カトリック麹町聖イグナチオ教会【坂倉建築研究所|東京都千代田区】

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初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(アレルヤ唱 ヨハネによる福音)


大学で西洋の芸術をメインに学んでいることもあって、
今年は、よりキリスト教に関心を持つようになった。

信者ではなく、あくまで学者として。

自分にはまだ疑いの心がある。
疑いを晴らしてゆくには学んでいくしかない。

愛を知るには学んで、感じて、身に染みこませるしかない。


クリスマスは「キリストのミサ」の日ということを知って、
ワイワイ騒ぐよりも、静かに祈りたいと思った。
今月祖父が他界したこともあり、なおさらそう思った。


しかし。
たまの休みとなると、どうしても朝寝をして午睡を貪ってしまう。

ようやく出かけようと思って家を出たのはもう日も傾きかけた頃。
とりあえず一番近くの田園調布教会に行っては見たものの、
クリスマスだというのに聖堂が閉まっている。


あきらめきれず、前から行きたいと思っていた、
四谷の聖イグナチオ教会に行くことにした。

現在の建物は1999年に坂倉建築研究所により、それまでの木造教会からRC造へと建て替えられました。


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多摩川からだと、南北線直通で四谷まではなんと30分で行けてしまう。
しかし、間違えて三田線直通のほうに乗ってしまわないように。

おかげで四ツ谷駅に着いた頃にはもう夕闇が広がりはじめてた。

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18時からミサがはじまるとあって、続々と人が集まってくる。
内部はとくに撮影禁止、というわけでもないのだけど、
やはり真剣に祈っている人のそばで
あまりカメラをパシャパシャさせるわけにもいかない。

...と思いながら、一応気を配りながら、内部をパシャパシャ。


坂倉建築研究所設計の内部はやはり素晴らしいんだもの。

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天井一面に広がるハスの花。
キリスト教界というより、ブッダの仏教界的。


中央祭壇にはキリスト。

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後方にマリア。

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パイプオルガン。

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聖水?

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階段。

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外部階段。

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回廊。

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ステンドガラス。

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いまさらながら、Photoshopのシャープ機能は便利だ。
暗くてピンぼけしがちな画像をある程度まで補正してくれる。


結局ミサは受けなかった。
ぞくぞくと集まってくる人々を見ているうちに、怖じ気づいたのである。
信者でもない自分がミサを受けても良いのか、と思ってしまったのである。

...その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(アレルヤ唱 ヨハネによる福音)


僕が心からミサに参加できる日はいつなのだろうか。


【information】オフィシャルサイト

アクセス:JR・地下鉄四ツ谷駅下車すぐ

※注意!:本来は神に祈りを捧げる神聖な場所です。
    宗教に対する真摯な気持ちを持ち、節度ある行動を心がけましょう。