「駅」と一致するもの

ゆすはら雲の上の図書館【高知県梼原町】

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梼原に新しくできた図書館を見に行ってきました。

愛媛県との県境近くにある高知の山奥の町・梼原町には隈建築が6つもあります。
6,7年前の地域おこし協力隊時代に何度か訪れましたが、
その頃は隈建築は町役場、まちの駅雲の上レストラン(ホテル)、雲の上ギャラリーの4つでしたが、
2018年に新しく図書館と福祉施設ができ、かねてより見に行きたいと思っていました。

とくに図書館は、太宰府天満宮参道のスターバックスや、サニーヒルズなどのように、
木材を斜めに組み合わせて配し、あたかも大きな樹の下で本を読んでいるような、
有機的な空間を実現しています。


瀬戸内国際芸術祭2019【高松】

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瀬戸内国際芸術祭2019春会期。

瀬戸芸といえば船に乗っての島巡りが醍醐味だったりするわけですが、
その拠点となるのが高松港。
とかく島巡りに舟に乗るためだけに寄るだけだったのですが、
高松もこの港を中心に瀬戸芸の作品がたくさんあるのです。


というわけで今回はまずはあえて船に乗らずに巡るコース。
春会期限定の沙弥島からスタートして、

四国村→屋島山上→あじ竜王山公園→高松港→玉藻公園→高松駅→高松空港

...の順に巡ってきました。


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坂の上の雲ミュージアム。
安藤忠雄設計により2007年に開館。

「坂の上の雲」は司馬遼太郎の歴史小説。
1968年から1972年にかけて産経新聞夕刊紙に連載されました。
2009〜2011年にかけてNHKでドラマ化もされました。

三人の主人公秋山好古、真之兄弟と正岡子規の故郷、ということで、
本作の史料を展示するミュージアムが松山市のど真ん中、松山城の麓にあります。


愛媛に来て8年、ようやく来ることができました。
来媛直後から気にはなっていたのですが、なにぶん街なかにあって駐車場がなく、
田舎暮らしで公共交通機関がほとんど利用できない状況だったので、
なかなか訪れることができませんでした。

GWの中日、久しぶりに松山駅前の喜助の湯に入りに行くことにしました。
ここは4時間まで駐車場が無料になるので、その時間を利用して、
藤が見頃の庚申庵を見た後、市電で坂の上の雲ミュージアムへ行くことに。


外観は何度となく見ていたのですが、中に入ってはじめて、
あらためてこの空間の素晴らしさを実感しました。

小ぢんまりながら想像以上に素晴らしい空間でした。


庚申庵史跡庭園【栗田樗堂|愛媛県松山市】

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松山出身の俳人といえば、幕末から明治に生きた正岡子規が有名ですが、
その前に江戸時代に活躍した俳人として栗田樗堂がいます。

酒蔵の三男として生まれ、17歳のときに同業の栗田家の養子に入り、その蔵を継ぐ。
養父及び妻が俳人であったことから自然と俳諧に慣れ親しむ。
松山藩の大年寄になるなど精力的に活躍していたが、五十を超える頃、
浮世を捨てて俳諧に専念するために草庵・庚申庵を建てました。
樗堂はここでの隠遁生活を望むも、その有能さゆえか周囲はそれを許さず、
庚申案での生活はわずかな期間だったと言います。
その後、樗堂は俗世から逃れるために御手洗島(現在の広島県・大崎下島)に移住し、
そこで66年の生涯を終えます。

俳人としての腕前は相当なものだったようで、
当時発行された俳人番付で、あの小林一茶が末席だったのに対し、
樗堂はかなりの上位に列せられていました。
実際、一茶はかなり樗堂をリスペクトしていたようで、二度ほど樗堂の元を訪れています。

とくに誹諧に興味があったわけではなく、
テレビでふじまつりの様子を見て、行きたくなりました。

少々満開の時期を過ぎていましたが、なかなか見事な藤棚でした。


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木造の学校に木霊が宿る。
そんな学校をつくらないとほんとうはいけないのではないか。

自然で、簡素で、静寂である、
このことが学校の環境としては一番いいんではないかと思っております。

建築というのは何気ない美しさですよね。
わざとらしくないのがいいというのと、
それと滲み出て、心に染みるような、
そういう建築であってほしい。

(『素描・松村正恒』パンフレットより)


愛媛に来て8年。
念願の建築にようやく訪れることができました。

八幡浜市立日土小学校(以下「日土小学校」と称す)。
この建築を明確に知ったのは2013年の香川県立ミュージアムでの丹下健三展でした。
丹下さんと同時代に活躍したの建築家たちの一人として紹介されていました。

