新居浜市美術館で開催中の東京富士美術館コレクション展に行ってきました。
本展は新居浜市市制施行80周年記念事業として開催されるもので、
古今東西の美術コレクション三万点を有する東京富士美術館の協力を得て、
東西の一級品65点が展示されています。
二部屋三部構成、と規模こそ小さなものだけれど、
なかなか濃いエッセンスが詰まった良い展示でした。
こんな田舎でこんな素晴らしい絵画の数々が見れるなんて驚きです。
(新居浜はそれでも愛媛の中では都会のほうなんですが^^;)
もう一つ驚いたのは作品が収められた額の豪華さ。
作品に風格を持たせるための額の重要性、というものを改めて感じました。
惜しむらくは展示品にかけられたガラスのカバー。
作品を保護するため、ということは重々承知しているのですが、
作品に映り込む自分の影が見える度に我に返って落胆してしまう。
それが作品の魅力を三割減じてしまっている。
額が立派なものだけに余計にそのことが悔やまれる。
カバーガラスの問題は別に本展に限ったことではなくて、
借り物で構成する企画展にはつきものの悩ましさ。
ここで思い出すのが2010年の横浜美術館でのドガ展。
目玉作品の「エトワール」にもガラスがかけられていたのだけど、
正面から見るとガラスが消える。
特殊なガラスなのか、特殊なライティングなのか、はたまたただの気のせいなのか。
いまだに分からないけど。
いつかカバーガラスに悩まされずに気軽に絵画鑑賞ができる日が来るといいなあ。
ピカソ 偽りの伝説〈上〉
ピカソ 偽りの伝説〈下〉
久々の読書。
世界で一番多作で、多才で、有名な画家の伝記。
その際立つ天才さゆえに、その部分だけがクローズアップされ、
社会の中で神格化されていった。
しかしその素顔は...というのが著者のつけたサブタイトルの意図ではないだろうか。
人間が持つ「能力」と「人間性」は必ずしも比例関係にはない。
むしろある特定の才能に長けたものは、その能力が高ければ高いほど、
人間性にどこか問題があることが一般的には多い。
画家ピカソもその例に漏れず。
彼に関わった人間、とくに女性たちはことごとく天才の刃で傷つけれらた。
女性を虜にする魅力を持っていながら、彼自身は女性を軽蔑していた。
溢れんばかりの生命力を宿しながら、死への恐怖を人一倍深く抱えていた。
溢れんばかりの生命力を負の方向へと向けたなら...
その意味では彼はメフィストフェレスだったのかもしれない。
著者は芸術家ではないジャーナリストであるため、
芸術そのものへの関心や造詣はそれほど深くないけれど、
だからこそ、かの巨匠芸術家を冷静な目で見つめ、客観的な立場で
彼の人生を語ることができたのかもしれない。
一方で彼に関わった女性を傷つけた所業に対して、
同じ女性、という立場で少々厳しい批判的態度を感じなくもない。
いずれにせよ、芸術を社会の中での位置付けを考えていく上では
主観的にも客観的にもちょうどよい塩梅だったのかな。
客観的すぎれば興味が換気されない平易さに陥るし、
主観的すぎればこれまた偏りすぎて社会性に欠けるものになってしまう。
[ギュスターヴ=アドルフ・モッサ「彼女」(1905年)]
大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。
本記事では象徴主義、ナビ派、ウィーン分離派、フォービスム、表現主義、エコール・ド・パリ、
キュビスム、ダダイスム、シュルレアリスムをピックアップ。
絵画の様式は、秩序と無秩序、安定と不安定、静的と動的を繰り返すものだけど、
決して同じことの繰り返しではなく、時代背景や情勢によって、
常に新しい要素を内包させてゆく。
それは樹木が根本から無数に枝分かれしてゆくかが如く。
枝別れたものが行き着く先はどんなものなのか。
それはすべてが混ざり合うカオスなのだろうか。
すでに現代アートというジャンルが一つの様式として括れないところに来ているのか。
はたまた、単に今を生きる自分たちには現代アートを客観的に眺めることができず、
数世紀、数十世紀先の人たちが今のアートやエンタメを眺めて様式化するのだろうか。
...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。
照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。
「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。
[サルバドール・ダリ「バラの頭の女性」]
ドガ展を見に久々に横浜美術館へ行ってきました。
丹下健三設計により1988年竣工、翌1989年開館。
僕の中のイメージでは建築家には2つのタイプがあって、
デビューから早い時期に花開く天才肌タイプと、
晩年に花開く大器晩成型。
丹下さんは前者で、1955年の実質的なデビュー作となった広島平和記念公園から、
1964年の東京カテドラル、代々木競技場、香川県立体育館を頂点に、
