瀬戸内国際芸術祭2019春会期。
1日目はあえて島を渡らず坂出・高松エリアを回りましたが。
それはそれでけっこう面白いですが、
...やっぱり瀬戸芸は島を巡らなきゃ。
というわけで2日目は島を巡るつもりで、
まずはまだ行ったことのない大島に行くつもりだったのですが、
インフォーメションで聞いたらたまたまその日は停電で作品が見れない、と。
そこで急遽行き先をを変えて小豆島へ。
小豆島は瀬戸芸の会場となる島々の中で最大の島です。
メインの会場である直島や豊島は確かにアート性の高いスポットではあるけれど、
ハイソすぎてせっかくの周辺環境と隔絶してしまっている気がします。
一方、小豆島には過疎化により使われなくなった施設や住居を活用した、
地域密着型の作品が多数展開しており、
広い島を決して十分ではない交通網を駆使してオリエンテーリング的に巡る面白さがあります。
その極致が中山地区にあるワン・ウェンチーの作品だと思います。
作家のアイデアを地元の人たちと一緒に大きなかたちにしていく。
会期が終わると毎回解体し、次の会期にまた新しく組み上げる。
アートによる地域振興の理想形がここにはある。
沙弥島を後にして高松へ。
瀬戸内国際芸術祭といえば高松を拠点に様々な島巡りをするのが基本ですが、
そのお膝元の高松にもいろいろと作品があります。
前回までは島巡りに集中していて、高松をゆっくり巡ることができなかったので、
今回は1日、あえて船に乗らず高松各地を巡ることにしました。
まずは高松中心地の東側・屋島の山麓にある四国村へ。
東京都小金井市に住宅の博物館・江戸東京たてもの園がありますが、
四国村はその四国版みたいなところです。
ここにある瀬戸芸の作品1つを見に行くのが主目的でしたが、
せっかくここまで来たのだから、と四国村を一周することにしたのですが、
これが甘かった。
四国村広すぎる〜;;
松山出身の俳人といえば、幕末から明治に生きた正岡子規が有名ですが、
その前に江戸時代に活躍した俳人として栗田樗堂がいます。
酒蔵の三男として生まれ、17歳のときに同業の栗田家の養子に入り、その蔵を継ぐ。
養父及び妻が俳人であったことから自然と俳諧に慣れ親しむ。
松山藩の大年寄になるなど精力的に活躍していたが、五十を超える頃、
浮世を捨てて俳諧に専念するために草庵・庚申庵を建てました。
樗堂はここでの隠遁生活を望むも、その有能さゆえか周囲はそれを許さず、
庚申案での生活はわずかな期間だったと言います。
その後、樗堂は俗世から逃れるために御手洗島(現在の広島県・大崎下島)に移住し、
そこで66年の生涯を終えます。
俳人としての腕前は相当なものだったようで、
当時発行された俳人番付で、あの小林一茶が末席だったのに対し、
樗堂はかなりの上位に列せられていました。
実際、一茶はかなり樗堂をリスペクトしていたようで、二度ほど樗堂の元を訪れています。
とくに誹諧に興味があったわけではなく、
テレビでふじまつりの様子を見て、行きたくなりました。
少々満開の時期を過ぎていましたが、なかなか見事な藤棚でした。
鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる 与謝蕪村
夏休み二日目、佐川美術館を後にして現存十二天守の一つ、彦根城へ。
関ヶ原の戦いにおいて徳川四天王の一人として活躍した井伊直政が
その軍功により家康より近江国北東部を賜り、
その居城として彦根城が建てられました。
直政は戦傷が癒えず、築城が実現を待たずに死去してしまいますが、
その子直継の代になった1604年に築城を開始、20年の歳月を経て完成しました。
幕末に大老となった井伊直弼も藩主となるまではこの城で過ごしました。
明治の廃城令とともに解体の危機に遭いますが、
明治天皇が巡幸でこの城を通られた際に保存を命じられたことで破却を免れ、
現在まで往時の姿をよく留めています。
現存十二天守のひとつであり、天守・附櫓・多門櫓が国宝に指定されています。
訪問日:2018年5月26日(土)
丸亀で美術館といえば、丸亀駅前にある猪熊弦一郎現代美術館が有名ですが、
ネットで調べていると、ほかにもう2つほど美術館があるみたいです。
前回は丸亀平井美術館を紹介しましたが、
今回はもう一つの丸亀美術館を紹介します。
さぬき浜街道を丸亀平井美術館から西へ車で7分ほど。
丸亀美術館は江戸時代に造られた大名庭園・中津万象園に併設された美術館で、
ミレーやコロー、クールベなどの巨匠の作品を見ることができます。
中津万象園は1688年、二代目丸亀藩主・京極高豊によって中津の浜に造られました。
築庭はその後100余年もの長い年月をかけて五代高中のときに完成。
庭の中心には京極家の先祖の地である近江の琵琶湖を形どった八景池が置かれ、
近江八景になぞらえて、帆、雁、雪、雨、鐘、晴嵐、月、夕映と銘した八つの島が配され、
それぞれの島を橋で結んだ池泉回遊式の大名庭園となっています。
訪問日:2018年5月26日(土)
1ヶ月ほど前の話。
香川県立ミュージアムで開催中のイサム・ノグチ展に行ってきました。
イサム・ノグチの個展に行くのは、2006年高松市美術館での開催以来12年ぶり。