日土小学校は今も現役で活躍する小学校ですが、
平成21年より春休みや夏休み等の長期休暇時に一般公開されており、
今回第32回の学校見学会に参加してきました。


現在に残る校舎は愛媛県大洲市出身の建築家・松村正恒氏の設計により
1956年に中校舎が、1958年に東校舎が建てられました。
2007年に八幡浜市の有形文化財に指定されると同時に改修改築工事に着手、
2009年に新しい西校舎が完成しました。

1999年にDOCOMOMO Japan20選に選ばれ、
さらに2012年に木造モダニズムをよく残すものとして、
国の重要文化財の指定を受けました。


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広島滞在最終日。
最後はやっぱり平和記念公園。

前回訪れたのは2011年3月
実に7年ぶりの訪問です。


「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです。
 過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです。
 ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否することです。
 ヒロシマを考えることは、平和に対しての責任を取ることです。」


広島出身であることを心から誇りに思います。


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原爆ドームのそばにあるおりづるタワーに行ってきました。


元々は東京海上日動火災保険のビルが建っていたところを、
2010年に広島マツダが取得、2013年に改修計画が発表され、
三分一博志氏の設計で2016年に「おりづるタワー」としてリニューアルオープンしました。

広島出身で親が広島市内にお店を出していたこともあって、
市内へはよく足を運んでいましたが、おりづるタワーが建つ前にここに何があったか、
なんてまったく記憶にない。

まあオフィスビルなんて得てしてそんなもので、
おりづるタワーも3階から11階まではオフィスですが、
せっかくの好立地を生かして、1階と12階・最上階が一般開放されています。
12階以上は入場料が必要なのですが、これが大人1700円となかなかのお値段。


三分一さんの建築には2013年に犬島精錬所美術館、2016年に直島ホールと訪れ、
地球にやさしいエコロジカル建築はもちろん、
その環境思想をデザインにも反映させている点がとても好きになりました。

はたしておりづるタワーにもその三歩一節がふんだんに盛り込まれていました。


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夏休み4日目。最終日は日本三景の一つ、天橋立へ。


天橋立は京都府の丹後半島南東部の付け根に位置し、
西側は内海の阿蘇海、東側は宮津湾に挟まれた砂州です。
古代より景勝地として知られ、古くは百人一首に詠まれ、
絵や俳句の題材として多く取り上げられています。


大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立 小式部内侍

小雨はれみどりとあけの虹ながる与謝の細江の朝のさざ波 与謝野寛

人おして 回旋橋の ひらく時 くろ雲うごく 天の橋立 与謝野晶子


砂州は見る場所、見る方向によって様々な表情を見せてくれます。
(...帰ってから知ったことですが;;)

北側の成相山からは龍が昇っていくがごとく(昇龍観もしくは斜め一文字)、
南側の文殊山からは龍が飛んでいるがごとく(飛竜観)、
東西からは横一文字に(一字観)。


今回は主に北側の成相山を中心に巡ってきました。


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夏休み三日目は福井県。

東尋坊を後にして、三日目最後は福井県立美術館で開催中のピカソ展へ。

日仏交流160周年、福井県立美術館創立40周年を記念して開催されているもので、
フランス国立図書館が所蔵するピカソの版画コレクションが展示されています。

最も多作な画家であるピカソは絵画・版画・素描・彫刻・陶芸など、
ジャンルを問わず様々な作品を生み出してきましたが、
版画はその中でもとりわけ情熱を注いだジャンルであり、
1899年に着手してから晩年の1970年代初めまで、
70年にわたり2000点近くも制作しています。


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夏休み三日目は福井県。

現存十二天守の一つ、丸岡城を後にして、海岸へと車を走らせる。
国の天然記念物であり、名勝にも指定されている東尋坊へ。
自殺の名所として有名ですが、もちろん自殺願望があるわけではなく。

その昔、平泉寺というお寺には数千人もの僧侶がいて、
そのなかに東尋坊という暴れん坊の悪僧がおり、近隣の民百姓を苦しめていた。
東尋坊にはあや姫という娘をめぐって争う恋敵に真柄覚念がいて、
覚念と結託した僧侶たちはある日断崖絶壁で酒宴をはじめ、
泥酔した東尋坊を崖の上から突き落とした。
その後49日間、東尋坊の無念により海は大荒れとなった。

...というのが東尋坊の名の由来だそうです。

最初の犠牲者は東尋坊その人だったんですね。