上島町での交流会の後。
せっかくここまで来たのだから、ともう一泊して生口島・大三島を回ることにしました。
まずは生口島からなのですが、のっけから大変だった。
行きは自分の車を瀬戸田PAに置いてピックアップしてもらい、
帰りはまた瀬戸田PAで下ろしてもらう。
瀬戸田PAは多々羅大橋を観に行くための歩道が整備されており、
上りと下りが繋がっているのですが、その合流点を間違えてしまい、
道なき道を歩くはめに。しかも結構な雨で服はびしょびしょ。
なんとか車に辿り着くも、ぐったりな上にけっこう時間をロスしてしまった。
とりあえず一番の目的地である平山郁夫美術館へ。
しまなみ海道は過去に二度通りました。
最初は自転車で尾道から今治へと渡りました。
会社を辞めて大学に入る前で、美術館の前も通りがかったのだけど、その時は結局入らず。
二回目は広島への帰省時に自動車で渡ったのだけど、途中下車もせず結局素通り。
三度目にしてようやく念願かなって行くことができました。
基本的に無宗教です。
...今は。
生まれ育った家は典型的な浄土真宗で、生活の節々にその影響はあったけれど、
自分の中の核に響くことはなかったように思います。
上京してからはなおさら宗教のことなど意識することもなくなった。
時を経て、社会人学生として美大でデザインを学び、建築に興味をもつようになってから、
宗教について、だんだんと興味をもつようになった。
仏教やキリスト教などの歴史的宗教建築を見るのが好きになった。
今回の上京時、滞在したホテルの隣に立派な教会がありました。
高輪にこんなユニークな教会があったなんて。
20年近く過ごしていても、見えなかったものがまだまだたくさんある。
だからまだまだ「魅力」を探し続けなければ。
魅力を知らずして、魅力を作り出すことはできないのだから。
内藤建築のある牧野植物園。
五台山という丘の上にあるのですが、
その植物園の隣に立派なお寺があるではないですか。
四国八十八ヶ所霊場の第三一番、竹林寺。
ここには、五重塔や仏陀像、日本庭園まであって、
これまで訪れた霊場(...といってもまだ四つですが)の中でも、
とりわけ立派なもの。
今回はとくに八十八ヶ所巡りをしてたわけではないのだけど、
立派な寺院を目の前にして素通りするわけににもいくまい。
日本の宗教建築は主にインドや中国から派生したもので、
それらの建築との共通点が多く見られるけれど、
それでもよく見ると、日本建築独自の雰囲気というものがあり、
その正体を見極めることが、日本の良さを再認識することになる。
「良さ」は新しく作る必要はない。
目の前にあるものをしっかり見つめるだけで、見えてくるものがある。
[余市の海]
[羊蹄山]
その昔。
北海道はスキーでしか来たことがなかった。
パウダースノーを堪能できる、GWまで滑れる、という魅力以外、
とくに北海道の文化というものについて考えたことがなかった。
北海道に限らず、その頃は地域性というものを意識したことがなかった。
出発地点から到着地点に向かうその途中課程は、
とにかく最短で済ませたい時間だった。
瞬間移動が可能ならば、なくても良い時間だと考えていた。
今思うと、なんと人生をもったいなく消費していたのだろうと思う。
今回の北海道訪問はあくまで仕事の面接が目的だけれど、
そのための移動であっても、移動は移動。
移動は変化だ。
人間は変化を楽しむ動物である。
人生の楽しみとは、ゼロから作り出したり、
遠くにあるものを見つけに行くことだけではなく、
自分の身近にあるものの中から、いかにたくさんの楽しみを見出すか、
ということがまず根底にありきだと思う。
身近にある楽しみを見出すために、人は遠くへ旅する。
「青い鳥」を見つけるために。
≪遊園地を、単純な、不思議な感情を喚起する、形態と機能の入門書として、したがって教育的なものと考えたい。子供の世界は新鮮で明るく澄んだ、はじまりの世界であろう≫(ドウス昌代「イサム・ノグチ 宿命の越境者(下)」より)
※ガラスのピラミッド外観はこちら。
冬のモエレ沼公園で唯一内部空間を堪能できる場所。
それがガラスのピラミッド。
マスタープランを設計したイサム自身は完成を見ることなく他界。
今、目の前にある公園の姿はイサムがイメージしたとおりなのだろうか。
実設計、設計管理は川村純一氏をはじめとするアーキテクトファイブ。
アーキテクトファイブ自身についてはほとんど知りませんが、
川村氏は妻の川村京子とともにドウス昌代著のイサム評伝にも登場。
