戦前に関西で活躍したアマチュア写真家・安井仲治

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2年次に選択履修した共通教育科目『写真表現史』。

前期に引き続き、後期もレポート課題です。


後期は先生が指定する写真家群の中から一人選択して、
その写真集を見て、考察せよ、というもの。

安井仲治、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ウォーカー・エバンズ、
石元泰博、アウグスト・ザンダー、ロバート・フランク、
スティーブン・ショア、大辻清司


この中から僕は安井仲治を選びました。


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[P111「犬」]


以下提出したレポート。

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『安井仲治写真集 Nakaji YASUI Photographer 1903-1942』


 写真は現実を記録するものであり、それ以上でもそれ以下でもない-美大に入って本格的に芸術を学ぶまではそう思っていた。そういう先入観があったせいもあって、絵画は割と鑑賞を楽しむことができるまでに時間もかからず割と素直に入って行けたのに対し、写真はいまだにその芸術性がよく分からない。分からない、というよりなんかもやもやしてすっきりしない。ブレッソンやマン・レイなどのように中には見た瞬間に「面白い!」と思える写真もあるのだけれど、絵画や彫刻などのメディアに比べるとまだまだその数は少ない気がする。
安井仲治の写真も、正直に言えばそのもやもやする写真群の1つであって、写真集を開き、ぱらぱらとめくってみる限り、どこにでもある普通の写真、というのが第一印象だった。写真を芸術として楽しめるようになるにはまだまだ勉強が足らないようだ。そこで軽く写真集全体に目を通した後、冒頭の解説文を熟読してみた。そうしてようやくこの写真家の非凡な個性、面白さが見えはじめた。

 二十世紀初頭の大阪の裕福な家に生まれ、十九歳の時、大阪の名門写真倶楽部「浪華写真倶楽部」に入会して以来本格的に写真活動を開始、ただしプロカメラマンとしてではなく、あくまでアマチュアとしてその写真人生を全うする。そして太平洋戦争開戦翌年に三十八歳という若さで病死してしまう。アマチュアとしての立場を貫いたように安井は写真一筋ではなく、絵画や茶道、短歌など多用な分野に興味を示したという。そしてその幅広い分野への興味は写真にも表れている。「曲馬団」「流氓ユダヤ」「どん底」シリーズに見られるような表情豊かなポートレートもあれば、「メーデー」シリーズのような動態表現に取り組んだものもある。一方でシュルレアリスムの影響を受けて、その代表技術であるフォトモンタージュやソラリゼーションなどを駆使した一連のシュルレアリスム的作品、物体の秘密を探ろうとした「半静物」や「磁力の表情」シリーズ、そして晩年の「雪月花」「上賀茂」シリーズにおける日本的な「侘び」境地の作品など。実に多様である。物事を幅広くやろうとすると、どうしても「広く浅く」になりがちなのが世の常である。しかし安井の作品は一見するとなんでもない写真のように見えるのだけど、一つ一つをじっくりよく見ると実に深い。さらに安井の非凡さを際立たせているのは、いかに戦時下という極限下の時代だったとはいえ、比較的裕福な家庭で安定した生活を営んでいた人間が、これだけの変化に富んださまざまな方向へ深く入り込んでゆけた、という事実である。豊かな状況にいると人間は現状に満足してしまい、なかなか新たなものにチャレンジしないものではないか。シュルレアリスムという時代の大波を受け止めながらもその波にのまれることなくあくまで自分の道を貫き通そうとする芯の強さもある。ソラリゼーションやフォトモンタージュ、コラージュなどシュルレアリスムの代表的な技術が撮影後にネガや写真を操作して加工するのに対し、「半静物」シリーズでは撮影時に被写体の配列を操作することで作品を作っていく姿勢などまさにその表れではないだろうか。安井仲治という人間は自分の無能さや不遇さを環境のせいにしてしまいがちな凡人とは一線を画した天才肌であったことがこの写真集をじっくり眺めているとじんわり見えてくる。

 写真集の中でとくに目を惹いた作品をピックアップして安井作品の深さを検証したい。P62-63「波と群衆」。群衆の持つエネルギーがダイレクトに伝わってくる。P66「建築物」。建物と建物の間の狭い空間と思われるが直線の反復と奥行き、白黒の単調な色調が機械文明批判を感じさせる。P67「斧と鎌」。階段に置かれた斧と鎌の二本のジグザグの影が使い方によって道具は善にも悪にもなる、と言ってる気がした。P72-73「水」。アスファルトに打ちつけられた瞬間の水の様子。この物理的な瞬間に同期して人間の奥深い某かの感情も瞬間的に沸き上がる。感情のセンサーとでもいうものについて考えさせられた。P88-91「蛾」シリーズ。蝶とほぼ同じ形をしているのに蝶は美しく、蛾は「不気味」だと思ってしまう。でも、安井の写す蛾は美しい。この感覚の差はなんなのだろう。人間の視覚による感受性の不思議について考えさせられる。P94「肌」。たぶん人間の肌を目一杯引き延ばしたものと思われるが、まるで広大無辺の砂丘のように感じる。見る尺度、アングルによってものの見え方が変わってくる。P111「犬」。檻の中から顔をのぞかせる寂しげな表情の犬。檻には「食事ヲサスナ」という張り紙。人間の身勝手なエゴを訴える一枚のような気がした。P155「恐怖」。真の恐怖とは-本当に恐ろしいとき、人間はこんな顔をするのだろうか。「恐怖」について考えさせられた一枚。P230-233「雪」「月」。雪月花3連作シリーズのうちの二作。さまざまなジャンルにチャレンジしてきた安井が最後に戻ってきたのは古典的な「侘び」だった。青い鳥的な人間の原点回帰志向についてあらためて考えさせられた。

 人間や他の生物のみならず、ものや風景にまで「深さ」を求めた。写真はものの表面を捉えるメディアでありながらその奥深くにあるものを追求した安井仲治の写真は、写真が表面だけしか捉えられない、という常識を覆した。なにもこうした「深さ」を求めた写真家は安井に限らないと思われるが、それをあらゆる対象でチャレンジしようとした姿勢が彼の個性ではなかったろうか。彼は自らの身体で旅するようなことはなかったが、こうした写真を撮り続けることで、はるか精神の彼方を旅する旅人であった気がする。人は未知の世界を旅することで新しきを学び、新しき喜びを知る。深きを知らなくとも人は生きていけるが、知ればより楽しく、より幸せに生きることができるのではないだろうか。だから人は学び続けるのだと思う。

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授業無欠席で、
前後期の2本のレポートと最初の授業で出されたレポート課題の3つのレポートで
「S」評価(「A」評価の上)をいただきました~


写真についてより造詣を深めることができた授業でした。