久々の読書。
世界で一番多作で、多才で、有名な画家の伝記。
その際立つ天才さゆえに、その部分だけがクローズアップされ、
社会の中で神格化されていった。
しかしその素顔は...というのが著者のつけたサブタイトルの意図ではないだろうか。
人間が持つ「能力」と「人間性」は必ずしも比例関係にはない。
むしろある特定の才能に長けたものは、その能力が高ければ高いほど、
人間性にどこか問題があることが一般的には多い。
画家ピカソもその例に漏れず。
彼に関わった人間、とくに女性たちはことごとく天才の刃で傷つけれらた。
女性を虜にする魅力を持っていながら、彼自身は女性を軽蔑していた。
溢れんばかりの生命力を宿しながら、死への恐怖を人一倍深く抱えていた。
溢れんばかりの生命力を負の方向へと向けたなら...
その意味では彼はメフィストフェレスだったのかもしれない。
著者は芸術家ではないジャーナリストであるため、
芸術そのものへの関心や造詣はそれほど深くないけれど、
だからこそ、かの巨匠芸術家を冷静な目で見つめ、客観的な立場で
彼の人生を語ることができたのかもしれない。
一方で彼に関わった女性を傷つけた所業に対して、
同じ女性、という立場で少々厳しい批判的態度を感じなくもない。
いずれにせよ、芸術を社会の中での位置付けを考えていく上では
主観的にも客観的にもちょうどよい塩梅だったのかな。
客観的すぎれば興味が換気されない平易さに陥るし、
主観的すぎればこれまた偏りすぎて社会性に欠けるものになってしまう。

(画像は大塚国際美術館の陶板画)
1881年10月25日、スペインのマラガにてマリア・ピカソとホセ・ルイスの長兄として生まれる。
絵画教師であった父の影響を受けて言葉よりも先に絵を描くことを覚え、
幼き頃からその天才ぶりを発揮してゆく。
幼少時に幼い妹が病死したことで死への恐怖感を植えつけられ、
身分違いの初恋に敗れることで女性への蔑視精神が芽生えた。
このような経験をした人は彼だけではなく、両親も彼を愛情深く育て、
決して愛に恵まれない幼少時代ではなかったはずだが、
天才ゆえの多才性と多感性が彼をモンスターに仕立てていったのか。
天才といえど最初から順調だったわけではなく、
パリへの憧れを膨らませ、スペインとフランスを行ったり来たりの苦労時代から
画家としての生活がはじまってゆく。
「洗濯船」と呼ばれるパリのアパートが彼の原点だった。
友人カザジェマスの失恋からの自殺など、暗い「青の時代」。
フェルナンド・オリヴィエという恋人の出現により青の時代は終焉を迎え、
明るい「ばら色の時代」へと移行、アフリカのプリミティブな芸術を受けて、
やがて世界を一度破壊し再構築していく、というキュビスムを
アポリネールやブラックらとともに創始し、画家としての地位を確立してゆく。
進歩という考えにとりつかれていた時代に、彼はあえて自分の作品に進歩はないと言いきった。「これまで作品に用いてきたいくつかの手法を進歩ととらえてはならないし、それが絵画に関する未知の発想への足がかりだと考えてもいけない。私は、試みだとか実験などは行ったことがない。表現したいことがあるときに、いつもそれにふさわしい手法で表現してきただけなのだ」(著者, 上巻P219)
天才らしい言葉。
凡人は常に進化していかなければ生きてゆけないが、
それでも凡人が天才の言葉から学べることは少なくない。
感性がマティスの最もすぐれた才能であるように、創造性は明らかにピカソの最上の資質だ。(著者、上巻P233)
同時代の生きた二人の巨匠の特徴を端的に表したもの。
色彩の魔術師とコンポジションの魔術師といったところか。
「誰もが知っていることだが、芸術は真実ではない。芸術はわれわれに真実をー少なくとも、理解すべくわれわれに与えられている真実をー悟らせるための偽りなのだ。ぜひ教えてほしいものだが、自然がつくりあげた芸術というもの見た人がいるだろうか。自然と芸術は二つの異質なものであり、同じものではありえない。芸術を通して、われわれは自然ではないものの概念を表現する・・・芸術に進化や変態の法則を適用するならば、われわれはあらゆる芸術が一時的なものであることを認めなければならない。」(ピカソ、上巻P240)
芸術の社会における存在意義。
自然を最高の芸術と信ずる自分としてはちょっと抵抗を感じる表現だが、
言わんとしていることには共感するところがある。
真実を知るための嘘(作為)。
それが芸術の立ち位置だということ。
