「桜」と一致するもの

瀬戸内国際芸術祭2016【直島】

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瀬戸内国際芸術祭2016直島編。

メインの二つの建築だけでなく、他にもいろいろ回りました。


前回(その1その2)と被る部分もありますが、
比較して微妙な違いなどを楽しんでいただければ幸いです^^


直島へ行くには、だいたいまず宮浦港へ行きます。
本村港ヘ行く便もありますが、便数が少ない上に運賃も高いです。
島内は大きく宮浦エリア、本村エリア、美術館エリアの3つに分かれており、
各エリア間はバスで移動します。
運賃は100円均一なのでお手軽に利用できます。
(区間によっては無料なところもあります)
社内は結構混むのであらかじめ100円玉のご用意を。


ニシアワー・森の学校【岡山県西粟倉村】

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[リノベるショールーム]

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木工先進地視察で岡山県西粟倉村へ行ってきました。
宇和町で古民家再生での地域づくりに取り組んでおられる方、
八幡浜で製材業を営んでおられる方と三人で。

西粟倉村の取り組みはFacebook、ホームページで知ったのですが、
まずはそのホームページの美しさ、センスの良さに惹きつけられました。

さぞかしセンスの良いデザイナーが専属で頑張っているのかなあ、
と勝手に思ってたのですが実際訪れてみるとちょっと状況は違ってました。

西粟倉村では2008年に百年の森構想を打ち出しました。
現在50年生の西粟倉の森を50年先を見据えた森づくりを目指そう。
その構想の元に、西粟倉村行政と森林組合、
それと活動を推進するコンサル会社の三者協働により
西粟倉村の新しい森づくりがスタートしました。

事業は良い森づくりを行なうための「百年の森林創造事業」と、
経済活動、都会へのアピールをしていくための「森の学校事業」の
二本立てで進められました。
その森の学校事業を進める組織が株式会社「森の学校」です。
廃校跡を整備してショップやカフェ、ショールーム、イベント会場などを設置し、
活動の拠点としています。

かつて西粟倉村にも近隣市町村との合併話が持ち上がっていたそうですが、
最終的には2004年に合併協議から離脱しました。

この選択が良かったのだと僕は思います。
下手に地域組織を大きなものとせず、動きやすくまとまりやすいスケールとしたことで、
山林を地域資源として再活用していく、というひとつの大きな目標に向かうことができた。

Small Scale, Large Depth.

ネットワークは広げるためのものだけじゃない。
深く繋がるためのものでもある。


こんぴら参り・金刀比羅宮【香川県琴平町】

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♪こんぴら船々
 追手(おいて)に 帆かけて
 シュラシュシュシュ
 廻(まわ)れば四国は
 讃州那珂(なか)の郡(ごおり)
 象頭山こんぴら大権現
 一度廻れば♪
(香川民謡『こんぴらふねふね』)


大晦日にスキーに行って、2時間でリフト20本以上乗って今年の厄を滑り飛ばしていたら、
その疲れで元旦、二日は寝正月。
昼夜逆転生活にもなっていて、このまま正月三が日を寝正月にするのはマズイ。

...と思い立ち、2日の夜が更けてそのまま眠らず3日の早朝に出発。
今年はこんぴらさんに初詣に行くことにしました。
とくにこんぴらさんに強い思い入れがあったわけではないですが、
こんぴらさんのオフィシャルサイトを見てたら、
なんと円山応挙の襖絵を展示している、ということで無性に行きたくなって。

例によって貧乏旅行なので高速道路は使わず、のんびり下道で。
R56で松山まで、松山からはR11でひたすら東へ。
真夜中なので、道はガラ空き。
深夜3時半に出て、朝7時にこんぴらさんに到着。
さすがにこの時刻だと参拝者はほとんどいませんでした。

