「NY」と一致するもの

瀬戸内国際芸術祭2019【大島】

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瀬戸芸夏会期2日目は朝から大島へ。

今回初上陸の大島は会場となる全12島のなかでも異色の存在です。
1909年に国の施策により、
四国・中国地方のハンセン病患者を収容するための施設が大島につくられました。
以降国がその施策の変更が転換するまでの約100年間、
島内では2000人以上の人々が亡くなりました。

今でこそ、ハンセン病はそれほど伝染性のあるものではなく、
早い段階で処置を行えば完治する病気として認識されていますが、
当時は「得体の知れない難病」として患者は社会から隔離されて遠ざけられました。
島内の患者は自由を奪われただけでなく、偏見と差別にさらされたのです。

その負の記憶をアートで伝えるべく、2010年から大島は瀬戸芸の会場となっています。
そういういわくつきの会場だったこともあり、
なかなか足が向かず、今回ようやく意を決して今回訪れたわけですが...


やっぱり行ってよかった。


瀬戸内国際芸術祭2019【男木島】

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瀬戸内国際芸術祭2019夏会期。

1日目午前中は、クーラーの効いた美術館で作品鑑賞するも、
やはり瀬戸芸は船に乗らねば!...と、
2013年以来訪れていない男木島を訪ねることに。

14:00高松発のフェリーに乗って、14:40に男木島に到着。
17:00男木島発高松行最終便までの2時間あれば、
全作品見れるだろう...と思っていたのだけど甘かった。


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瀬戸内国際芸術祭2019夏会期がはじまりました。


...と思ってたら、その夏会期もあと一週間で閉幕です。
相変わらずの遅筆ですが、夏会期のレポートを随時していきたいと思います。
2013年・2016年と過去2度、芸術祭には行ってますが、
夏会期に行くのは今回がはじめてでした。

今回も早朝出発して下道でのんびり高松港に向かったのですが、
のんびりしすぎて船の時間が中途半端になってしまい、
やむなく高松市街エリアを回ることにしました。

まずは夏会期オープンの北浜エリアを経由して、
高松市美術館で開催されている宮永愛子展へ。


いやあ、暑い。
暑いときはクーラーの効いた館内でアート鑑賞するに限る。


庚申庵史跡庭園【栗田樗堂|愛媛県松山市】

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松山出身の俳人といえば、幕末から明治に生きた正岡子規が有名ですが、
その前に江戸時代に活躍した俳人として栗田樗堂がいます。

酒蔵の三男として生まれ、17歳のときに同業の栗田家の養子に入り、その蔵を継ぐ。
養父及び妻が俳人であったことから自然と俳諧に慣れ親しむ。
松山藩の大年寄になるなど精力的に活躍していたが、五十を超える頃、
浮世を捨てて俳諧に専念するために草庵・庚申庵を建てました。
樗堂はここでの隠遁生活を望むも、その有能さゆえか周囲はそれを許さず、
庚申案での生活はわずかな期間だったと言います。
その後、樗堂は俗世から逃れるために御手洗島(現在の広島県・大崎下島)に移住し、
そこで66年の生涯を終えます。

俳人としての腕前は相当なものだったようで、
当時発行された俳人番付で、あの小林一茶が末席だったのに対し、
樗堂はかなりの上位に列せられていました。
実際、一茶はかなり樗堂をリスペクトしていたようで、二度ほど樗堂の元を訪れています。

とくに誹諧に興味があったわけではなく、
テレビでふじまつりの様子を見て、行きたくなりました。

少々満開の時期を過ぎていましたが、なかなか見事な藤棚でした。


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木造の学校に木霊が宿る。
そんな学校をつくらないとほんとうはいけないのではないか。

自然で、簡素で、静寂である、
このことが学校の環境としては一番いいんではないかと思っております。

建築というのは何気ない美しさですよね。
わざとらしくないのがいいというのと、
それと滲み出て、心に染みるような、
そういう建築であってほしい。

(『素描・松村正恒』パンフレットより)


愛媛に来て8年。
念願の建築にようやく訪れることができました。

八幡浜市立日土小学校(以下「日土小学校」と称す)。
この建築を明確に知ったのは2013年の香川県立ミュージアムでの丹下健三展でした。
丹下さんと同時代に活躍したの建築家たちの一人として紹介されていました。

日土小学校は今も現役で活躍する小学校ですが、
平成21年より春休みや夏休み等の長期休暇時に一般公開されており、
今回第32回の学校見学会に参加してきました。


現在に残る校舎は愛媛県大洲市出身の建築家・松村正恒氏の設計により
1956年に中校舎が、1958年に東校舎が建てられました。
2007年に八幡浜市の有形文化財に指定されると同時に改修改築工事に着手、
2009年に新しい西校舎が完成しました。