それを十分に理解していながら、その究極は真実である自然であることを
ピカソは認めなかったがゆえに彼は終生苦しんだのではないだろうか。
「...悪は情熱の結果ではないから癒やすことができず、恐怖がもたらすものではないから克服もできず、逸脱した以上ではないから言い訳がたたず、無知から生まれるものではないから啓蒙もできない。悪はどうやっても他へ転じたり、呼び戻したり、軽減したり理想的な人道主義に組み込んだりできないものなのである・・・したがって、われわれとしては本意ではないが、次のような結論に建っせざるをえない。この結論は高慢な精神に衝撃を与えるものだろう。悪は償うことができないのだ」(サルトル、下巻P30)
性悪説に通ずるものを感じる。
悪があるからこそ善を感じることができる。
そこに悪の存在意義がある。
ただし悪との関係性は一過性のものでなければならない。
慢性的・恒久的になればその先にあるのは不幸な破滅しかない。
「理解なんてものがどういう関係があるんだね。いつから絵は物理的な証拠になったのだろう。絵は説明するものではないよ。いったい何を説明するというのかな。絵というものは見る人の心に感動を呼びさますためにあるのだ。芸術作品は人の心を動かせなくてはいけないし、通りすがりにちらりと見てすまされるようなものではいけないんだ。反応を呼び起こし、強い感動を与え、たとえ想像のなかだけでも何かを生まれさせるものであるべきなのだよ。見る者を無感動から引きずりださなくてはならない・・・」(ピカソ、下巻P38)
ベルナール・ビュフェも言っている。
「絵画はそれについて話すものではなく、またいろいろ分析するものでもなく、
ただ感じとるものである」
好きになればなるほどアツく語りたくなるものだけど、
度が過ぎれば本質から離れてゆく。
絵は何かを感じさせるためにある。
語りは言葉に任せれば良い。
ピカソが絵画にもちこんだ崩壊のイメージは、シェーンベルクとバルトークが音楽にもちこみ、カフカとベケットが文学にもちこんだそれと肩を並べるものだろう。ピカソはモダニストの否定的なビジョンを究極まで推し進めた。そのあとにつづく者はピカソの注釈者にすぎないと思われるほどである。...(中略)...ピカソの悲劇は、究極の絵に焦がれながら、それが自分の手をすり抜けてしまったことを知りつつ世を去ったところにある。同じように多作であったシェークスピアやモーツァルトとちがって、ピカソは時を超えた天才ではなかった。...(中略)...本書を終わろうとするいま、彼は時代に縛られた天才だったと信じている。ピカソは彼の時代の争いや混乱や苦悶をあらわす地震計のようなものだったのである。(著者、下巻p289)
キュビスムから新古典主義、シュルレアリスムを経て晩年へ。
画家として確たる地位を築いてなお、彼が満ち足りることはなかった。
だからピカソは描き続けた。
才能があったから描き続けたのではなく、
世間が認めても、自分が描きたいと思うものが描けなかったから描き続けた。
その点でピカソは不幸だった。
地位と財産と名誉を手にしながら不幸だった。
ピカソ一人だけが不幸だったなら、まだ許された。
が、彼は自分の中の不幸を周囲にも感染させた。
とりわけピカソの人を魅了する力に魅入られた女たちはことさら傷つけられた。
かといって彼の人を惹きつける魔力ゆえに逃げることもできなかった。
最初の妻・オルガは精神を病んだ末に病死し、
二番目の妻・ジャクリーヌはピカソの死後、後を追うようにピストル自殺。
ドラ・マールも精神を病んだ末に「ピカソのあとは神のみ」と修道女となり、
マリー・テレーズもピカソと出会って50年目の年に首を吊って自殺。
晩年は妻のジャクリーヌ以外自分の子どもたちさえも寄せつけず、
マリー・テレーズの孫・パブリートも毒を飲んで自殺した。
フランソワーズ・ジローだけが彼の魔力から逃れ今も健在だが、
ピカソから受けた傷は決して浅くなく、その心中はいかばかりか。
まさに巨大なネガティブ・スパイラル。
個人的には「アヴィニョンの女たち」「ゲルニカ」あたりが、
ピカソのピークだったような気がする。
本質的なものは時代を超えた本物として時を超越する。
その意味では負への依存は本質的ではなく、
ピカソはその立ち位置にとどまり続けたからこそ、
どれだけ作品を創り続けても、満足することができず、
時代を超えることもできなかったのではないだろうか。
どんなに寡作でも、どんなにゆるやかで時間が掛かるとしても、
人生は上昇するほうが良い。
晩年に大成して死にたいものである。