「磯崎新」と一致するもの

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水戸芸術館で開催中の藤森照信展に行ってきました。

2008年の松井龍哉展以来、じつに9年ぶりの水戸芸術館。
磯崎新が手がけたその空間は、相変わらずの存在感でした。
そして本展もそんな存在感溢れる空間に見合う、濃い建築の展示でした。

藤森さんの展示ですが2007年のオペラシティアートギャラリーでの展示以来、
10年ぶり二度目の鑑賞となります。
実際の建築も、ワイルドなその風貌はスマートな都会の街並みに合わないせいか、
地方に多いため、なかなか訪れることが叶わず。
昨年、ようやく神勝寺の中の「松堂」に訪れることができたくらい。


藤森さんの建築は、現在主流になっているモダニズムの延長にあるスマートな弥生式の建築とは
対極にある縄文式建築です。
できるだけ直線から離れ、幾何学から離れ、無機質から離れるオーガニックなものです。
ただ、それはモダニズムを知らないとか、嫌いだとか、批判するといったヘイト要素から
出発するものではなく、元は建築史家という立ち位置から過去の様式を研究し尽くした上で、
現在の延長線上の未来の建築がより良い姿であるように模索したものだと思うのです。


群馬県立近代美術館【磯崎新|群馬県高崎市】

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白井晟一展を観に群馬県立近代美術館まで行ってきました。

高崎市郊外の広大な森のなかにある美しい箱。
最初は群馬音楽センターを設計したアントニン・レーモンドに設計を依頼する予定だったが、
斎藤義重氏の推薦により磯崎新氏が設計することになったそうです。

茨城の水戸芸術館も哲学色の強い素晴らしいものですが、
ここも負けず劣らず素晴らしい空間でした。

事前に許可を取れば内部の撮影可と聞いていたので楽しみにしていたのですが、
けっこうややこしいことになってました。
書類に名前や住所、連絡先を記入の上、注意事項を確認させられた上で、
許可証が渡されますが、企画展は撮影がNG、
常設展は遠景のみOK、実際自由に撮影ができるのは、
1,2階吹き抜けのホール周辺のみ、と制約が多いのが実情です。

西洋美術館や横浜美術館が常設展は自由に撮影OKなのに比べれば、
内部撮影の制約は多いようです。


とはいえ、平日の地方、ということもあって人は少なく、
撮影する環境としては概ね良かったです。

というわけで撮影OKだったエリアを中心に撮りまくりました〜


白井晟一 精神と空間【群馬県立近代美術館】

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[図録 2940円]


高崎の群馬県立近代美術館で開催中の白井晟一展へ行ってきました。

本当は東京造形大で開催されているときに観にいきたかったのだけど、
八王子という遠さから足がなかなか向かなかった。
...結果的にもっと遠くへ足を運ぶことになってしまったけど。


前から気になる建築家だった。
とても哲学的、という点で。

彼の作品で知っているのは神谷町のNOAビルと、渋谷の松濤美術館。
どちらも外観までしか眺めたことはない。
彼の建物はどこか入りにくい、という雰囲気がある。
そこが彼の建築の持つ荘厳さなのかもしれない。


まさに日本建築界の「仙人」。


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過去にミースに関する本を2冊読みました。


  ・評伝ミース・ファン・デル・ローエ
  ・ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて


再びミースについて考える、という意味で本書は最適かな、と思って読んだのですが。

いまだに1つもミース建築を実際に訪れたことがないからか、
...さっぱり分からない。

ニューヨークに旅行したとき、シーグラムビルを見逃したことが返す返すも悔やまれる。


それにしても。

"Less is More"をテーマに極限までムダを削ぎ落としたシンプルな立方体の空間に、
どうして周囲はこうも複雑な解釈をしようとするのか、不思議でならないのだけど、
ある意味そういう状況が本当の意味での"Less is More"なのかな。

写真を見るだけでもその美しさは半端ではない。
実物を見たときの感動はいかばかりか。
(...あるいはグラフィックの魔術で、実際はそれほどでもないかもしれないけど)


