錯乱のニューヨーク【レム・コールハース】

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ル・コルビュジエの著書群に匹敵するほどの建築家の必読書らしい...
...ということで読みました。

しかしル・コルビジェの本と同じく、いやそれ以上に読みにくかった...
ハリウッドでのシナリオライター、という前歴から
もうちょっとドラマチックなものかと思ったのですが、
頭の中はすでに建築家モードだったようです。

この本は1978年、まだコールハースが建築家としては
まだ著名な作品もなく、無名の頃に出版されたのですが、
出版から2年後の1980年には売り切れたとか。
その後本業の建築に専念するということから1994年までの14年間
絶版が続いた後、ようやく再版となったとか。


摩天楼犇めく世界に冠たる大都市、ニューヨーク。
世界広し、といえどもここまで見事な摩天楼が密集する街はそうない。
それはただ強度ある岩盤地盤に恵まれたから、だけなのだろうか。
あるいはニューヨーク独自の様式がそこにはあったのか。


「マンハッタニズム」


コールハースがそう呼ぶニューヨークの独自様式とは、
はたしてどんなものだったのか。

その様式を理解することでこれからの建築の未来が見えてくるのだろうか。


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本書はニューヨークの歴史を追ってゆくことで
「マンハッタニズム」の正体に迫ります。
序章、前史に続いて5部構成でマンハッタンの歴史が語られた後、
補遺としてコールハース(OMA)の提案が最後に語られる、といった構成。


第Ⅰ部 コニーアイランド-空想世界のテクノロジー


[コニーアイランド]

最初はマンハッタン島の外にあるコニーアイランドという
娯楽の実験室からはじまる。
それはスティープルチェイス、ルナパーク、ドリームランドという
3つの遊園地の建設を経た後、グローブ・タワーという球状の建築物が
究極の摩天楼である、という結論で幕を閉じる。


第Ⅱ部 ユートピアの二重の生活-摩天楼


[フラットアイアンビル]

マンハッタンに実際の摩天楼が建ちはじめる。
ここで初期の摩天楼として著名なフラットアイアンビルが登場します。
1902年竣工。現在も健在です。

その後高層ビルの乱立に伴い日照問題などが顕著になってくることで
1916年、かのゾーニング法が制定されると、ビルの形状は
このゾーニング法の制限を受けたものになってくる。

ヒュー・フェリスという優れたレンダラーが登場し、
さまざまな摩天楼のドローイングを作成する。
それは「明日のメトロポリス」という作品集に集約される。

摩天楼は着せ替え人形となり、
建築家は自身が設計したビルの衣装を纏って
「ニューヨークのスカイライン」というバレエを踊る。

ウォルドーフ・アストリアホテル、
エンパイア・ステートビル、
ダウンタウン・アスレチック・クラブ、

という3つのビルを例にして、摩天楼の持つ特性を解説しているのですが
よく分からず。


第Ⅲ部 完璧さはどこまで完璧でありうるか-ロックフェラーセンターの創造

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[ロックフェラーセンター]

いよいよレイモンド・フッドを中心としたロックフェラーセンターの登場です。
巨大なエリアが対象となることで建築というよりはアーバニズムの色が
濃くなってきます。

世界恐慌の煽りを受けて10年近くをかけてじっくりと熟成されてゆく様が
解説されているのですが、やっぱりマンハッタニズムについて明確な
悟りを得られるまでには至りませんでした。


第Ⅳ部 用心シロ!ダリとコルビュジエがニューヨークを征服する

希代のシュルレアリスト、サルバドール・ダリと、
20世紀の三大建築家の一人、ル・コルビュジエの登場です。

ここでのキーワードは「偏執症的批判方法(PCM)」です。
「偏執症的」というキーワードはダリの自伝を読んだときにも
再三登場してきましたがいまだにどういうものかよく分かりません。
本書ではさらにコルビュジエまでもが登場してきてなおさら分からなくなりました。

ただ分かったのは、ダリに対しては肯定的、コルビュジエに対しては否定的、
という姿勢です。
マンハッタニズムはシュルレアリスムを受け入れ、モダニズムは否定する、
ということでしょうか?...そんなに単純なことではないと思うのですが。

