...およそ10年ほど前の話だけど。
なんか急にブログをはじめる前の人生も記録に留めたくなって。
海外経験は遅く、初めての海外は25歳の時、仕事でのイギリス出張だった。
当時は海外や旅行にほとんど興味がなかったので、
スキーに行く以外はどこか旅行することはほとんどなかった。
初めての海外への観光旅行がこの台湾旅行だった。
当時つき合っていた彼女とその友だちおよそ10人ほどで行った。
台湾にとくに興味があったわけではなく、
その友だちの中に台湾人がいたから、というおよそ流れでついて行った感じ。
その台湾人の友だちが当然現地の事情をよく知っていて、
彼女が案内してくれるままに身をまかせたので、
やはり現地の地理や状況はもうほとんど覚えてない。
でもはじめての海外への観光旅行、ということでかなりワクワクしてたな。
...およそ12年ほど前の話。
昔の写真を整理していたら出てきた一枚。
成田からまずフランクフルトへ。
フランクフルトから国内線に乗り換えてシュツットガルトへ。
そこからは赴任者に迎えに来てもらい、ヴェガ(Wega?)の工場へ。
正直今となっては記憶はもう断片的。
初めて降り立ったシュツットガルト空港がめちゃくちゃ寒かったことだけを覚えてる。
写真は出張の合間の休日にアウトバーンを飛ばして連れて行ってもらった、
ロマンチック街道のどこか。
今、自分で見ても若い。
ちなみに左側に写っている小さな男の子は、
出張先でお世話になった赴任者の息子さん。
初めての海外はこの出張の前のイギリス出張だった。
そのときは職場の先輩と二人で行ったのだけど、
このときのドイツ出張は一人だった。
つまり人生初めての海外渡航だったわけで。
英語はおろかドイツ語もほとんど話せず、かなりどきどきしていたと思う。
当時は海外に広く展開している会社にいながら、
ほとんど海外経験のないことにコンプレックスを感じていた。
それでいて、海外そのものにはほとんど興味を示さなかった。
だから自分から写真を撮ることも全くせず、
この写真も相手に促されるままに撮ってもらったもの。
今思えばもったいなかったなあ。
どんなにあちこち行ったとしても、そこに意識がなければ意味がない、という教訓。
「この本は、世界中のほとんどの本に書かれていることと同じことを言っている」と老人が言った。「人は自分の運命を選ぶことができない、と言っているのだよ。そして最後に、誰もが世界最大のうそを信じている、と言っている」「世界最大のうそって何ですか?」と、すっかり驚いて少年は聞いた。「それはこうじゃ、人は人生のある時点で、自分に起こってくることをコントロールできなくなり、宿命によって人生を支配されてしまうということだ。それが世界最大のうそじゃよ」(パウロ・コエーリョ『アルケミスト』より)
太田総理で。
「子供手当の一部を心のケアをするための費用に充てる」という提案をしてました。
個人的には効果ないと思う。
心のケアは政治じゃできない。
今の世の中、大人も子供も生きにくい世の中だ、と。
ストレスがかかりすぎて、うつ病やパニック障害が急激に増えている。
これら心の病を抱える人々のケアをするシステムが必要なのだ、と。
...一理ある。
しかし一番の要因は、人間自身が弱くなった。
...これに尽きるのではないだろうか。
人間の叡智が高度な社会を築いた。
何もかもが便利になりすぎて、社会が人間本来の機能を肩代わりするようになった。
便利な社会、という鎧に覆われて人間そのものは退化していった。
元々は人間のための社会。
どんなに高度な社会でも人間自身が退化してしまえば、
社会そのものが歪んでくるのは当然ではないだろうか。
弱きを助けるだけでは社会は良くはならない。
弱きが強くなる術を持たなければ。
[高舘義経堂]
東北小旅行2日目。
朝5時起床、5時半チェックアウト。
仙台駅まで歩き、一路平泉へ。
平泉での毛越寺や中尊寺のレビューはデザインブログで別途していますので、
そちらをご覧ください。
・平泉散策 その1【毛越寺ほか】
・平泉散策 その2【中尊寺ほか】
兵(つわもの)どもの夢の跡へ。
[松島海岸駅]
大学の夏休みももうすぐ終わり、ということで恒例の小旅行へ。
今回は東北は仙台・松島・平泉に行ってきました。
ことのはじめは「美の巨人」で紹介されていた藤田喬平氏。
氏とその作品に惹かれ、美術館を探したら松島にあるという。
じゃあ前々からよく耳にしていた仙台メディアテークにも行こうじゃないか、と。
せっかくなら世界遺産登録の候補に挙がっている平泉に行ってこようじゃないかと。
前回よりもさらに懐事情が厳しくなっているので例によって貧乏旅行。
あらかじめ安い交通手段と宿をネットで探して1ヶ月前に予約。
往復夜行バス(6,000円)+駅前ビジネスホテル(3,500円)で1万弱。
青春18切符とか使えばもっと安くなるんだろうけど、
いまいち使い方が分からないし、なにより移動時間が長くなってしまう。
とにかく3泊2日の小旅行のはじまりはじまり~
Windows Liveの後継検索サービス、「Bing」。
その検索画面には毎日日替わりでCoolな画像が背景に表示される。
8/6はもちろん...
