「撮影可」と一致するもの

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たどり着いたのは、故郷への想い。


三年ぶりの東京。
まずは国立新美術館で開催中のミュシャ展に行ってきました。
今回の目玉はなんといっても全20作の超大作「スラヴ叙事詩」。

アール・ヌーヴォーを代表するチェコのデザイナー、アルフォンス・ミュシャ。
派手で華やかな女性のポスターで有名なミュシャですが、
デザイナーとしての成功の末にたどり着いたのは、
故郷への想いを画家として表現することだった。

その想いの結晶が晩年の16年という月日を費やして制作された「スラヴ叙事詩」。
スラヴ民族にまつわる歴史、寓話や神話を題材とした全20作の絵画。
大きいもので一辺が縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大絵画の数々は、
華美なデザインとは程遠く、静謐だが言いようのない迫力を感じさせるものだった。

ミュシャは当時諸外国からの圧政に苦しめられていた故国の状況を憂い、
スラヴ民族の愛国心を鼓舞するために「スラヴ叙事詩」を描き上げましたが、
皮肉も制作中に故国はチェコスロバキアとして独立して自由を手にし、
ピカソなど抽象的な現代アートが台頭してきたこともあって、
完成時にはすでに時代遅れと評されるようになっていた。

ミュシャの存命中に「スラヴ叙事詩」全作品が公開されたのは、
チェコスロバキア独立10周年の1928年の1回のみ(正確には一点を除く全19作品)。
その後1939年にナチスの台頭によりチェコスロバキアは解体、
ゲシュタポに逮捕されたミュシャは厳しく尋問されたことが原因で体調を崩し、他界。

「スラヴ叙事詩」はプラハ市に寄贈される際に専用の展示場を建設する約束だったが
その約束が果たされることはなく、故郷の城中で夏の間ひっそりと展示されるのみで、
長い間世間から忘れ去られた。

2012年にプラハで再び全作品が公開され、
そして今回はじめて全20作品が国外展示されるわけですが、
長い間忘れ去られていたこの作品がなぜ今、公開されるに至ったのか、
その辺の事情は会場や図録からはうかがい知ることができませんでしたが、
いずれにせよ、日本で「スラヴ叙事詩」が見れるのは極めて稀有なことであり、
この機会を逃せば日本でこの作品を見ることはもうできないかもしれない。
そのような想いからどうしても見ておきたかった。


スタジオジブリ・レイアウト展【愛媛県美術館】

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愛媛県美術館で開催中の「スタジオジブリ・レイアウト展」に行ってきました。

久々の愛媛県美。そして久々の芸術鑑賞。

本展はいわゆる完成美術品の展覧会ではありません。
アニメーションという一つの作品において、その全体設計図が絵コンテであり、
そしてレイアウトは場面場面の仕様が描かれた「部品設計図」。
本展ではそのような「部品設計図」を集めて展示するものです。


あらゆる分野においてコンピュータ化が進み、CADで設計図が描かれるようになった時代。
それは飛躍的なクオリティとパフォーマンスの向上をもたらす一方で、
誰がいじっても同じようなものを産み出す画一性がある種の退屈さをもたらすようにもなった。


(完成形ではない、という意味で)不完全な部品設計図を美術館で展示できる、
ということがどういうことなのか。
それを考えることで即効性が求められる娯楽(エンターテインメント)と、
世代を超えて受け継がれていく芸術(アート)の両者の立ち位置を再認識する。

そうすることで「良いもの」は創り続けられるのではないだろうか。


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作陶家・工藤省治氏の展示を見に愛媛県美術館に行ってきました。

とくに陶芸に詳しかったわけではないけれど、
展覧会の関連プログラムで松岡正剛氏の講演があるとのことで、
興味を持ちました。

サブタイトルの「現代砥部焼の原点」にあるように、
砥部焼の代表窯のひとつである梅山窯に入所してから半世紀以上、
現代にいたる砥部焼を築いてこられました。

テヘランで見た「ペルシャ陶器の唐草模様」をヒントに工藤氏が独自に創りだした
「染付唐草文」は今では砥部焼の代名詞的デザインとなっています。


吉岡徳仁 クリスタライズ【東京都現代美術館】

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せっかく東京にきた、ということで。
東京でやっている最先端のデザイン・アート関連の展示を見に行くことに。

まずは東京都現代美術館で開催中の吉岡徳仁の『クリスタライズ』。

実は彼の展示を見るのはこれで四度目。

2006年にAXISギャラリーで開催された『スーパーファイバーレボリューション』、
2008年に21_21DesignSightで開催された『Second Nature』、
単独展ではないけれど、
2010年に森美術館で開催された『ネイチャー・センス』、

そして、本展。


デザインとアートの中間。吉岡の立ち位置はそこにある。デザインは設計できるが、アートは設計できない。デザインは心理学的だが、アートは精神分析的である。デザインの前提は「複製」だ。いっぽうアートの前提は常に「複製への抵抗」である。(本展図録P170、斎藤環「デザインの意志」)


この記述に概ね反論はないけれど、
僕が彼の好きな部分はアーティストとしての側面である。
とくに素材の特性を生かした空間づくり。
そこに感動させられるし、自分もそのような空間づくりをしてみたいと思う。

本展のタイトルのとおり、本展で使われているマテリアルは
ガラスやアクリル、クリスタル、プラスチックといった透明感のあるもの。
自分が現在使おうとしている木とはまったく性質の異なるものではあるけれど、
素材の特性の引き出し方、空間表現への使い方を学ぶ、という点においては、
使われるマテリアルの種類はあまり重要じゃない。


