夏休み三日目は福井県。
現存十二天守の一つ、丸岡城を後にして、海岸へと車を走らせる。
国の天然記念物であり、名勝にも指定されている東尋坊へ。
自殺の名所として有名ですが、もちろん自殺願望があるわけではなく。
その昔、平泉寺というお寺には数千人もの僧侶がいて、
そのなかに東尋坊という暴れん坊の悪僧がおり、近隣の民百姓を苦しめていた。
東尋坊にはあや姫という娘をめぐって争う恋敵に真柄覚念がいて、
覚念と結託した僧侶たちはある日断崖絶壁で酒宴をはじめ、
泥酔した東尋坊を崖の上から突き落とした。
その後49日間、東尋坊の無念により海は大荒れとなった。
...というのが東尋坊の名の由来だそうです。
最初の犠牲者は東尋坊その人だったんですね。
念願の三佛寺を参拝してきました。
本寺は鳥取県のほぼ中央、三朝温泉奥の三徳山(標高900m)に境内を持つ天台宗の山岳寺院です。
中国観音霊場 第三十一番札所
伯耆観音霊場 第二十九番札所
百八観音霊場 第三十六番札所
国指定名勝・史蹟
国立公園 三徳山
日本遺産認定第1号
開山は慶雲3年(706年)、役行者(えんのぎょうじゃ)が修験道の行場として開いたとされる。
役行者が蓮花の花びら三弁を散らしたところ、
一つは四国の石鎚山、一つは吉野、そしてもう一つが三徳山に落ちた。
そこで役行者は三徳山に堂宇を建て、法力をもって投げ入れたのが奥の院の投入堂...
という伝説がありますが、実際のところ投入堂が実際どうやって建てられたのかは今なお謎のままだとか。
その後、嘉祥二年(849年)、慈覚大師(じかくたいし)によって伽藍(がらん)が建立され、
阿弥陀・釈迦・大日の三尊を安置したので三佛寺といわれるようになったそうな。
かねてより行きたかった場所だけにけっこうなボリュームになりました。
そこで本堂までの参道部分と、本堂裏から奥の院の投入堂までの登山道部分の2パートに分ます。
前記事では本堂までの参道を紹介してきましたが、
本記事ではいよいよ奥の院の投入堂をめざします。
念願の三佛寺を参拝してきました。
本寺は鳥取県のほぼ中央、三朝温泉奥の三徳山(標高900m)に境内を持つ天台宗の山岳寺院です。
中国観音霊場 第三十一番札所
伯耆観音霊場 第二十九番札所
百八観音霊場 第三十六番札所
国指定名勝・史蹟
国立公園 三徳山
日本遺産認定第1号
開山は慶雲3年(706年)、役行者(えんのぎょうじゃ)が修験道の行場として開いたとされる。
役行者が蓮花の花びら三弁を散らしたところ、
一つは四国の石鎚山、一つは吉野、そしてもう一つが三徳山に落ちた。
そこで役行者は三徳山に堂宇を建て、法力をもって投げ入れたのが奥の院の投入堂...