琴平駅前の町営駐車場に車を停めて、参拝開始。
えらく長い階段を登っていく、ということでとりあえず本宮まで行ければいいか、
と思ってたのですが、寝てないにもかかわらずゆっくりあちこち写真をとりながら
登ってたらそんなに苦もなく登れたので、せっかくなので一番奥の奥社まで行ってきました。
それでまた疲れる、という悪循環ですが...^^;

まあ良いことにせよ悪いことにせよ、人間は同じことを繰り返しながら前に進んでゆく。
それがバイオリズムというものであり、「生きる」ということなんだろうね。


大山ものづくり学校【鳥取県大山町】

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  大山ものづくり学校


第30回地域づくり団体全国研修交流会鳥取大会。

土曜日午後は各分科会ごとに別れて研修。
自分は、第8分科会の大山町でした。

各分科会はあらかじめ内容が公開された上で、
参加申し込み時に希望する分科会を第三希望まで伝えておきます。
自分の第一希望は実は大山町ではなく、第6分科会の三朝町でした。
単に三徳山の投入堂を見たかったからなのですが、
見事に外れて第二希望の大山町になりました。

大山町を第二希望にしたのはアーティストたちが、
廃校になった学校を拠点に地域づくりをしている、ということで、
自分のユスモクでの活動に通ずるものがあると思ったからで、
地域づくりという自分の職務上では一番合致するもので、
事務局もその辺を見抜いてこの分科会に配置してくれたのかな、
と思えるくらい、得るところの多い分科会でした。


ユスモクも最初は木材の有効活用、という点で木工からはじめるわけですが、
個人的には木工だけにこだわるつもりはなくて、
いろいろ「ものづくり」をやりたいと思っています。
様々なクリエイターが集まって、融合してできるもの。
そういう魅力ってやっぱりすごいなと感じました。


ユスモクがそういう場所に相応しいのかどうかはまだ分からないけど、
愛媛にもそういう場所があればいいな。


路面電車と温泉とお城のまち【松山2】

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東北大震災の直後から東京を出て、およそ5日ほど中四国地方にいました。

それは決して避難的措置からではなく、
単に就活の面接とそれに伴う帰省、というまったくの偶然のタイミング。

東北を襲った未曾有の震災に対して、
自分はことさら過剰に反応しないようにしています。
普段どおり生活することを心がけています。
もちろん計画停電や気持ち程度の義援金、節約には協力しますが、
部外者である自分が今すべきこと・できることは、
「自分の人生をしっかり生きる」ことだと思うからです。

何もできないなら、せめて邪魔にならないようにしよう。
画面から入ってくる情報だけで、余計な不安を煽り立ててはいけない。
何もできないなら、せめて復興活動が成功するように祈ろう。
周囲が元気なら、不遇に見舞われた人々もやがて元気になれるはずだから。


松山といえば、お城温泉

お城は思った以上に高いところにあって、立派なお城だった。
温泉は思った以上に街中にあって、松山の憩いの場となっていた。

街は大きすぎず、ほどよいスケールでゆったりとしている。

まさに漱石と子規の愛した文化の街だね。


辰巳〜東雲散策

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昔から泳ぎが苦手だった。
だからプールにはあまり縁がない。

だけど東京辰巳国際水泳場は、
京葉線で新木場付近を通りかかるたびに気になっていた。

ウォーターフロントに浮かぶ奇抜な曲線ラインは、
どこかシドニーオペラハウスを彷彿とさせる。


夢の島で第五福竜丸を見た後、
運河を渡って辰巳エリアへ。

その後、これまた前から見たかったグッドデザイン受賞の
東雲キャナルコートへ。


松濤美術館【白井晟一|東京都渋谷区】

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渋谷の松濤美術館へ行ってきました。

群馬県美での白井晟一展以来、すっかりファンになってしまった。


Bunkamuraを通り過ぎて、しばらく進んだ住宅地の中に
こぢんまりと紛れ込むように建っている。

東京タワーそばのNOAビルと同じように石壁が独特の雰囲気を醸し出している。
人を寄せ付けない荘厳さと同時に、人を惹きつける美しさがある。
そして凄まじい建築のエネルギーを感じる。


