

松山出身の俳人といえば、幕末から明治に生きた正岡子規が有名ですが、
その前に江戸時代に活躍した俳人として栗田樗堂がいます。
酒蔵の三男として生まれ、17歳のときに同業の栗田家の養子に入り、その蔵を継ぐ。
養父及び妻が俳人であったことから自然と俳諧に慣れ親しむ。
松山藩の大年寄になるなど精力的に活躍していたが、五十を超える頃、
浮世を捨てて俳諧に専念するために草庵・庚申庵を建てました。
樗堂はここでの隠遁生活を望むも、その有能さゆえか周囲はそれを許さず、
庚申案での生活はわずかな期間だったと言います。
その後、樗堂は俗世から逃れるために御手洗島(現在の広島県・大崎下島)に移住し、
そこで66年の生涯を終えます。
俳人としての腕前は相当なものだったようで、
当時発行された俳人番付で、あの小林一茶が末席だったのに対し、
樗堂はかなりの上位に列せられていました。
実際、一茶はかなり樗堂をリスペクトしていたようで、二度ほど樗堂の元を訪れています。
とくに誹諧に興味があったわけではなく、
テレビでふじまつりの様子を見て、行きたくなりました。
少々満開の時期を過ぎていましたが、なかなか見事な藤棚でした。

訪問日:2018年5月26日(土)
丸亀で美術館といえば、丸亀駅前にある猪熊弦一郎現代美術館が有名ですが、
ネットで調べていると、ほかにもう2つほど美術館があるみたいです。
前回は丸亀平井美術館を紹介しましたが、
今回はもう一つの丸亀美術館を紹介します。
さぬき浜街道を丸亀平井美術館から西へ車で7分ほど。
丸亀美術館は江戸時代に造られた大名庭園・中津万象園に併設された美術館で、
ミレーやコロー、クールベなどの巨匠の作品を見ることができます。
中津万象園は1688年、二代目丸亀藩主・京極高豊によって中津の浜に造られました。
築庭はその後100余年もの長い年月をかけて五代高中のときに完成。
庭の中心には京極家の先祖の地である近江の琵琶湖を形どった八景池が置かれ、
近江八景になぞらえて、帆、雁、雪、雨、鐘、晴嵐、月、夕映と銘した八つの島が配され、
それぞれの島を橋で結んだ池泉回遊式の大名庭園となっています。


久々のブログの更新です。
じつは昨年11月に転職しまして、冬が忙しい職種ということもあって、
昨年10月末に出かけた旅行記もまだ残っていたのですが、
休みなしでどこへも行けないどころか、ブログを更新する間もありませんでした。
まだまだ繁忙期は続きますが、だいぶ時間の余裕が出てきたので、
少しずつ再開していきたいと思います。
昨年10月末の旅行記、岡山県の閑谷学校に続いては、
岡山駅近く、旭川をはさんで岡山城の北に広がる岡山後楽園に行ってきました。
江戸時代を代表する大名庭園の一つであり、
水戸偕楽園、金沢兼六園と並ぶ日本三名園の一つでもあります。
本園は1687年、岡山藩主・池田綱政公が家臣・津田永忠に命じて1687年に着工、
14年の歳月を経て1700年に完成しました。
その後も藩主の好みで手を加えられたものの、江戸時代の姿を大きく変えることなく
現在まで伝えられており、昭和27年に国の特別名勝に指定されました。
ちなみに池田綱政は名君として名高い池田光政の嫡男であり、
津田永忠はその光政によって見出された家臣であり、
光政の命により備前市の旧閑谷学校の建設にも携わっています。
作庭当初は城の後方にあることから「後園」と呼ばれていましたが、
明治になって、「先憂後楽」の精神に基づいて造られたと考えられることから
「後楽園」と改められました。
人より先に憂える場所が岡山城で、人より後れて楽しむ場所が後楽園といったところでしょうか。
時の名君が、天下の楽しみに遅れて楽しむために作った庭園とはいかなるものだったのか。
この目でしかと見届けたいと思います。

