12月1日午前零時過ぎ、祖父が他界した。
享年83歳。
晩年の4〜5年は入退院繰り返しのほぼ寝たきり生活だったけど、
やりたいことをやっての大往生だったと思う。
良い葬儀だった。
大学の卒業制作最終提出が迫っており、
経済的にもかなり苦しい時期だったので、正直迷った。
でも、やっぱり帰って良かった。
祖父の死に顔を見ることができて良かった。
見る影もなく、痩せこけて小さくなっていたけど、
穏やかな死に顔だったと思う。
祖父は寡黙で、一緒に暮らしていたときもほとんど意思疎通もなく、
僕が上京してからはなおさら縁遠い存在となってしまった。
たまに電話しても、会話が続かず間が持たなかった。
そのためか、正直言って祖父の死に対する悲しみは薄かった。
それでも父に捨てられた自分にとっては、
祖父は父親役を演じてくれた人だった。保護者となってくれた人だった。
どんな人でも、何も言ってくれなくても、
長くそばにいてくれれば情が湧く。
だからやはり祖父には感謝したい。
ありがとう。
安らかにお眠りください。
【多摩川からの初日の出】
叔父夫婦から年賀状が届いた。
「連絡がないのが元気な証拠と思っていますが...;;」
...心が痛んだ。
祖母への手紙は投函したのだけど、
隣に住んでいる叔父夫婦とは疎遠なのだろうか。
祖父の看病に忙しいのだろうか。
こういうときでもなければなかなか連絡しづらいので、
やはり叔父夫婦に手紙を書こうと思います。
叔父夫婦は僕の理想の家族だ。
大晦日、ということで。
大掃除、というほどのものでもないけれど、
散らかっている本やチラシなどを片付け、掃除機をかけ、
ベッドのシーツを換え、洗濯をした。
久々にキレイな部屋となり、
無事新年を迎えることができそうです。
...というわけで恒例の今年1年の反省会。
孤独を感じるとき、自分の人生について何度もふり返りたくなる。
それは過去への遡行ではなく、未来へ進むための整理である。
明るい未来へ進むために、僕は何度も後をふり返る。
それが今、孤独でいることの理由なのだから。
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ものごころついたときには既に、
僕と妹を生んだ母は僕たちの前から姿を消していた。
父は僕らとつかず離れずの距離にいたけれど、
僕らに手をさしのべることもしなければ、語りかけることもほとんどなかった。
彼がしてくれたことは、血の繋がらない祖母に、
僕と妹の世話を押しつけたことだけだった。
父の意志だったのか、厳格な気性の祖母が父にそうさせたのかは分からない。
ただ子供に対する強い愛情があったなら、
親がなんと言おうと自分の子供を手放したりはしなかったはずだ。
とにかく父は僕と妹の養育を放棄した。
実際、僕らの養育費を父が祖母に払っていたらしいけれど、
僕の眼には「子供を捨てた父親」という像にしか映らなかった。
それがたぶん僕の心を無意識に外に対して閉じさせる。
祖母の厳しい躾がかろうじて、
僕を自我の奥深くにある深遠へ落ちていくのを防いでいた。
大学が冬休みに入りました。
今年も実家には帰りません。
...というより帰れない。
大学に入る直前に帰ったきりだから、
もうまる3年帰っていない。
懐事情が厳しい、というのもあるけれど、
正直なところ今の自分の姿を親に見せるのが恥ずかしい、というのが本音。
本来なら親孝行の一つもしなければならない時なのに、
なにもできない自分が情けなく、申し訳ない。
そんな負い目からか、なかなか実家に電話も出来ない。
だからせめて。
...手紙を書こうと思います。
若い頃。
わけもなく、身体の中からエネルギーが溢れてきて、
なにかをやるのに特別な理由など必要なかった。
合気道をはじめたのは、
社交ダンスのように男女仲良く手と手を取り合って踊るように舞う様子が
楽しそうに見えたからだし、
スキーをはじめたのは、「私をスキーにつれてって」を見て、
自分も三上博史のようにカッコ良く滑りたいと思ったから。
ただそれだけで、合気道は14年間、審査が終わる四段まで、
スキーはSAJの準指導員を取得するまで、一心不乱に打ち込んだ。
決してセンスがあるほうではなかったけど、
ちょっとした発火で、勢いよく燃えることができた。
今。
知識と経験を積めば積むほど、
なにかをはじめるには「特別な理由」というキーが必要になる。
そしてそのキーは簡単には見つからない。
見つかっても新しい世界へのドアは簡単には開かない。
ホッキョクグマの人工飼育の様子を取材したドキュメント番組の映像が
テレビの画面に流れていた。
こういう動物番組を見るたびに人間の身勝手さを思う。
飼育員と動物たちの間に愛は生まれるだろう。
同様にペットと飼い主の間にも愛は生まれるだろう。
しかしそれが動物たちにとって本当の幸せなのだろうか。
檻の中にいる姿は彼らの本当の姿なのだろうか。
愛というものは、
彼らの本来の生態を侵さなければ、得られないものなのだろうか。
僕には友達が少ない。
以前はそれを自分の人望の薄さだと、コンプレックスに思っていた。
でも最近になって思うのは、
友達が少ない、という選択をしているのは自分自身ではないか、ということ。
自分自身が友を得ようとしていないから、友がいないのだ。
なぜだろう?
デジハリ時代の友人が久しぶりに電話してきた。
特に用があったわけじゃなく、なんとなく久しぶりに声が聞きたくなったのだとか。
...その友の声が僕の背中を押してくれた。
およそ6,7年ほど前の話だけど。
カンフー映画は好きだけど、本場に行きたい、というほどでもなく、
ブランドショッピングに興味があるわけでもない。
ただ知り合いの家族が香港に赴任している、ということで訪ねました。
HISのパッケージツアーで3泊4日くらいで確か39,800円くらいだったかな。
たくさん写真撮ったけど、パソコンの故障で唯一残ってたのが上の1枚。
マカオのお寺の線香。
日本と違って黄色く、螺旋状に渦を巻いています。
かれこれ7,8年ほど前の話。
海派か、山派かと訊かれれば、山派と即答する。
スキーが好きだし、泳ぐの下手だし、海の塩水が嫌い。
僕にとって海の青は今のところ見るためだけにある。
そんな僕が南国の楽園、モルディブに行った。
この旅行は特別なものだった。
行く直前までモルディブがどこにあるかも知らなかった。
インド洋に浮かぶおよそ1200もの島から成る群島国家。
行きは首都マーレまで直行し、帰りはスリランカ経由で帰ってきた。
マーレからは小型の水上飛行機で目的のリゾートアイランドへ飛ぶ。
このときはHOLIDAY ISLANDという小さな島に1週間ほど滞在しました。
HISによるオール・イン・ワン・パッケージツアー。
海は苦手、といってもやはりそこは楽園だった。