しかし彼の模倣品である20世紀都市はなんと醜いことか。

そして思うのである。


  「立方体は人間にとって最適な空間を与える本質的なフレームではない」


ミースだからこそ、立方体の空間を美の極みへ高められたのだ、と。


空間へ―根源へと遡行する思考【磯崎新】

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建築家、芸術家の書く本は難しい。


  ・ギーディオン「空間・時間・建築」
  ・エドワルド・トロハ「現代の構造設計」
  ・フランク・ロイド・ライト「建築について」


...かつて読みはじめたものの途中で挫折した本たち。


この本も危うく上記リストに並ぶところだった。
大学の図書館は通常2週間の借用期間の後、
1回だけさらに2週間の延長、都合4週間借りられるのだけど、
4週間経過した時点で総504ページ中、半分ほどしか読み進まず。

例によってちんぷんかんぷんで、ほとんど内容が理解できないので、
返却してしまおうか、と思ったのだけど、
なんか勢いがついちゃって、結局もう一週間かけて読み切った。

半分は意地だね。
分厚い本を満員電車に揺られながら、絶対最後まで読んでやる、ってな感じで。

建築家として手腕が優れていればいるほど、
その文章力は反比例していくような気がする。


「空間」
この大学で1年間、空間について学んだけど、結局明確な答えは得られなかった。
もやもやとした霧や雲のような存在で、つかもうとしてもその感触が得られない、
つかみどころのない存在。

時にそのことにイライラしたり、失望したけれど、
それでも「空間」に惹かれる自分を感じる。
ただ、「空間」という言葉に惹かれているのか、その本質に惹かれているのか、
それさえも今は分からない。

ただ。


  「空間へ」


今の自分の状態を一言で言い表すならば、間違いなくこの言葉に要約される。
だから、この分厚い本を手に取ったのかもしれない。


...しかし磯崎さんの文章は相変わらずさっぱり。


DIC川村記念美術館【千葉県佐倉市】

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千葉県佐倉市の川村記念美術館に行ってきました。

新しいバイトをはじめて1ヶ月が無事過ぎ、いよいよ初給料日間近。
そして来週には大学4年生のスタート。
毎回休みには貧乏旅行をしていたわけですが、
いよいよそんな悠長なこともしていられない状況になってしまい、
バイト三昧の春休みだったけど。

日帰りでも、近場でもどこか行っておきたい。
ちょうど桜も見頃だし。

候補として、水戸芸術館か川村紀念美術館が頭に浮かぶ。
水戸芸術館は過去に何度か行ったこともあって、磯崎新のタワーが大好き。
また、水戸の偕楽園へも一度は行ってみたいなあ、と。
対する川村記念美術館は千葉は佐倉にある庭園美術館。
前から一度行きたいと思いつつ、未だ行けてなかった。

で、交通費を調べたら...
なんと水戸は佐倉の倍はかかることが発覚。
一も二もなく佐倉に決定。
...水戸って遠いんだな。

かつての会社員時代に通い慣れた総武線で2時間ほどかけて佐倉へ。
佐倉駅からは無料シャトルバスで20分ほど。


佐倉で桜を満喫。


イサム・ノグチ ~宿命の越境者~【ドウス昌代】

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「地球を彫刻した男」イサム・ノグチの評伝。

作者のドウス昌代さんは名前からしてイサムと同じハーフなのかな、
と思いきや旦那さんが外国人というだけでどうやら生粋の日本人のようです。
余談ですが、ドウス昌代さんの出身である北海道岩見沢市の
岩見沢複合駅舎が2009年グッドデザイン大賞を受賞しました。
この本を読んだタイミングにおいて、なにかしら奇縁を感じます。

イサム自身も「ある彫刻家の世界」というタイトルで生前に自伝を出しているものの、
その大半は自分の作品の写真で占められ、出自に関する文章は30ページほど。
彼の本質を理解するには十分なものではなかった。

彼は自分の人生の足跡を記録として残すことにこだわる人だった。
多くのアーティストと同じく文章を書くことはそれほど得意ではなかったが、
家族や友人とよく手紙のやりとりを行い、その手紙を大事に保管していた。
晩年は自分の人生を自らの肉声で録音するということまでした。
彼は非常にエゴの強い人間だった。

その記録と共に彼が残した足跡を筆者が根気よくたどることにより、
この物語は実現している。
記録によるイサム本人の声と、筆者の取材という主観と客観の双方からの
アプローチによりイサムの実像がよりくっきり見えてくる。