その最初の個展以降、香川とニューヨークの庭園美術館に行ったり、
ドウス昌代さんのイサム伝記を読んだりと、
それなりにイサムについて見識を深めたつもりだったけど。
2回目の個展も新しい発見の連続だった。
やっぱり奥が深いなあ、この日米混血の彫刻家は。
久々のブログの更新です。
じつは昨年11月に転職しまして、冬が忙しい職種ということもあって、
昨年10月末に出かけた旅行記もまだ残っていたのですが、
休みなしでどこへも行けないどころか、ブログを更新する間もありませんでした。
まだまだ繁忙期は続きますが、だいぶ時間の余裕が出てきたので、
少しずつ再開していきたいと思います。
昨年10月末の旅行記、岡山県の閑谷学校に続いては、
岡山駅近く、旭川をはさんで岡山城の北に広がる岡山後楽園に行ってきました。
江戸時代を代表する大名庭園の一つであり、
水戸偕楽園、金沢兼六園と並ぶ日本三名園の一つでもあります。
本園は1687年、岡山藩主・池田綱政公が家臣・津田永忠に命じて1687年に着工、
14年の歳月を経て1700年に完成しました。
その後も藩主の好みで手を加えられたものの、江戸時代の姿を大きく変えることなく
現在まで伝えられており、昭和27年に国の特別名勝に指定されました。
ちなみに池田綱政は名君として名高い池田光政の嫡男であり、
津田永忠はその光政によって見出された家臣であり、
光政の命により備前市の旧閑谷学校の建設にも携わっています。
作庭当初は城の後方にあることから「後園」と呼ばれていましたが、
明治になって、「先憂後楽」の精神に基づいて造られたと考えられることから
「後楽園」と改められました。
人より先に憂える場所が岡山城で、人より後れて楽しむ場所が後楽園といったところでしょうか。
時の名君が、天下の楽しみに遅れて楽しむために作った庭園とはいかなるものだったのか。
この目でしかと見届けたいと思います。
三徳山をめざして岡山自動車道へ車を走らせていると、
ふと、「重森三玲の世界」という看板が視界に入ってきた。
すごく気になったのもの、できるだけ早く現地に着きたくてやむなくスルー。
しかし後日、どうにも気になって訪れることにしました。
岡山県吉備中央町は重森三玲の生まれ故郷です。
町内には記念館およびパネル展示室と、
「友琳の庭」「西谷邸」「小倉邸」「天籟庵」「功徳庵」の
三玲が手がけた庭園や茶室が5ヶ所あります。
事前にネットで調べたところ、いずれも無料公開してるとのことですが、
この「無料」が曲者でした。
たぶん平日はほとんど訪れる人がいないのでしょう。
どうやら普段は無人で放置状態のため、中に入れないところもあうようです。
訪れる際は管理をしている町役場に事前連絡をしたほうが良さそうです。
「タダほど高いものはない」とはよく言ったものです。
10年ぶりの尾道。
千光寺公園の駐車場に車を停め、千光寺から天寧寺と下りてきて、
国道沿いに東へどうすること10分。
最後の目的地、浄土寺に到着。
推古天皇24年(616年)聖徳太子開基と伝えられる。
鎌倉時代の終わり頃には荒れ果てていたが、定証上人により復興。
その20年後に焼失するも尾道の邑老道蓮・道性夫妻により堂宇再興の大願を発して再建、
現在に至る。
室町時代には武家・公家双方から手厚い外護を受ける。
特に足利氏による庇護は厚く、足利尊氏が九州に落ち延びる際には、
浄土寺にて戦勝挽回を祈願したところ、その後の戦いで見事に勝利し、
室町幕府の初代征夷大将軍となった。
南北朝時代の戦乱の世へとの移行に伴い再び荒廃するも、
江戸時代では地元豪商の庇護を受けることで支配階級からの保護から一転、
庶民信仰中心の寺院へと変貌した。
約700年も前の建造当初の様子をよく残しているとのことから、
境内の土地と建物(本堂・多宝塔)の両方で国宝の指定を受けています。
これはこの浄土寺と京都の清水寺のみです。
三徳山三佛寺投入堂参拝でかいた汗を三朝温泉で洗い流した後、
西に移動して島根県安来市にある足立美術館へ。
本当はその前に鳥取県伯耆町にある植田正治写真美術館に寄りたかったけれど、
自宅を出るのが遅れたのと、思ったより長く三徳山に滞在してしまったため、
時間がなくなってしまい、やむなく今回はパスすることにしました。
三朝温泉から足立美術館までは山陰道でおよそ1時間半。
午後3時ちょっと前に到着して、閉館間際の5時近くまでおおよそ2時間、
名園と名画を堪能しました。
足立美術館は実業家・足立全康氏のコレクション約1500点を
展示する美術館として、昭和45年に開館。
特に約120点を数える横山大観のコレクションが有名で、常時20点前後を展示しています。
そのほか竹内栖鳳、川合玉堂、橋本関雪、榊原紫峰、上村松園、鏑木清方など
近代日本画壇の巨匠たちの作品がズラリ。
また、河井寛次郎と北大路魯山人の二巨匠の陶芸作品も充実しています。
本美術館の最大の特徴は五万坪に及ぶ広大な日本庭園。
「庭園もまた一幅の絵画である」という言葉が表すように、
全康自らが心血を注いで見事な日本庭園を創りあげました。
アメリカの日本庭園専門誌が行う日本庭園ランキングにおいて、
足立美術館は2016年時点において14年連続日本一に選ばれています。