モエレ沼についてはあまり予備知識なしで行ったのですが、
今、記事を書くにあたってWikipediaなどを見て、「ふ~ん」などと思っていたりします。
まずこの公園はモエレ沼という沼に囲まれた公園だということ。
外周の先に見える水路は川ではなく、沼だった。
そしてここは札幌市街美化のためにごみを埋め立てられて作った公園だということ。
これにはちょっとがっかりかなあ。
人間のエゴを美化しているような気がして。
ここにきて、最初に見かけた山も、モエレ山、という人口の山なのだとか。
広島の平和記念公園同様、建築的魅力、というよりは、
ランドスケープ的魅力が目立つ空間のように感じました。
こうしてみると、建築ってやはり独特の表現手段のように感じる。
二人の若手建築家の展示をハシゴした。
ちょっとした気まぐれだったのだけど、
半分は新しい発見があったものの、半分は後悔した。
建築はそのスケール故に、大切なものを包むが故に、
慎重に扱わなければならない。
建築に芸術があるからといって、安易に飛躍的に扱ってはならない。
最近の建築がどうも軽薄に見えるのは、
自分の感覚が最先端の感覚に追いついていないからだろうか。
建築はクラシカルであるくらいがちょうどいい。
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バイト先での昼休み。
「ミース再考」を読んでいたら、
バイト仲間が「こういうの好き?」と親切にも貸してくれた雑誌。
芸術新潮2009年6月号。
フィリップ・ジョンソン特集。
代表作「ガラスの家」くらいしか知らなかったので、とても勉強になりました。
金持ちの御曹司で、若くして莫大な財産を相続。
最初はMoMAのキュレーターとしてスタート、
かの有名な1932年の「モダン・アーキテクチャー」展を手がける。
30代でハーバード大で建築を本格的に学び、建築家としての遅いスタートを切る。
ガラスの家は、自分の広大な敷地に道楽で建てた建築群の1つだったんですね。
性格的には熱しやすく冷めやすい、新しもの好きで飽きっぽい。
モダニズムに傾倒していたかと思いきや、
後にはポストモダニズムの旗手となったり。
それでも彼が巨匠であれたのは、
本質的な「良さ」を本能的に見抜く力に長けていたからだろうか。
ガラスの家の中にはミースのバルセロナ・チェアが置かれているのですが、
その配置はガラスの家建設当時からずっと同じであり、
定規できっちり位置が決められているのだとか。
ものごとには変えるべき所と、変えてはならない所がある。
フィリップ・ジョンソンはその見極めの手腕が絶妙な建築家だった気がする。
[起工 昭和32年6月29日 竣工 昭和33年12月23日]
幼い頃。
祖母に連れられて東京タワーに登った。
その圧倒的な高さがよっぽど衝撃的だったのか、
しばらくは電信柱を見る度に、「東京タワー!」と叫んでいたとか。
今となっては自分の記憶には残ってないのだけど、
祖母にはそんな僕の様子がよっぽど印象的だったらしく、
ことあるごとにその話をする。
思いこみの激しさはその頃から変わってないようです。
東京タワー。
日本電波塔株式会社が運営する電波塔。
正式名称は「日本電波塔」。
高さ333メートルの東京のランドマーク。
...この街は広すぎる
BIG CITY IS A LONELY PLACE
独りぼっちじゃ
街の明かりが
人の気を狂わせる...
(アン・ルイス『六本木心中』)
課題が一段落して、芸祭期間で大学が1週間の休み。
かねてから見に行きたかった展示を見に行ってきました。
・山種美術館 速水御舟展
・ギャラリー「間」 隈研吾展 Studies in Organic
・21_21 Design Sight THE OUTLINE 見えてない輪郭
天気も良かったので、散策がてら恵比寿~乃木坂~六本木を歩きました。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
...僕はその典型です。
2つのことを同時に器用にこなすことがでけへん。(なぜか関西弁)
月・木の課題に集中してたら、火曜のゼミがそっちのけになってしまった。
良いアイデアも出ず、モチベーションも上がらず、授業を2週続けて欠席。
来週中間プレゼン、ということでとりあえずノーアイデアのまま学校に行く。
二兎が追えなければ一途に絞って追うしかない。
躊躇してると二兎とも逃してしまう。