三徳山をめざして岡山自動車道へ車を走らせていると、
ふと、「重森三玲の世界」という看板が視界に入ってきた。
すごく気になったのもの、できるだけ早く現地に着きたくてやむなくスルー。
しかし後日、どうにも気になって訪れることにしました。
岡山県吉備中央町は重森三玲の生まれ故郷です。
町内には記念館およびパネル展示室と、
「友琳の庭」「西谷邸」「小倉邸」「天籟庵」「功徳庵」の
三玲が手がけた庭園や茶室が5ヶ所あります。
事前にネットで調べたところ、いずれも無料公開してるとのことですが、
この「無料」が曲者でした。
たぶん平日はほとんど訪れる人がいないのでしょう。
どうやら普段は無人で放置状態のため、中に入れないところもあうようです。
訪れる際は管理をしている町役場に事前連絡をしたほうが良さそうです。
「タダほど高いものはない」とはよく言ったものです。


とくに小泉八雲に詳しいわけでも興味があるわけでもないのですが。
この夏に愛媛の国宝・大宝寺に訪れたときに、
そのお寺に伝わる逸話を小泉八雲が「怪談」におさめたことを知りました。
今回中四国の国宝建築巡りで松江城に訪れることを決めたときに、
その近くに小泉八雲の記念館および旧居があることを知り、
お城とセットの共通入場券もあることだし、ということで訪れました。
パトリック・ラフカディオ・ハーンは1850年6月27日に、ギリシャのレフカダ島で
アイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれる。
当時はアイルランドはまだ独立しておらず、レフカダ島もイギリス領だったこともあり、
ハーンはイギリス国籍を有していました。
2歳のときにアイルランドに移り、その後イギリスとフランスでカトリック教育を受ける。
19歳のときに父母代わりだった大叔母の破産を機に単身渡米、ジャーナリストとして身を立てる。
シンシナティ、ニューオリンズ、カリブ海マルティニーク島と移り住み、
ニューオリンズ時代に万博で日本文化に出会い、興味を持つ。
そして1890年4月に日本の土を踏みます。
日本人女性と結婚し、帰化することで「小泉八雲」と名乗ることにした。
松江、熊本、神戸、東京と居を移しながら日本の英語教育の最先端で尽力する一方で、
得意の語学力を生かして日本文化を欧米に伝える執筆活動にも尽力した。
よく知らないながらもなぜか気になるのは、
同じ「流浪の民」としての社会における位置づけが気になるからであろうか。


宇和島市の天赦園。
宇和島藩の七代藩主・伊達宗紀(むねただ、号:春山[しゅんげん])が1866年につくった隠居所です。
池泉回遊式庭園であり、昭和43年に「名勝」の国指定を受けました。
「天赦園」という名前は伊達政宗公が隠居に際し群臣たちに示した述懐の漢詩に由来します。
先月の初訪から1ヶ月。
天赦園のオフィシャルブログを見ていたら、
一番の見所の白玉上り玉藤が23日ごろにピークを迎える、というので
夜勤明けの日曜日、眠い目をこすりながら一路宇和島へ。
日曜日で天気も快晴、ということもあって前回よりたくさんの人でにぎわってました。
たった1ヶ月で園内は色とりどりの花が咲いていて、劇的に雰囲気が艶やかになっていました。


「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」(孟子)
東京でミュシャ展、並河靖之展の二つの展示をはしごした後、急ぎ水戸へ移動、
駅周辺のホテルに宿泊した翌朝。
水戸で二つの展示をはしごする前に、偕楽園に行ってきました。
1月にNHKで放送された「ブラタモリ」をみて、行きたいなあと思っていたところに、
急遽決まった上京計画。
これはもう、行くっきゃない、と。
水戸の偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つで、
天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主、徳川斉昭公が、
「領民と偕(とも)に楽しむ」場にしたいと願い創設しました。
斉昭公は陰陽の調和の大切さに重きを置き、
陰陽の調和を図ることを「一張一弛」(弓を張ったり、弛めたりすること)を例にして示し、
勤労と休息の適切さが治世の要点であることを強調しています。
学びの場である弘道館に対する休息の場として偕楽園は創設されました。