という伝説がありますが、実際のところ投入堂が実際どうやって建てられたのかは今なお謎のままだとか。
その後、嘉祥二年(849年)、慈覚大師(じかくたいし)によって伽藍(がらん)が建立され、
阿弥陀・釈迦・大日の三尊を安置したので三佛寺といわれるようになったそうな。
かねてより行きたかった場所だけにけっこうなボリュームになりました。
そこで本堂までの参道部分と、本堂裏から奥の院の投入堂までの登山道部分の2パートに分ます。
まずは本堂までの参道部分をレポートします。
宇和島市の天赦園。
宇和島藩の七代藩主・伊達宗紀(むねただ、号:春山[しゅんげん])が1866年につくった隠居所です。
池泉回遊式庭園であり、昭和43年に「名勝」の国指定を受けました。
「天赦園」という名前は伊達政宗公が隠居に際し群臣たちに示した述懐の漢詩に由来します。
先月の初訪から1ヶ月。
天赦園のオフィシャルブログを見ていたら、
一番の見所の白玉上り玉藤が23日ごろにピークを迎える、というので
夜勤明けの日曜日、眠い目をこすりながら一路宇和島へ。
日曜日で天気も快晴、ということもあって前回よりたくさんの人でにぎわってました。
たった1ヶ月で園内は色とりどりの花が咲いていて、劇的に雰囲気が艶やかになっていました。
「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」(孟子)
東京でミュシャ展、並河靖之展の二つの展示をはしごした後、急ぎ水戸へ移動、
駅周辺のホテルに宿泊した翌朝。
水戸で二つの展示をはしごする前に、偕楽園に行ってきました。
1月にNHKで放送された「ブラタモリ」をみて、行きたいなあと思っていたところに、
急遽決まった上京計画。
これはもう、行くっきゃない、と。
水戸の偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つで、
天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主、徳川斉昭公が、
「領民と偕(とも)に楽しむ」場にしたいと願い創設しました。
斉昭公は陰陽の調和の大切さに重きを置き、
陰陽の調和を図ることを「一張一弛」(弓を張ったり、弛めたりすること)を例にして示し、
勤労と休息の適切さが治世の要点であることを強調しています。
学びの場である弘道館に対する休息の場として偕楽園は創設されました。
馬上に少年過ぎ
世は平にして白髪多し
残軀は天の赦す所
楽しまずんば是を如何せん
(伊達政宗)
馬に乗って戦場を駆けた若かりし頃は過ぎ、
太平の世となり、自分の髪の毛もすっかり白くなってしまった。
戦禍を生き延びることができたのも、天が自分を赦してくれたからであろう。
ならば余生を楽しまなくてどうするか。
宇和島城に続いて愛媛県宇和島市の天赦園に行ってきました。
宇和島藩の七代藩主・伊達宗紀(むねただ、号:春山[しゅんげん])が1866年につくった隠居所です。
池泉回遊式庭園であり、昭和43年に「名勝」の国指定を受けました。
「天赦園」という名前は伊達政宗公が隠居に際し群臣たちに示した述懐の漢詩に由来します。
宇和島へは2014年に一年間、職業訓練校にほぼ毎日通いました。
天赦園のそばも何度も通ったけれど、結局中へ入ることは一度もなかった。
近くにあっても意識できないものってたくさんあるんだな。
京都・東福寺に行ってきました。
二年前に東京のワタリウム美術館での展示を見て以来、訪れてみたかった場所。
「京都最大の伽藍」で紅葉の名所「通天橋」で有名なお寺ですが、
僕の一番のお目当ては重森三玲の「八相の庭」。
東福寺は大きく「通天橋・開山堂エリア」「方丈エリア」「本堂エリア」の3つのエリアに分けられます。
うち本堂エリアだけが無料拝観でき、他の2つはそれぞれ入場料が必要です。
残念ながら粉雪が舞う寒い日での観覧となりましたが、
やはりそこは素晴らしい空間なのでした。
遅めの夏休み最終日。
馬路村から室戸岬へ。
前日の山から一転して海へ。
正直最終日の室戸は、今回の旅ではオマケ程度に考えておりました。
メインは沢マンと魚梁瀬の千本山で、せっかくその辺までいくなら
もう少し足を伸ばして室戸まで行こう、的な。
西予市が日本ジオパークを目指して頑張ってるし、
世界ジオパークに認定された場所がどげなもんか見てやるか、的な。
いざ、行ってみると。
いやー、スゴイ。
さすが世界認定は違う。
ただ岩がそこにあるだけなのにワクワクするのはなぜだろう。
ハイヒール履いてるネーチャン、サンダル履いてるニーチャン、
大地をしっかり踏みしめんとここは堪能できんぜよ!