ここまで読んでふと思ったのは、
ニューヨークは著名な建築家による建築が少ない、ということです。
あるにはあるのですが、摩天楼の数からすれば
もっとたくさんあってもよさそうなものです。

ミースはシーグラムビルのみですし、ライトはグッゲンハイムのみ、
コルビュジエに至ってはニーマイヤーとの共同設計で国連ビルのみ。
ミースはシカゴに、ライトもアメリカ各地に多くの建築作品があるのに
どうしてニューヨークでは多く残せなかったのか?
そしてマンハッタンの高層ビルを設計人たちはどうして
ニューヨーク以外で活躍できなかったのか?

...その辺にマンハッタニズムの特性が垣間見える気がします。


第Ⅴ部 死シテノチ(ポストモルテム)


[トライロン&ペリスフェア]

マンハッタンそのものは現在も健在ですが、
マンハッタニズムはすでに死んでいる、とコールハースは言います。

最後のマンハッタニスト、ウォーレス・ハリソン。
その彼が提案した未来のマンハッタン像が「デモクラシティ」。
1939年のニューヨーク万博で提示されたもので、
トライロン(Trylon)という中身のない三角形の尖塔と
ペリスフェア(Perisphere)という直径200フィート(マンハッタンのブロック1つ分)
の巨大な球で構成されており、デモクラシティはペリスフェアの底にある。


補遺 虚構としての結論

最後にコールハースと彼の設立したOMAによる提案。
これは実際に建てるこことを意図したものではなく、
あくまでマンハッタニズムを説明するものとして作られたものだと思われます。


  ・囚われの球を持つ都市
  ・ホテル・スフィンクス
  ・ニューウェルフェア島
  ・ウェルフェア・パレス・ホテル
  ・プールの物語


僕的には最後の「プールの物語」が面白かったかな。

  

...ただこの作品の意図するところはよく分からないけど。
移動するプールでその動力は中で泳ぐ人。
泳ぐ人の反力で泳ぐ方向と反対方向にプールは移動する。
だからスイマーには進行方向が見えない。
スイマーたちはロシアの建築家たち。
40年がかりでクレムリンから大西洋を横断してマンハッタンにやってくる。

...なんのために?


本書ではマンハッタニズムを説明するものとして、
一貫して「過密の文化」というキーワードが挙げられています。
建築家は本来過密を解消するものを都市に提供しなければならないのに、
表面上はそのようにしていても、実際は過密を求めていた。
その結果が摩天楼の密集だった、と。

正直今はまだマンハッタニズムがどういうものか、よく分かっていないし、
上手く説明もできない。

それは一種の狂気だったのか。
でも整然としたグリッドの中に並ぶ街は美しい。
空が高い。

むしろその広さゆえに計画的に開発されなかった東京のほうが
煩雑で混沌的に感じる。


実は大学入学の前にニューヨークに旅行しました。
そのときは本書はおろか、コールハースの名前も知らず、
建築に対しても漠然的でした。

摩天楼にもそれほど興味がなくて、
多くのビルの前を無関心に通り過ぎていたことが今になって思うと悔やまれます。

エンパイア・ステートビル。
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ロビーまでは入ったけど登らなかったなあ。


フラットアイアンビルのあたりからエンパイア・ステートビルを臨む。
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フラットアイアンビルのすぐそばを歩いていたんだよなあ...


フィリップ・ジョンソン設計の旧AT&Tビル(現ソニービル)
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ここもソニービル、ということで足を踏み入れただけで、
フィリップ・ジョンソンのポストモダン期の代表作とはつゆ知らず。


そのほかグランドセントラル駅まで行ったのに
クライスラービルに無関心だったり、
国連ビルにも行かなかったなあ。


ああ、やっぱりもう一度行きたい、ニューヨーク。


そして後年もう一度、この本を読み返したい。

現時点では明確な啓示は得られなかったけど、
やっぱりなにか重要なポイントを孕んでいる気もする。


1冊持っておきたいかも。
実際に読んだのはトップ画像の赤い本で4千円もするのですが、
どうやら文庫版もあるようです。


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