ユルバニスム【ル・コルビュジエ】

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今年最後の読書レビュー。

ル・コルビュジエの「ユルバニスム」。

毎回難解な文章に苦しめられながらも、何度も手を伸ばしてしまう。
それだけコルビュジエの建築が魅力的だということなのだけど、
日本にはコルビュジエの建築は国立西洋美術館しかなく、
イメージと言葉からしか彼の建築を知る手だてがない。

そしてやっぱり言葉からではコルビュジエの建築哲学はピンと来ない。


「ユルバニスム」とはいわゆる「都市計画」ということなのだけど、
僕はいまだに都市計画そのものがピンと来ない。
建築家としてのコルビュジエには大いにインスパイアされるのだけど、
都市計画家としてはよく分からない。

唯一実現した、チャンディガールにしても、
建物個々は魅力的ではあるけれど、
都市としてははたしてどうだったのか。


そもそも、成功した都市計画などあるのだろうか。
パリ、ロンドン、ベルリン、ニューヨーク、そして東京...
それぞれの都市には個性があり、それなりの魅力があって、
それなりの光と闇を抱えている。


自然が人智の及ばない神の操作があるように、
都市にもそういう部分があるのではないだろうか。

完全な都市などない。
人智による完全な操作が可能な都市が実現したとして、
はたしてそういう都市に魅力はあるのだろうか。



人間は、目的をもつゆえ真っ直ぐ進む。人間は行く先を知っている。どこかへ行こうと決心し、そこへ真っ直ぐ進む。ろばはあちらこちらし、放心し、気が散ってちょっと立ち止まり、大きな玉石をよけるため、坂を避けるため、影を求めるため、あちらこちらする。できるだけ努力しない。人間は理性によって感情を統御し、抱く目的のために感情と本能を抑制する。知性によって獣性を支配する。人間の知性は、経験から生じた規則をうち立てる。経験は働くことから生まれ、人間は死なないために働く。生みだすには、行動の方針が必要であり、経験の規則に従わなければならない。あらかじめ結果を考えなければならない。ろばは、しないで済ますこと以外にはまったく何も考えない。ろばがヨーロッパ大陸の都市の道筋を引いた、不幸にもパリをも。(ろばの道、人間の道)


オスマンのパリ大改造を非難し、マンハッタンの摩天楼を批判する。
しかしそのパリとニューヨークはいまだに健在し、
コルビュジエの唱えたヴォワザン計画はいまだに実現していない。
それはなぜなのだろう?

人口の過密を防ぐために、超高層ビル群を林立させ、
ビルとビルの合間は日光が届く距離だけ離し、緑で満たす。
言わんとするところはよく分かる。
分かるのだけど。

コルビュジエが唱えるものは建築のマスプロ化である。
究極の効率化である。
個性を無視してすべてを均質化する。
21世紀、人々はマスプロの果てに見えたものは幻であることに気づいた。
21世紀は「個」の時代である。
コルビュジエのヴォワザン計画が実現することは、
少なくとも資本主義社会にはないだろう。

コルビュジエ自身、晩年はその予兆に気づいていたのではないか?
それを感じさせるのがロンシャンの自由な曲線である。

今の時代、コルビュジエから学ぶことはなんなのか?

僕らは確かに直線から逃れることはできない。
しかし、直線をただ効率化の道具として箱に活用するだけでなく、
直線を利用してHP曲面などのような有機性、
つまり「人間らしさ」を表現することができるはずである。

「便利さ」を否定するわけではない。
しかし、その便利さに安住するのが人間の目的ではない。
「工夫」の心であえて困難を克服する。
その先にこそ、人間の求める幸福がある。


...箱をねじった僕の卒業制作には、そんな想いが込められている...はず。


読むスピードは遅いながら、今年もたくさん読みました。
建築に限らず、芸術、哲学、宗教分野まで幅広く読めた気がします。
そして多くのことが学べた。

卒業しても図書館は使えるみたいなので、
来年も読み続け、学び続けたい、と思う。