あの悲劇から64年。
時は残酷に人々の記憶から忘れてはならない光景を奪い去ってゆく。
そして今日も世界のどこかで同じ悲劇が繰り返される。
No more War.
...争いからは何も生まれない。
[三軒茶屋の世田谷署]
自動車免許の更新をしました。
今となっては自動車も持ってなく、ペーパードライバーなのですが、
僕が持っている唯一の資格なので破棄するのももったいなく。
身分証としても有効だし。
免許を取得したのが18歳になってすぐ。
就職して2,3年ほどで念願のマイカー取得。
仕事では車は使わないので、週末ドライバーでもっぱらスキーに使ってました。
3台ほど乗り換えて、都内への移住を機に車を手放した。
以来ペーパーなので、当然ゴールドカード。
ペーパーでゴールドカードというのも変な話だけど。
5年前までは川崎に住んでいて、都内に移住してはじめての更新。
ゴールドカードの場合は最寄りの警察署で簡易的な手続きで更新ができちゃう、
ということで世田谷区在住の僕は三茶の世田谷警察署へ。
愚かさ、誤り、吝嗇(りんしょく)は、
我らの精神を領し、肉体を苦しめ、
我ら、身に巣食う愛しい悔恨どもを養う様は、
乞食たちが蚤や虱を育むにも似る。
我らの罪はしぶとく、悔悟の情はだらしがない。
告白をしただけで、おつりがくるほどの気持ちになり、
卑しい涙に一切の穢れを洗い落としたつもりで、
うきうきと、泥濘(ぬかるみ)の道に舞い戻る。
~(中略)~
だが、金狼にもあれ、豹にもあれ、牝狼にもあれ、
猿にも、蠍にも、禿鷹にも、蛇にもあれ、
我らの悪徳をとりあつめた穢らわしい動物園の
啼き、吼え、捻り、這いまわる怪物どものさなかに、
さらに醜く、さらに邪な、さらに不浄な者が一匹いる!
大仰な身ぶりもせず大きな声も立てないが、
ひとあくびにこの世を呑みこむことも、やりかねない。
これこそ<倦怠>(アンニュイ)だ!-目には心ならずも涙、
水煙管くゆらせながら、断頭台の夢を見る。
君は知っている、読者よ、この繊細な怪物を、
偽善の読者よ、-私の同類、私の兄弟よ!
(ボードレール『悪の華』「読者に」)
悪は誰の心にもある。
一番質の悪い「悪」とは何だろう。
人を殺めてしまうほどの残虐性だろうか。
人を欺く欺瞞だろうか。
確かにこれらの悪は怖い。
しかし悪としての明確な存在感があるから、
逆にその存在に事前に気付けば避けることはできる。
一番怖い「悪」とは、その存在に気付くことのできないもの。
知らず知らずのうちに自分の身体の中に蔓延し、
気付いたときにはもう制御のしようがない程になってしまう。
...それが「倦怠」という悪なのだろうか。
東京都議会選挙の投票に行ってきました。
実は初投票。
この歳になるまで一度も投票に行ったことがなかった。
政治に興味はないし、期待も信頼もしていなかった。
それは今も変わらない。
でもこれまで近くて遠かった家族が、あるきっかけを与えてくれた。
それでようやく僕は投票に行くことができた。
人は変われる。
いくつになっても成長できる。
自分を信じ、自分を取りまく人々を信じられれば。
気がつけば3ヶ月ぶりの更新。
相変わらず道を求める日々だけれど。
...なぜかブログが更新できずにいた。
継母が上京してきた。
妹と継母は創価学会の会員なのですが、
今回はどうやらその関係で上京したらしい。
義母ときちんと会うのは「大人になって」からは二度目。
こう言うと義母は怒るかもしれないけれど、
だんだん祖母に似てきている気がする。
祖母と義母は長い間折り合いが悪い。
似たもの同士は憎み合う、ってことか。
祖母方にいた僕はほとんど継母と接触する機会がなかった。
自分を捨てた父親の後妻、ということもあって、
二十代の間は食わず嫌いで会いもせずに忌み嫌っていた。
三十代も後半になった今、ようやく食わず嫌いをやめ、
彼女とも前向きに「友人」になろうと思うことが出来るようになった。
祖母と同じ雰囲気を感じる、ということは、彼女もやはり「いい人」なのだろう。
「完璧な人間」などいない。
いるのは弱い人間と強い人間だけだ。
弱さが人を誤らせ、強さが人を守る。