とくに小泉八雲に詳しいわけでも興味があるわけでもないのですが。
この夏に愛媛の国宝・大宝寺に訪れたときに、
そのお寺に伝わる逸話を小泉八雲が「怪談」におさめたことを知りました。
今回中四国の国宝建築巡りで松江城に訪れることを決めたときに、
その近くに小泉八雲の記念館および旧居があることを知り、
お城とセットの共通入場券もあることだし、ということで訪れました。
パトリック・ラフカディオ・ハーンは1850年6月27日に、ギリシャのレフカダ島で
アイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれる。
当時はアイルランドはまだ独立しておらず、レフカダ島もイギリス領だったこともあり、
ハーンはイギリス国籍を有していました。
2歳のときにアイルランドに移り、その後イギリスとフランスでカトリック教育を受ける。
19歳のときに父母代わりだった大叔母の破産を機に単身渡米、ジャーナリストとして身を立てる。
シンシナティ、ニューオリンズ、カリブ海マルティニーク島と移り住み、
ニューオリンズ時代に万博で日本文化に出会い、興味を持つ。
そして1890年4月に日本の土を踏みます。
日本人女性と結婚し、帰化することで「小泉八雲」と名乗ることにした。
松江、熊本、神戸、東京と居を移しながら日本の英語教育の最先端で尽力する一方で、
得意の語学力を生かして日本文化を欧米に伝える執筆活動にも尽力した。
よく知らないながらもなぜか気になるのは、
同じ「流浪の民」としての社会における位置づけが気になるからであろうか。
松江城を取り囲むお堀の北端に八雲がかつて暮らした家があります。
八雲は東京で亡くなるまでの14年間を日本で過ごしましたが、
松江で過ごしたのはそのうちの1年3ヶ月弱、さらにこの家での暮らしはたった5ヶ月だそうです。
ただ、八雲が過ごした家で残っているのはここだけなのだとか。
八雲は1890年8月に松江の尋常中学校の英語教師に赴任、
翌年1月に士族の娘・小泉セツと結婚、
5月から熊本に転任する11月までの5ヶ月をこの家で過ごしました。
その旧居の隣に小泉八雲記念館があります。
[小泉八雲記念館]
[小泉八雲旧居]
「ヘルン旧居」とも呼ばれているそうです。
「ハーン」の発音を当時は「ヘルン」と読んでいたことによります。
まずは記念館で八雲の生涯や実績について学んだ後、
旧居で八雲が過ごした空間を体感する。
記念館で知識を積み、旧居で感覚を積むといったところでしょうか。
ちなみに記念館は内部の撮影はNG、旧居は撮影OKです。
というわけで記念館の写真はなし、以下に旧居の様子をレポートします。
玄関部分。
柱には可愛らしい小鳥の彫り物。
開放感ある室内。
書斎。
若い頃に事故で左目を失明した八雲は見えなくなった左目に生涯コンプレックスを感じ、
写真に写るときも必ず右向きのアングルで左目を見せないようにしていた。
居間。
縁側。
ちょっと変わっているのは敷居が一本しかない!
つまり引き違い戸ではなく、戸の開け閉めは戸を取り外すしかないんですね。
昔はそうだったのかな。
北側の庭。
西側の庭。
南西方向の庭。
南側の庭。
庭の説明は丁寧にしてあるのに、建物の間取りの説明などはほとんどありませんでした。
どうやらこの旧居の運営者は建物よりも庭を見てもらいたいようです。
家を外から中を見るのではなく、中から外を見させるようになっている。
西洋人である小泉八雲が日本の庭をどのように見たのかということが重要なのです。
(パンフレットより)
【Information】オフィシャルサイト(旧居/記念館)
開館時間:4月〜9月 8:30〜18:30、10月〜3月 8:30〜17:00
入館料:旧居 大人300円、小中学生・外国の方150円
記念館 大人400円、小中学生・外国の方200円
※オトクな3館セット(松江城、旧居、記念館)もあります。
大人1000円、小中学生500円