[ギュスターヴ=アドルフ・モッサ「彼女」(1905年)]
大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。
本記事では象徴主義、ナビ派、ウィーン分離派、フォービスム、表現主義、エコール・ド・パリ、
キュビスム、ダダイスム、シュルレアリスムをピックアップ。
絵画の様式は、秩序と無秩序、安定と不安定、静的と動的を繰り返すものだけど、
決して同じことの繰り返しではなく、時代背景や情勢によって、
常に新しい要素を内包させてゆく。
それは樹木が根本から無数に枝分かれしてゆくかが如く。
枝別れたものが行き着く先はどんなものなのか。
それはすべてが混ざり合うカオスなのだろうか。
すでに現代アートというジャンルが一つの様式として括れないところに来ているのか。
はたまた、単に今を生きる自分たちには現代アートを客観的に眺めることができず、
数世紀、数十世紀先の人たちが今のアートやエンタメを眺めて様式化するのだろうか。
...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。
照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。
「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。
【象徴主義】
<エドヴァルド・ムンク>
[叫び(1893年)]
[マドンナ(1895年)]
[思春期(1894年−1895年)]
[星月夜(1893年)]
ゴッホの「星月夜」とは違って穏やかな夜の情景。
<オディロン・ルドン>
[仏陀(1904年)]
[ヴィオレット・エイマンの肖像]
<ジョン・エヴァレット・ミレー>
[オフィーリア(1852年)]
シェイクスピア「ハムレット」のワンシーン。
狂気が狂気を呼ぶ悲しさ。
<カルロス・シュワーべ>
[墓守り人の死]
<ジョヴァンニ・セガンティーニ>
[湖を渡るアヴェ・マリア(1886年)]
[悪しき母たち(1894年)]
[衰退(アルプス三部作より、1898−99年)]
<フェルディナント・ホドラー>
[選ばれし者]
<フェルナン・クノップフ>
[見捨てられた町(1904年)]
<ヤン・トーロップ>
[三人の花嫁(1893年)]
[宿命論(1893年)]
【ナビ派】
<モーリス・ドニ>
[ミューズたち(1893年)]
<エドゥアール・ヴュイヤール>
[ベッドにて』(1891年)]
【ウィーン分離派】
<グスタフ・クリムト>
[接吻(1907-1908年)]
[アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I(1907年)]
<エゴン・シーレ>
[死と乙女(1915年)]
【フォービスム】
<アンドレ・ドラン>
[セーヌの小舟(1905年)]
[マティスの肖像(1905年頃)]
【表現主義】
<フランツ・マルク>
[黄色い牝牛(1911年)]
青騎士で有名なので、やはり青い馬の絵が見たかったな〜
【エコール・ド・パリ】
明確な定義はなく、
1920年代にパルのモンパルナスやモンマルトルに集まった画家の集まりを差すのだとか。
<マルク・シャガール>
[彼女をめぐりて(1945年)]
[イカロスの墜落(1975年)]
<マリー・ローランサン>
[シャネル嬢の肖像(1923年)]
<アメデオ・モディリアーニ>
[座る裸婦(1916年)]
<アンリ・ルソー>
[蛇使いの女(1907年)]
<ジョルジュ・ルオー>
[老いた王]
【キュビスム】
<パブロ・ピカソ>
[自画像(1901年)]
[窓辺に座る女(1932年)]
[ゲルニカ(1937年)]
<フェルナン・レジェ>
[余暇:ルイ・ダヴィッド礼賛]
【ダダイスム】
<マルセル・デュシャン>
[階段を降りる裸体No.2(1912年)]
[花嫁(1912年)]
【シュルレアリスム】
<サルバドール・ダリ>
[ナルキッソスの変貌(1937年)]
「ダブル・イメージ」の代表作。
[ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造:内戦の予感(1936年)]
<マックス・エルンスト>
[沈黙の目(1943年−1944年)]
[雨上がりのヨーロッパ(1940年)]
<ポール・デルヴォー>
[ローマへの道]