祖父、逝く

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12月1日午前零時過ぎ、祖父が他界した。


享年83歳。
晩年の4〜5年は入退院繰り返しのほぼ寝たきり生活だったけど、
やりたいことをやっての大往生だったと思う。


良い葬儀だった。

大学の卒業制作最終提出が迫っており、
経済的にもかなり苦しい時期だったので、正直迷った。
でも、やっぱり帰って良かった。
祖父の死に顔を見ることができて良かった。

見る影もなく、痩せこけて小さくなっていたけど、
穏やかな死に顔だったと思う。


祖父は寡黙で、一緒に暮らしていたときもほとんど意思疎通もなく、
僕が上京してからはなおさら縁遠い存在となってしまった。
たまに電話しても、会話が続かず間が持たなかった。
そのためか、正直言って祖父の死に対する悲しみは薄かった。

それでも父に捨てられた自分にとっては、
祖父は父親役を演じてくれた人だった。保護者となってくれた人だった。
どんな人でも、何も言ってくれなくても、
長くそばにいてくれれば情が湧く。


だからやはり祖父には感謝したい。

ありがとう。

安らかにお眠りください。


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子どもの頃に、曾祖父、曾祖母、叔母の葬儀を経験したものの、
成人してからは友人の父の葬儀に一度参加したきりで、
恥ずかしながらこの歳にして、
葬儀の手順やマナーについてはよく知らなかった。

離れて暮らしていることもあって、お通夜を含めて葬儀の準備に関しては
何一つ手伝うこともできず、葬儀の直前にかろうじて間に合った。

すでに親族の大半がそろっていて、
小さかった幼ななじみたちがいい大人になっていたりして、
まさに浦島太郎状態だった。

祖母や叔父夫婦は葬儀に帰ってきただけで、喜んでくれた。
滅多に実家に寄りつかない親不孝者を責めることもなく、
葬儀会場の最前列に座らせてくれ、焼香させてもらい、献花させてもらい、
骨を拾わせてくれた。

いまさらながら、あらためて僕に家族を与えてくれた祖父母の愛を感じた。


それにしても、葬儀ってけっこう時間がかかるものなんだなあ。
うちは浄土真宗で、いわゆる「お寺」さんによる葬儀なのだけど、
葬儀のとりまとめそのものは葬儀屋さんにおまかせ。

朝7時前に新幹線で広島へ。
葬儀会場に直接向かい、13時に葬儀開始。
その後出棺、火葬場に移動して火葬、
お寺に移動して再度お経をあげた後、
家に戻ったのは実に19時過ぎ。

開始時は守っていた天気も、終わる頃にはかなりの雨となった。
天も祖父のために涙を流したのか。


葬儀には父も来ていた。

不思議と普通に話せた。
若い頃はあれほど嫌悪し、軽蔑し、避け、
自分の結婚式にもよばなかった人なのに。

まだいわゆる普通の親子ほどの意思疎通はなく、ぎくしゃく感はあったけど、
不思議と嫌悪や軽蔑の気持ちはなくなっていた。
心の奥深くでは自分の父を憎みたくない、好きになりたい、という願望が
あったのかもしれない。
血筋を憎むことは、自分を憎むことであり、
自分を憎むものは幸せにはなれないのだから。


今回の葬儀は喪主は祖母だけど、
実質の準備は叔父と父の息子兄弟二人で行ったらしい。
僕には祖父以上に縁遠かった「子どもを捨てた父」という存在でも、
叔父にとっては昔から「尊敬する兄」という存在だったらしい。

人間は多面的な生きものである。
良いところもあれば、悪いところもある。
悪いところだけ見てその人を憎んでいては、
自分だけではなく、周囲を傷つけることにもなる。


叔父が祖母譲りのしゃべり上手、社交上手のサービスマンであったのに対し、
父は技術の人、職人の人、「作る人」だった。
父から教えてもらったことなどなに一つないはずなのに、
父よりも叔父のほうがずっと僕の近くにいたはずなのに、
父の生き方を軽蔑し、叔父の生き方を尊敬しているはずなのに、
僕は父と同じ「作る人」を目指そうとしている。

これが家族の「血」というものなのだろうか。


祖父を失った祖母は、意外にもさばさばしていた。
強い女性だから、ということもあるかもしれないけれど、
最後の最後まで祖父に尽くし抜いたから、後悔の念が一切ないのだろう。
これが愛であり、生きるために必要な「強さ」なのだろう。
祖父も人の子だから、聖人君子ではないのだから、
時に人に迷惑をかけたり、嫌われるようなこともしたかもしれない。
それでも祖母は祖父を信じ、愛した。

僕は彼女から愛を教わったのだ。
このことだけは、僕は誰になんと言われようとも信じたい。


祖母には、これからはやりたいことをして、残りの人生を謳歌してもらいたい。
そのためのお手伝いを何かしたい。

まずは昔ながらの我が家がゴミ屋敷と化しているのを何とかしたいな。
...その想いが僕を建築へと向かわせているのかも知れない。
その道はけっこう厳しく、遠いけど。

とにかく、僕も祖母のように後悔が残らないようにしたい。
人は実現できることしか望まないものだ。


今回、葬儀に参列できて本当に良かった。
あらためて家族の絆を感じることができた。
祖父の最後のプレゼントだったのだろう。


最後にもう一度。

お父ちゃん、ありがとう。
安らかにお眠りください。