この本はただイサムを賛美するだけでなく、
厳しい批評も賛美と同じくらい含んでいる。
その点でこの本は正直な評伝だと思った。


ナショナリティのギャップがまだ現在ほど寛容に受け容れられない時代。
日本とアメリカの「アイノコ」はどちらの社会からも受け容れられなかった。
その耐え難い傷がイサム・ノグチの出発点となっている。
ナショナリティを超え、ボーダーレスのアートという領域に
自分が属することができる場所を見出そうとした。
しかし皮肉にもその特異な出自はアート界をも戸惑わせた。
「巨匠」と呼ばれながらも、奇妙なほど捉えづらい存在とした。
それがイサムらしさ、ということなのかもしれないし、
イサムの巨匠たらんところでもあるのだと思う。


ブランクーシはその「純粋性」において惹かれる。
一方イサムはその「渾沌性」において惹かれる。


負ける建築【隈研吾】

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隈研吾氏の「負ける建築」を"やっと"読んだ。


まだ建築に興味を持つ前の頃から、
安藤忠雄と隈研吾の名前は知っていた。
それほどこの二人の建築家の名前は社会の中でブランド化していた。

しかし今の自分は「ブランド」に対しては懐疑的。
この本の存在はけっこう前から知ってたけれど、なかなか手を出さずにいた。
「負ける建築」というネガティブなタイトルも好きになれなかった。


前回の個人美術館の課題で等々力の村井正誠紀念美術館を見学して、
隈氏の建築に触れる機会を得た。
そしてその空間の素晴らしさに魅了された。

そして現在乃木坂のギャラリー「間」で開催されている隈氏の個展
「有機的」を意識した氏の建築にさらに惹かれていった。
氏の建築思想をもっと知りたいと思った。


タイトルからエゴ丸出しの主観的な本かな、と思ったら、
全くの逆で、主観を殺し、あくまで客観的な語り口調。
自分の建築作品についてはほとんど語られていない。
その客観性が逆に自分の言説が絶対正義だという傲慢に写らなくもない。

そして建築家特有の文章の難解さ。
東大院卒のインテリだけに知性溢れる文章なんだけど、
決して読者には優しくない。
そしてこの本はすべての建築を志す者に夢を与える本ではない。
建築の現実の厳しさを説き、それでも君は建築を志すか?と読者に問う。
まさに子供を谷底に蹴落とす獅子のようなスタンス。


この本には賛同できる点が多い反面、疑問に思う点も多々。

いずれにせよ、この本は多くのことを考えさせられる。
その意味においてこの本は間違いなく良書といえる。

建築を志す人にぜひとも読んでもらいたい。
そして読んでどう思うか。
その声を聞いてみたい。


FLUX STRUCTURE【佐々木睦朗】

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この本もなんとか夏休み終了前に読み終えました~

構造の大家、佐々木睦朗氏の著書。

お名前は前からちょくちょく耳にしていたのですが、
今回はじめて著書を読みました。

建築家独特の文章の難しさ、というよりは科学者、理論家独特の文章の難しさ。
それでもまあ建築家の文章よりはすっきりしてて比較的読みやすかったかな。

八王子での「構造力学」の先生が佐々木氏の下で仕事をしていたこともあって、
その仕事、作品についてもいくつか予備知識はありました。

せんだいメディアテーク金沢21世紀美術館、フィレンツェ新駅など。


屋上緑化【船瀬俊介】

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人が大量に集まって都市が形成される。
そこにあった自然は破壊され、
高層ビル群は巨大な放熱版となり、ヒートアイランドと化す。
コンクリートとアスファルトに囲まれた人間たちは心身共に病んでいく。

アル・ゴアによる『不都合な真実』などによって地球温暖化問題が
全世界的に認識されつつある21世紀において、
もはや都市礼賛の時代は終焉を迎えつつあり、
21世紀は都市の新しい形を模索する時代といえます。


ビルの屋上や壁面を植栽などにより緑化することで
コンクリートジャングルを緑のジャングルに変える。


...それが屋上緑化や壁面緑化と呼ばれる都市におけるエコ活動。