以後はあまりぱっとしない印象がある。
...あくまで僕の中での印象なのだけど。
横浜美術館もぱっと見はモダニズムの重厚さは薄れ、
どちらかといえばポストモダンの軽さが見える。
モダニズム好きにはちょっとがっかりなのだけど、そこは巨匠、
内部空間はやはり素晴らしい。
2SCとの合同講義の合間に書いた落書き。
(色付けは後でやりましたけど)
とくに意味はありません。
いわゆるオートマチズム(自動筆記)ってやつ。
うーん、シュルレアリスム 。
コピックのあの描き心地が好き。
[カルロ・ドルチ『悲しみの聖母』(1655年)]
国立西洋美術館。
1959年に370点におよぶ松方コレクションが核となって始まり、
現在ではおよそ5,500点の作品を所蔵しています。
常設展における所蔵品作品については撮影可能となっています。
日本の美術館の中でも屈指のコレクションを誇る国立西洋美術館の作品群について、
完全に自分の好みでピックアップ。
撮影日時は2009年8月末。
企画展「ル・コルビュジエと西洋美術館」が開催されていました。
絵画の魅力が少しでも伝われば幸いです。
2年次に選択履修した共通教育科目『写真表現史』。
前期に引き続き、後期もレポート課題です。
後期は先生が指定する写真家群の中から一人選択して、
その写真集を見て、考察せよ、というもの。
安井仲治、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ウォーカー・エバンズ、
石元泰博、アウグスト・ザンダー、ロバート・フランク、
スティーブン・ショア、大辻清司
この中から僕は安井仲治を選びました。
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ル・コルビュジエの著書群に匹敵するほどの建築家の必読書らしい...
...ということで読みました。
しかしル・コルビジェの本と同じく、いやそれ以上に読みにくかった...
ハリウッドでのシナリオライター、という前歴から
もうちょっとドラマチックなものかと思ったのですが、
頭の中はすでに建築家モードだったようです。
この本は1978年、まだコールハースが建築家としては
まだ著名な作品もなく、無名の頃に出版されたのですが、
出版から2年後の1980年には売り切れたとか。
その後本業の建築に専念するということから1994年までの14年間
絶版が続いた後、ようやく再版となったとか。
摩天楼犇めく世界に冠たる大都市、ニューヨーク。
世界広し、といえどもここまで見事な摩天楼が密集する街はそうない。
それはただ強度ある岩盤地盤に恵まれたから、だけなのだろうか。
あるいはニューヨーク独自の様式がそこにはあったのか。
「マンハッタニズム」
コールハースがそう呼ぶニューヨークの独自様式とは、
はたしてどんなものだったのか。
その様式を理解することでこれからの建築の未来が見えてくるのだろうか。
[2館共通公式図録 2800円:表側]
11月最後の日曜日。
ピカソ展に行ってきました。
国立新美術館とサントリー美術館をはしご。
まずは国立新美術館。
日曜日なので混雑を予想して閉館2時間前の16時に入場。
まあそのおかげというか、人はやっぱり多かったけど、
予想してたよりは楽に観れました。
そして予想よりも展示が少なかったのか、1時間程度で見終えました。
こちらは会場全体は明るいのですが作品への照明は暗めでした。
(一部影が作品に影響するものはのぞく)
次にミッドタウン内のサントリー美術館。
国立新美術館に比べてこちらは日曜日だというのに人は少なめ。
展示規模はさらに小さくて鑑賞時間は1時間弱。
こちらは逆に会場全体は暗く、作品への照明は明るめでした。
世界一有名な画家、ピカソ。
しかし多才がゆえの多彩な作品ゆえに、
世界一理解が難しい画家でもある。
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天才とはある特定の部分において繊細だと思う。
そしてその繊細さゆえに天才は脆い生き物だと思う。
しかし彼は強かった。天才でありながら強靭。
天は彼に二物を与えたのか...
偉大なシュルレアリスト、ダリの自伝を読みました。
自伝といっても彼が37歳のとき執筆したもので半生記になるわけですが、
彼は本書中で半生を振り返ると同時にこれからの人生を予見してもいます。
とにかく彼は早く歳をとりたかった。早く「老人」になりたがった。
しかし読むのに苦労しました。
ダダイスム、シュルレアリスム関連の文章は例外なく読みづらい。
だから絵やオブジェによる作品が必要なのかもしれないですね。
サルヴァドール・ダリ。
その名が示すとおり彼はシュルレアリスムの救世主(サルヴァドール)だった。
自他共に認める天才だった。
彼は自らを「自分こそ唯一絶対の真のシュルレアリストである」と語るように
多くのシュルレアリストの中でもとくに奇異な存在だったようです。