今年最後の記事です。
今回のプチ旅行のメイン目的は大塚国際美術館でした。
そのボリュームから一日いてもいいかなあ、と思ってたのですが、
フタを開けてみたら午前中で観終えてしまいました。
で、せっかく鳴門まで来たのだから、と鳴門海峡の大渦を見ることに。
鳴門海峡には四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋がかかっているのですが、
その橋桁下空間の四国側に450mの海上遊歩道「渦の道」が設けられています。
渦の道の4箇所の休憩所と展望室には床の一部がガラス窓になっており、
大渦の様子を観察できるわけです。
しかしいつもいつも大渦が見れるわけではなく、
大渦が見れる時間帯、というものがあるわけで。
残念ながら今回はその時間帯から外れていて、
かつその時間帯まで待つ余裕もなく、大渦を拝むことはできませんでした。
しかしやっぱり絶景ポイントであることに変わりはなく。
一年の最後を「良いもの」を見て終えることができることに感謝。
内藤建築のある牧野植物園。
五台山という丘の上にあるのですが、
その植物園の隣に立派なお寺があるではないですか。
四国八十八ヶ所霊場の第三一番、竹林寺。
ここには、五重塔や仏陀像、日本庭園まであって、
これまで訪れた霊場(...といってもまだ四つですが)の中でも、
とりわけ立派なもの。
今回はとくに八十八ヶ所巡りをしてたわけではないのだけど、
立派な寺院を目の前にして素通りするわけににもいくまい。
日本の宗教建築は主にインドや中国から派生したもので、
それらの建築との共通点が多く見られるけれど、
それでもよく見ると、日本建築独自の雰囲気というものがあり、
その正体を見極めることが、日本の良さを再認識することになる。
「良さ」は新しく作る必要はない。
目の前にあるものをしっかり見つめるだけで、見えてくるものがある。
鉄とコンクリートの登場で人間社会の建築は一変した。
より正確で効率よい生産方式で建築の生み出す空間はメガスケール化した。
しかしそのスケールは本当に人間に必要なものなのだろうか。
元々そんなに正確でない人間の身体に、正確に計算された空間が必要なのだろうか。
計算されつくした空間は、人間に窮屈さを感じさせる。
木は鉄やコンクリートほどの耐久性はないかもしれないけれど、
人間に近しいその存在は親近感を感じさせ、「やすらぎ」を与えてくれる。
材料そのものは朽ちても、「かたち」は残り続ける。
「よいもの」とはそういうものだ。
愛媛へ移住する直前、実家へ帰省した折に、
山口県岩国市の錦帯橋を訪れました。
木造でだってこんなに立派なものができる。
いや、木造でなら、こんなに人間にとって心地良いものができる。
故郷・広島。
実家は広島市の隣の安芸郡海田町。
家族が市内で喫茶店をしていたこともあり、
子供の頃は市内によく出かけていた。
二十歳で上京した後はなかなか故郷に戻ることもないのだけど、
ここには自分の原風景がある。
世界で初めて原子爆弾による爆撃を受けた街として、
平和の街、というプライドがある。
それでも久々に故郷に戻ってみると、
故郷について十分知っているようで知らない部分がまだまだたくさんある、
ということに気付かされる。
ちょっと距離をおいて眺めることで見えてくるものもある。
お伊勢参り、外宮の次は内宮。
外宮から内宮への移動はバスで15分程度。
外宮と内宮を往復したり、途中の神宮徴古館、神宮美術館へ行くなど
バスを頻繁に利用するならば、千円の1Dayフリーパスを買った方がお得。
残念ながら今回はそれに気付くのが遅かったですが。
深夜バスで寝不足の上に、すごい杉花粉。
くしゃみ、鼻水、目のかゆみが止まらない。
これも聖地をむやみに写真に撮りすぎた神罰か。
とにかく外宮を見終えた時点ですでにグロッキー。
まずは腹ごしらえから。