1999年にDOCOMOMO Japan20選に選ばれ、
さらに2012年に木造モダニズムをよく残すものとして、
国の重要文化財の指定を受けました。


ムンク展ー共鳴する魂の叫び【東京都美術館】

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久々の東京出張。
帰りの飛行機までの時間を利用して、久々のお江戸での美術鑑賞。


...というわけで東京都美術館で開催中のムンク展に行ってきました。

特にムンクが好き、というわけでもなくて、
上ので開催中のフェルメール展、ルーベンス展、六本木で開催中のボナール展など、
場所の成約と好みをいろいろ検討した結果、消去法で残ったのがムンク展と、
三菱一号館美術館のフィリップス・コレクション展でした。
結果的にはこれが大当たり。


「叫び」は世界で最も有名な絵画の一つであり、
故国ノルウェーでは国民的画家として讃えられているエドヴァルド・ムンク。
40代にはすでにその画業は社会的に認められるようになっており、
画家としては成功した部類に入るでしょう。

しかしなぜ、彼の絵はこんなにも悲しみに満ちているのでしょうか。


ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)の北に位置するローテン村で、
軍医だった父クリスチャン・ムンクと母ラウラの間に生まれたムンクは、
結核により母と姉を幼くして失う。
女運も悪く、恋人とのいざこざの末に左手の指の一部を失ってしまう。
幼少時に大切な家族を失うという経験と、恋人との破局により
アルコールに依存するようになり、ついには精神的にも異常をきたすようになる。
この危機を画業の成功でなんとか乗り切るが、
ナチス・ドイツが台頭してくると、頽廃芸術として作品押収され、
戦争を避けるようにひっそりと作品を描き続けるが、
ナチスの爆撃で家の窓が吹き飛ばされ、その寒さにより気管支炎を患い、
生涯独身を貫いた画家は自宅で一人息を引き取った...


画家としては成功したが、彼の人生は決して恵まれたものではなかった。

彼の人生ははたして幸福なものだったのだろうか。
彼自身、自分の人生に悔いは残らなかったのだろうか。


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Facebookグループでの投稿で知り、行ってきました。

アートの島「豊島」といえば豊島美術館のある香川のものが有名ですが、
愛媛にも「豊島」があるんです。
香川の豊島が「てしま」と読むのに対し、愛媛の豊島は「とよしま」と読みます。

愛媛の豊島は現在は無人島となっています。
そこにゲルハルト・リヒターの美術館があります。
香川の豊島に比べるとちょっと寂しいですが、
無人島にある美術館ってなかなか雰囲気あっていいものです。

美術館と言っても、建物の中には190センチ×180センチの透明なガラス板が14枚、
約8メートルにわたって並べられているだけ。
14枚のガラスは一見平行に並んでいるように見えますが、
少しずつ角度を変えてハの字状に並んでいます。
リヒターによるガラスの立体作品としては、最後にして最大のものだそうです。

陸側からは先が見通せるけれど、海側から見ると先が見通せないという
マジックミラーのような不思議な空間。


リヒターはどのような想いでここにこの空間を創ったのでしょうか。


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広島滞在最終日。
最後はやっぱり平和記念公園。

前回訪れたのは2011年3月
実に7年ぶりの訪問です。


「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです。
 過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです。
 ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否することです。
 ヒロシマを考えることは、平和に対しての責任を取ることです。」


広島出身であることを心から誇りに思います。


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夏休み4日目。最終日は日本三景の一つ、天橋立へ。


天橋立は京都府の丹後半島南東部の付け根に位置し、
西側は内海の阿蘇海、東側は宮津湾に挟まれた砂州です。
古代より景勝地として知られ、古くは百人一首に詠まれ、
絵や俳句の題材として多く取り上げられています。


大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立 小式部内侍

小雨はれみどりとあけの虹ながる与謝の細江の朝のさざ波 与謝野寛

人おして 回旋橋の ひらく時 くろ雲うごく 天の橋立 与謝野晶子


砂州は見る場所、見る方向によって様々な表情を見せてくれます。
(...帰ってから知ったことですが;;)

北側の成相山からは龍が昇っていくがごとく(昇龍観もしくは斜め一文字)、
南側の文殊山からは龍が飛んでいるがごとく(飛竜観)、
東西からは横一文字に(一字観)。


今回は主に北側の成相山を中心に巡ってきました。


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夏休み三日目は福井県。

勝山市にある福井県立恐竜博物館を後にして坂井市丸岡町の丸岡城へ。


北陸地方唯一の現存天守である丸岡城は、
安土桃山時代の1576年に柴田勝家の甥・柴田勝豊によって建てられました。
現存十二天守の中では最も古いとされる一方で、
犬山城も創建1537年でこちらが最も古い、と主張していますが、
犬山城よりも39年も後の丸山城が最古を主張するのはどういうこと?

昭和9年に国宝指定されるも、昭和23年の福井地震で倒壊。
昭和25年施行の文化財保護法(新法)では重要文化財指定に留まった。
昭和30年に倒壊材を組み直し復元され、現在にその姿を留める。