馬上に少年過ぎ
世は平にして白髪多し
残軀は天の赦す所
楽しまずんば是を如何せん
(伊達政宗)
馬に乗って戦場を駆けた若かりし頃は過ぎ、
太平の世となり、自分の髪の毛もすっかり白くなってしまった。
戦禍を生き延びることができたのも、天が自分を赦してくれたからであろう。
ならば余生を楽しまなくてどうするか。
宇和島城に続いて愛媛県宇和島市の天赦園に行ってきました。
宇和島藩の七代藩主・伊達宗紀(むねただ、号:春山[しゅんげん])が1866年につくった隠居所です。
池泉回遊式庭園であり、昭和43年に「名勝」の国指定を受けました。
「天赦園」という名前は伊達政宗公が隠居に際し群臣たちに示した述懐の漢詩に由来します。
宇和島へは2014年に一年間、職業訓練校にほぼ毎日通いました。
天赦園のそばも何度も通ったけれど、結局中へ入ることは一度もなかった。
近くにあっても意識できないものってたくさんあるんだな。

四国唯一にして日本最大の特別名勝・栗林公園に行ってきました。
栗林公園の起こりは、16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって、西南地区に築庭されたことに始まるといわれ、1625年頃に当時の讃岐国領主・生駒高俊公によって紫雲山を背景に南湖一帯が造園され、現在の原型が形づくられました。
その後、1642年に生駒氏に代わって高松に入封した初代藩主。松平頼重公の時に園内六十景命名をもって完成し、明治維新に至るまでの228年間、松平家11代の下屋敷として使用されてきました。
明治8年に県立公園として一般公開されるようになり、昭和28年には、文化財保護法による「特別名勝」に指定され、今日に至っています。
国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で、最大の広さ(約75ヘクタール)を持つ栗林公園は、緑深い紫雲山を背景に六つの池と十三の筑山をを巧みに配し、四百年近い歴史を誇る江戸初期の回遊式大名庭園として、すぐれた地割り、石組み有し、木石の雅趣に富んでいます。(パンフレットより)
芸術上または観賞上価値が高い土地について、
日本国および地方公共団体が指定したものを「名勝」と呼び、
さらにその中でもとくに重要なものとして指定されたものを「特別名勝」と呼ぶ。
日本には36の特別名勝がありますが、四国にはただ一つ、栗林公園のみ。
そしてこの公園は日本最大の特別名勝でもある。
瀬戸内国際芸術祭など高松に行く機会がよくあり、
この庭園の前も何度となく通っているのだけど、今回ようやく訪れることができました。
市街地のど真ん中にこんなに大きな自然庭園があるなんてびっくりです。
フランスの旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」において、
栗林公園は「わざわざ旅行する価値がある」として、三つ星施設に記載されているそうです。
また、明治時代の教科書には日本の三名園(兼六園、偕楽園、後楽園)よりも「木石の雅趣」が優れている、と記されているのだとか。

京都・東福寺に行ってきました。
二年前に東京のワタリウム美術館での展示を見て以来、訪れてみたかった場所。
「京都最大の伽藍」で紅葉の名所「通天橋」で有名なお寺ですが、
僕の一番のお目当ては重森三玲の「八相の庭」。
東福寺は大きく「通天橋・開山堂エリア」「方丈エリア」「本堂エリア」の3つのエリアに分けられます。
うち本堂エリアだけが無料拝観でき、他の2つはそれぞれ入場料が必要です。
残念ながら粉雪が舞う寒い日での観覧となりましたが、
やはりそこは素晴らしい空間なのでした。