップ・ジョンソンの協業によりシーグラムビル一点のみ。
そして晩年は「ユニバーサル・スペース」の集大成へ。
コルビュジエやライトのような晩年の有機性への転向は見られないものの、
やりたいことをやり尽くした後の最初の原点回帰志向、というものは
やはりあったのだろうか...
[ナン島のガソリンスタンド(2007年当時)](出典:Wikipedia)
さて、本書ですが、
ミース生誕100年を記念して行われた展覧会のカタログを兼ねて発行されたもので、
各章ごとに評論家や研究者、建築家らなどのオムニバス寄稿により構成されています。
有名どころとしては第五章のピーター・アイゼンマンくらいでしょうか。
(もっとも自分はピーター・アイゼンマンさえよく知らないのだけど;;)
磯崎新の「空間へ」を読んだ直後だったので、
それよりは楽に読めるかな、と思ったけどやっぱり難しかった。
どうして建築に関する文章はこんなに難解なのだろう。
建築ってそんなに難しいことなのだろうか?
サリヴァンがやったことをわれわれがやることはないだろう。時代が異なれば、見る目も違ってくる。サリヴァンは依然ファサードというものを信じていた。それはやはり時代遅れな建築だ。構造体だけで十分なものになりうるとは考えなかった。今のわれわれは我が時代を目指している。そして建築を構造体だけで造ろうとしている。ライトと同じなのだ。彼はサリヴァンとは違っていたし、また同じ理由によって、われわれはライトとは違っているのだ。(P37 第一章 ミース・ファン・デル・ローエの生涯)
建築に時代遅れ、などという感覚があるのだろうか?
伝統は意識して造るものではなく、
本質的に良くないものは淘汰されて消え去り、
本質的に良いものだけが残っていく、という結果である。
意図的に「良くないもの」を切り捨てる作業が必要不可欠とはいっても、
古いものすべてが悪、というわけではない。
新しい技術にそぐわないかどうかがものの善し悪しの判断となるわけではない。
それは人々の感覚に訴えかけるもので決められるべきである。
人は世代を超えて「住み」続ける。
それは変わらない。
ただその「住み方」が時代によって変わるだけである。
同じ建物でも住み方を自由に変えられる。
それがミースのいう「ユニバーサル・スペース」ではないのか。
二つの煉瓦が注意深く置かれるとき、建築は始まる。建築は文法の規律を持っている言語である。言語は散文のような通常の日々に目的のために使われうる。そして本当に良ければ、詩人となれるのだ。(P72 第二章 ミースの作品におけるモダニズムと伝統について)
詩も芸術も、美しい建築も、特定の人々だけのものではない。
それらはすべての人々に向けられているものなのだ。
われわれは、すべての美学的思弁、すべての教義、すべての形式主義を拒絶する。建築は、空間に翻訳された時代意志である。それは、生き生きとして、変わりやすく、新しい。(P105 第三章 ミースと高層建築)
形式も、結局は結果論で論ぜられるべきなのであろう。
予想論で論じようとするから、上手くいかない。
好きにやれば良いのだ。
本質的に良いものであれば残ってゆき、そうでなければ淘汰されて消えゆくだけである。
淘汰は別に悪ではない。
静寂こそ、ミースの建築と思想の鍵である。それは反論の余地のない価値であり、やはり中世の伝統に根ざした意義であることが、マイスター・エックハルトの説教、『私の願ったすべてのレクイエムの中に』に見事に例示されている。「造物主がすべての被創造物を作ったときの意図は何であったかを簡潔に述べるならば、こう言うであろう、静寂、と。そして聖なる三位一体がそのすべての行いの中で常に求めているものは何かと尋ねられたなら、私は答えたであろう、静寂、と。そして魂がその動きすべての中で求めるものは何かと尋ねられたなら、私は答えたであろう、静寂、と。そしてすべての被創造物がその自然傾向すべての中で求めるものは何かと尋ねられたなら、私は答えたであろう、静寂、と・・・・・・どんな被創造物も静寂ほど神に似ることはない」このような似姿こそ、ミースの仕事の目標であって、集中しながらも、この静寂が「事実」にとって到達しえないものだと十分気づいていたのである。(P159 第四章 ミースの文化を彼の筆にたどる)
静寂を求めて作りあげたものが、結局は騒乱のシンボルになってしまった。
これほど皮肉なこともない。
創造主が悪なのか、はたまた解釈を間違えた周囲が悪なのか。
前者を悪、と言ってしまうには、あまりにミースが哀れである。
このバルセロナ・パビリオンは、ミースの作品において柱を初めて使っている。同時にそれは、表記的道具と化している。ル・コルビュジエにとって柱は近代建築の真髄たる象徴であった。彼の用いる柱の典型は、丸く、ファサードからセットバックし、規範的な「自由な平面」と「自由な立面」を形成するもので、それらはモダニズム建築のトレードマークとなっていくのであった。ミースにとって、柱は記号として使われるもので、象徴ではなかった。バルセロナ・パビリオンでは、柱は、壁から離されながらも、後退するというより前に出るように置かれている。その十字型形態のゆえに、正方形の空間がつながっている連続空間の各コーナーを決めるために置かれているかのようである。しかし実際には、コーナーの欠如を物語っているのだ。これはミースが鏡面のようなステンレスを使ったことで強められ、柱は映し合ってその無限さ-その不在という存在-を倍加している。(P172 第五章 ミース・ミメシス・ミスリーディング)
結局「象徴」と「記号」の差は何なのだろう?
そこがイマイチ分からない。
コルビュジエが柱をセットバックさせたのに対し、ミースは前面に押し出した。
前面に押し出された「記号」は我々にどのような効果を与えたのだろうか。
これが「広告」の原点だとするならば、
我々はまたしてもその解釈を間違っている。
建築とは本質的にそもそもテクスト的なものである仮定するなら、文学が在来の方法で吟味されてきたのと似た方法でそのテクストを読み、解読し、解釈するという内容の議論に加わることが理にかなっているし相応しくもある。そうすることによって、建築のテクスト性に関する確実な特徴を発見することが可能である。それとも、建築は伝統的にその中に住まうという「信念」ともいうべき言葉の観点から知覚されてきたと推定することも同様に可能であることから、その解釈に対し、その信念を構成する特徴を再吟味することで建築世界のの新しい領域があらわになるかもしれない。どちらのシナリオでも、建築的テクスト性への宗教的つながりの確立が、浮かび上がってくる理論の本質的なものとなる。というのも、「解釈」も「信念」もどちらも同じように、ただしそれぞれ独特な、神と人間との関係を表すものであるからだ。(P183 第六章 ミースとその弟子)
この「テクスト」という言葉に惑わされる。
「テキスト(言葉)」なのか?あるいは「テクスチャ(質感)」なのか?
上記の引用を読む限りどうやら前者のようであるが、
なぜ建築が本質的にテクスト的なのか、いまいちピンと来ない。
言葉は抽象的なものである。
イメージを抽象化することで人々は同じ「情報」を効率的に共有できるようになった。
しかし一方で言葉は「感覚」まで抽象化してしまった。
それを補うために絵画や彫刻、音楽などの芸術が生まれた。
はたして建築は本質的に言語的なのだろうか。
あるいは芸術的なのだろうか。
...たぶん両方を含むのだろう。
ミースの建築を実際に訪れた後で、もう一度読み返したら、
もっと本書の内容が理解できるのかもしれないな。