再会

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妹との再会。
実に15年ぶり。
僕が二十歳、妹が十八のとき、神戸で会ったきりだった。

再会するとき、お互いの顔が分かるだろうか、と心配だったけれど、
なんとなく自然に再会できた。
これが兄妹、というものなのか。
...まあ携帯電話、という文明の力もあったのだろうけど。

二人の甥っ子ともはじめて対面。
人懐っこい、というのもあったのかもしれないけれど、
子供が苦手な僕でもすんなり仲良くなれた。
...これも「血縁」ってことなのかな。

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妹は僕よりは多少実父と懇意にしていた、ということもあって、
いろいろと実父母の情報について知ってるかなと思い、
それが知りたい、というのも再会の目的の一つでもあった。

しかし実父母が別れた原因、実母が今どうしているか、
という情報は実父は妹にも一切話していなかった。
ただ、「自分が悪かった」と言うのみだったとか。


親子の絆はただ「血」だけで結ばれるものでは決してない。
たとえ親子でも、コミュニケーションの努力があってその「絆」は成り立つ。

若い頃は僕たち兄妹を捨てた実父母を恨み、軽蔑した。
そして自分からなるべく遠ざけた。
自分の結婚式に祖父や叔父夫婦を呼んでも、
父母を呼ぶことはこれっぽちも考えなかった。
父母を赦し、自分の中に受け容れようとしはじめたのは、
自分自身が結婚に失敗してからだった。

しかし親子のコミュニケーションはほとんどないままだから、
親子の「情」とか「絆」、などというものは感じない。
血縁というものを除けば僕らはほとんど他人も同然だ。


しかし15年ぶりでも違和感なく兄妹でいれた。
それなら父や母とも本当の親子になれるはずではないか?
そうしなければいつまで経っても自分は家族を作れないのではないか?
その強迫観念が僕の頭の中につきまとう。

ただ僕だけが歩み寄ってもだめなんだ。
向こうも歩み寄ってくれないと。
向こうはもう歩み寄る気がないのかもしれない。
30年以上も歩み寄ってこなかったのだから。
だから父や母に会いたい気持ちが強い一方で、会うのがすごく怖い。


妹も苦しんだようだ。
対人関係で悩み、ウツになったり、アトピーになったり。
本棚には心理学関連の本がぎっしり。

周囲に友達に恵まれなかった彼女は宗教にすがった。
友達に恵まれ、無宗教である僕にはそれが彼女にとって本当に救いに
なってるのかどうかは分からない。

でもこれを機に彼女と友達にはなれるはずだ。
これまで自分の未熟さゆえに何もしてやれなかったぶん、
友達として互いの支えになっていけたらなと思う。


なにかと後ろ髪を引かれる思いもなくはないが、
一歩前に進めた気がした。

さらに前に進むために僕は故郷を再び離れなければならない。

...というわけで次の目的地へ。
しまなみ海道縦断編へ続く。