ルイス・カーン建築論集

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ルイス・カーン建築論集 (SDライブラリー)


ルイス・カーンの建築論集をやっと読み終えました。

今回はSD選書ではなく、SDライブラリー。
もっとも現在ではSD選書のほうでも同内容のものが出てるみたいですが。
SD選書の基本カラーが黒なのに対し、SDライブラリーは白です。


最初の数ページでかなりインスパイアされたのですが、
その後はライトほどまでとはいかなくともやはり難解な内容で
読むのに苦労しました。

この本は講演会でのスピーチやインタビューなどを集めた十章構成なのですが、
繰り返し繰り返し同じキーワードが登場してきます。
たぶんそうでもしなければ彼の伝えんとする本質が見えてこないからなのでしょう。

こうして読み終えたあとでもやはりその半分くらいしか彼のいわんとすることが
理解できなかった気がします。


それでもこの本から学ぶことは多かった。


人は自分自身でないものを学ぶことはできない。



[キンベル美術館]


[Yale Center for British Art]


これまで「学ぶ」ということは、自分にないもの、新しいものを知識や技術として
自分の中に取り込むことだと思っていました。

しかし「元初」において人は自分自身の全てを知っていた。
しかしこの世に生を受けた時点で全てを忘却した。
「学ぶ」ということはその忘れてしまった自分自身を思い起こすことなのだ。

だから自分自身にないものを人は学ぶことはできない。

物理学者でないものが物理を学ぶことはできないのだ。

だから人は自分が何を学ぶべきか、それを知る必要がある。
それが本質を見いだす、ということなのでしょう。

僕はそれをこの一人の建築家から教えられた。
だから僕が学ぶべきものはやはり「建築」なのだろうか。
それとも建築家はただ気付かせただけでほかに学ぶべきものはほかにあるのか。
その辺はまだ僕の中では曖昧なまま。


マーケットプレイスとユニバーシティの関係も面白かった。
人は本質を見いだすために一生をかけて学ばなければならない。
そのための場所がユニバーシティ。

しかし本質を見いだす活動以外に人は生物としての生存活動もしなければならない。
その生存活動をするための場所が「マーケットプレイス」。

全ての人は生きていくためにこの2つの場所が必要なのです。


人間の存在を考えるとき、世界には沈黙(Silence)と光(Light)があって、
沈黙は人間の表現せんとする願望、光は全存在(Presence)の賦与者。
物質は燃え尽きた光。
沈黙と光の間の閾が「インスピレーション」。

建築はプレゼンスをもたないが、しかし精神の自覚として存在する。
フォームとシェイプ。
フォームはより本質的なもの、シェイプはより実際的なもの。
フォームhが不可分な諸要素の統合を認識すること。

インスティチューション(institution: 制度、機構)
オーダー(order: 秩序)

自然は家を作らない。
自然は人間が作るものを作ることができないが、
人間が作る全てのものは自然を参照にしている。

...正直この辺はまだよく分からない。
でもいつかは理解したいと思うし、理解するときが必ず来る、という予感もする。


建築は形ではない。
建築を表すために、目に見えるものにするために目の前に形はあるけれど、
それは建築そのものではない。

建築は目に見えない空間を内包する。
本質は目に見えないものだから、空間が本質を指していると言える。

本質を内包するもの。
自然界と本質との閾-それが建築だということなのでしょうか。


...いつかまた、もう一度この本を読みたいと思います。