そして、本展のサブタイトルは「人の記憶に眠る自然の姿結実させる」。

ここに、マテリアルの魅力を引き出す秘訣があるのだろうか。


生口島アートめぐり【平山郁夫美術館ほか】

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上島町での交流会の後。
せっかくここまで来たのだから、ともう一泊して生口島・大三島を回ることにしました。

まずは生口島からなのですが、のっけから大変だった。

行きは自分の車を瀬戸田PAに置いてピックアップしてもらい、
帰りはまた瀬戸田PAで下ろしてもらう。
瀬戸田PAは多々羅大橋を観に行くための歩道が整備されており、
上りと下りが繋がっているのですが、その合流点を間違えてしまい、
道なき道を歩くはめに。しかも結構な雨で服はびしょびしょ。
なんとか車に辿り着くも、ぐったりな上にけっこう時間をロスしてしまった。

とりあえず一番の目的地である平山郁夫美術館へ。


しまなみ海道は過去に二度通りました。
最初は自転車で尾道から今治へと渡りました。
会社を辞めて大学に入る前で、美術館の前も通りがかったのだけど、その時は結局入らず。
二回目は広島への帰省時に自動車で渡ったのだけど、途中下車もせず結局素通り。

三度目にしてようやく念願かなって行くことができました。


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[ギュスターヴ=アドルフ・モッサ「彼女」(1905年)]


大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。

本記事では象徴主義、ナビ派、ウィーン分離派、フォービスム、表現主義、エコール・ド・パリ、
キュビスム、ダダイスム、シュルレアリスムをピックアップ。

絵画の様式は、秩序と無秩序、安定と不安定、静的と動的を繰り返すものだけど、
決して同じことの繰り返しではなく、時代背景や情勢によって、
常に新しい要素を内包させてゆく。
それは樹木が根本から無数に枝分かれしてゆくかが如く。
枝別れたものが行き着く先はどんなものなのか。
それはすべてが混ざり合うカオスなのだろうか。

すでに現代アートというジャンルが一つの様式として括れないところに来ているのか。
はたまた、単に今を生きる自分たちには現代アートを客観的に眺めることができず、
数世紀、数十世紀先の人たちが今のアートやエンタメを眺めて様式化するのだろうか。


...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。


照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。

「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。


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[ルーアン大聖堂(クロード・モネ、1893年)]


大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。

本記事では印象派をピックアップ。
一番好きなジャンルなのだが、大塚国際美術館で見ると一番がっかりするジャンルでもある。
それはそれまでの絵画が極力「タッチ(筆致)」を消すものであったのに対し、
印象派ではタッチを画家の個性、表現として重要視するから。
陶板画はいわば二次元プリントであり、筆致までをも再現することはできず、
平滑なキャンバスになってしまう。
それでは本当の印象派を理解することはできない。


...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。


照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。

「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。


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ライト・オブ・ダービー(ジョセフ・ライト)「酋長の未亡人(インディアンの寡婦)」
(1783年/1784年)


大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。

本記事ではロココ、新古典主義、ロマン主義、バルビゾン派、写実主義をピックアップ。
ルネサンスの反動で広がった不安定さ、無秩序さ、ダイナミズムは
マニエリスム、バロックを経てロココまで広がったところで、
再び安定・秩序へと向かう新古典主義の時代を迎えるが、
その後は再び不安定・無秩序のロマン主義が展開してゆく。
多少の時代背景の差異はあれど、様式というものはこうした安定と不安定の間を
波のように行ったり来たり繰り返すものなのだろう。

一方でこうした波の影響をものともせず、
写実主義やバルビゾン派など、独自の様式を展開することもある。

...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。


照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。

「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。


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[モナ・リザ(レオナルド・ダ・ヴィンチ、1503年−1505年/1507年)]


大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。

本記事ではルネサンスからバロックまでをピックアップ。

近世の幕開けとなったルネサンス期は、もともと古代への復帰・再生を目指す運動であったが、
結果としてその後の近世期の芸術を大きく転換、発展させていくものとなった。
それゆえルネサンスの時代区分を近世に組み込んだのでしょうか。
古代における秩序や安定を規範としたルネサンスはやがてその反動として、
ねじれや不安定、ダイナミズムを求めるマニエリスムやバロックへと展開してゆく。


...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。


照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも本物作品の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。

「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。


群馬県立近代美術館【磯崎新|群馬県高崎市】

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白井晟一展を観に群馬県立近代美術館まで行ってきました。

高崎市郊外の広大な森のなかにある美しい箱。
最初は群馬音楽センターを設計したアントニン・レーモンドに設計を依頼する予定だったが、
斎藤義重氏の推薦により磯崎新氏が設計することになったそうです。

茨城の水戸芸術館も哲学色の強い素晴らしいものですが、
ここも負けず劣らず素晴らしい空間でした。

事前に許可を取れば内部の撮影可と聞いていたので楽しみにしていたのですが、
けっこうややこしいことになってました。
書類に名前や住所、連絡先を記入の上、注意事項を確認させられた上で、
許可証が渡されますが、企画展は撮影がNG、
常設展は遠景のみOK、実際自由に撮影ができるのは、
1,2階吹き抜けのホール周辺のみ、と制約が多いのが実情です。

西洋美術館や横浜美術館が常設展は自由に撮影OKなのに比べれば、
内部撮影の制約は多いようです。


とはいえ、平日の地方、ということもあって人は少なく、
撮影する環境としては概ね良かったです。

というわけで撮影OKだったエリアを中心に撮りまくりました〜