[ルーアン大聖堂(クロード・モネ、1893年)]
大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。
本記事では印象派をピックアップ。
一番好きなジャンルなのだが、大塚国際美術館で見ると一番がっかりするジャンルでもある。
それはそれまでの絵画が極力「タッチ(筆致)」を消すものであったのに対し、
印象派ではタッチを画家の個性、表現として重要視するから。
陶板画はいわば二次元プリントであり、筆致までをも再現することはできず、
平滑なキャンバスになってしまう。
それでは本当の印象派を理解することはできない。
...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。
照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。
「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。
※()内は本物が制作された年。
【印象派】
<クロード・モネ>
[印象、日の出(1872年)]
「印象派」の名前の由来となった作品。
[日傘の女性]
[サン=ラザール駅(1877年)]
[睡蓮の池、緑のハーモニー(1899年)]
<エドゥアール・マネ>
[草上の昼食(1862年−1863年)]
画面内の構成要素はこれといって珍しいものはなく、現実的なもので構成されているけど、
実際の現実(女性が裸でピクニックする、という行為)にはありえないもの。
そこが新しいといえば新しいのだろうか。
これまではまったくの妄想か、まったくの現実しかなかった。
だからなんだ、と問われると答えに困るのだけど、
表現の可能性が拡がった、ということは言えるのではないか。
[オランピア(1863年)]
ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」の構図を使ってはいるものの、
モデルを女神から現実の娼婦にするだけでまったく別の雰囲気になっている。
[笛吹の少年(1866年)]
[フォリー・ベルジェールのバー(1882年)]
8回開かれた印象派展には一度も出品せず、サロンにこだわりつづけたマネですが、
保守一辺倒だったわけじゃなかったんだね。
新しい表現が保守の牙城に通用するかどうか、マネなりにチャレンジしてたんだろうな。
<ピエール=オーギュスト・ルノワール>
[ムーラン・ド・ラ・ギャレット(1876年)]
[ぶらんこ(1876年)]
ダンス三部作。
[田舎のダンス(1883年)]
[都会のダンス(1883年)]
[プージバルのダンス(1883年)]
都会は洗練された様子、田舎は素朴な様子が表現されていると言えばそうかもしれないけど、
それを全面に押し出しているわけではなく、どこで踊ってもダンスは楽しいよ、
ということをルノワールは言いたいのかもしれない。
<エドガー・ドガ>
[エトワール(1876年-1877年)]
印象派の中では一種独特の雰囲気が漂うドガの絵。
他の画家が戸外の風景を多く描いたのに対し、目の病気のために室内で描かざるを得なかったとか。
一見華やかな踊りの情景を描いているだけのように見えるが、
舞台裾に立つ男の姿から、当時は踊り子が金持ちの欲の対象であり、
踊り子のの悲しき運命も伺える。
[バレエの授業(1874年頃)]
[浴盤(湯浴みする女)(1886年)]
[手袋(1878)]
<ベルト・モリゾ>
[ゆりかご(1872年)]
印象派はやがて、反動による後期印象派と継承し発展させていく新印象派へと分派していく。
【後期印象派】
<フィンセント・ファン・ゴッホ>
[じゃがいもを食べる人々(1885年)]
[ローヌ川の星月夜(1888年)]
[アルルのフィンセント寝室(1888年)]
[種蒔く人(1888年)]
ミレーの同名の作品にインスパイアされて制作した作品。
同じテーマでもゴッホの手にかかると、ミレーの静かな絵がこんなにもダイナミックになる。
ほとばしる感情。
[ひまわり(1888年)]
[自画像(1889年)]
[ガシェ博士の肖像(1890年)]
[オーヴェル・シュル・オワーズの教会(1890年)]
<ポール・ゴーギャン>
[説教の後の幻影(ヤコブと天使の戦い)(1888年)]
[自画像(レ・ミゼラブル)(1888年)]
[光輪のある自画像(1889年)]
[キリストの磔刑図(黄色いキリスト)(1889年)]
[我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(1897年−1898年)]
<セザンヌ>
[サント・ヴィクトワール山(1887年頃)]
<アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック>
[赤毛の女(1889年)]
具象を描きながらも同時に人間の内面をも描き出そうという試み。
<ロヴィス・コリント>
[サロメ]
【新印象派】
<ジョルジュ・スーラ>
[サーカス(1890年)]
<ジョルジュ・レメン>
[アイストの浜辺(1891年)]
タッチを「点描」というより明確な存在として、浮き立たせたのかな。