ちょっと残念なのはそのスケールと立地。
規模としては桜新町の長谷川町子美術館と同じくらいの小規模で、
周囲を住宅や電線で囲まれてしまっているのが非常に惜しい。

この建物はもう10倍くらいのスケールで荒野にぽつんと建っていてほしい。


どんなに良い建築でも、環境が不十分だとその価値も半減してしまう。

環境ってやっぱり大事だよね。


横浜美術館【丹下健三|横浜市西区】

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[サルバドール・ダリ「バラの頭の女性」]

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ドガ展を見に久々に横浜美術館へ行ってきました。

丹下健三設計により1988年竣工、翌1989年開館。


僕の中のイメージでは建築家には2つのタイプがあって、
デビューから早い時期に花開く天才肌タイプと、
晩年に花開く大器晩成型。

丹下さんは前者で、1955年の実質的なデビュー作となった広島平和記念公園から、
1964年の東京カテドラル代々木競技場香川県立体育館を頂点に、
以後はあまりぱっとしない印象がある。
...あくまで僕の中での印象なのだけど。


横浜美術館もぱっと見はモダニズムの重厚さは薄れ、
どちらかといえばポストモダンの軽さが見える。
モダニズム好きにはちょっとがっかりなのだけど、そこは巨匠、
内部空間はやはり素晴らしい。


ゴッホの「哀しみ」

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[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)


「文学と芸術」の授業でゴッホを学びました。

これまで中村先生の他の授業でもゴッホは度々登場してきたけれど、
これほどまとめて紹介されたのは今回がはじめてかも。

フィンセント・ヴァン・ゴッホ、1853年生まれ。

最初は伯父の美術商の元で働くが、失恋を機に職を失い、
今度は牧師を目指すも狂信的な熱意が逆に人々に不気味がられ、この職も失う。
その後の1879年に画家を志し、1880年に37歳の若さで亡くなるまでの
およそ11年間で数々の名作が生まれた。

しかしゴッホが存命中に売れた絵画はわずかに一点。
その一点も弟のテオが購入したという。

...と聞きましたが、Wikipediaでは別の人が買ったとありますね。
また売れたのは一枚だけではなく、数枚だったという説もあるとか。

まあ、いずれにせよ、彼が存命中に彼の絵はほとんど評価されていなかった、ということ。
...これも、Wikipediaには晩年には彼の絵を高く評価する人も現れていた、とありますが、
いずれにせよ、彼がその評価の恩恵を授かることはなかった。


時を経て現代、ゴッホの絵は億単位で落札されるという。

...なんとも哀しい話じゃないか。

芸術は貧に足りてこそ、理解できるものだと思う。
成金共にゴッホの想いが、理解できるのだろうか。

芸術を理解する者が芸術界では自由がきかず、
芸術を理解しない者が芸術界を動かす、という不思議な時代。


それでも表現者は自分のエゴを信じ、
自分を見失わずに生きねばならない。

それが「強さ」というものである。



[ナウム・ガボ『線的構成No.1(ヴァリエーション)』]


桜の頃に川村記念美術館へ訪れたとき、釘付けになった作品。


モホリ・ナギ、カンディンスキーと同じコーナーに展示してたので、
てっきりバウハウスの人かなあ、と思いきや、
Wikipediaによれば、ロシア・アヴァンギャルドの彫刻家だったんですね。
ロシア構成主義の命名者の一人でもあったとか。

...といってもアヴァンギャルドも構成主義もよく知らないのだけど。


基本構成要素は線形的、幾何学的。
しかしそれで形成される形を全体的に眺めると有機的。

...まさに自然美。

美とは、独創的であるかどうか、ではなく、本質的であるかどうか。

...これに尽きるのではないだろうか。