今回の上京は、先日の地域力創造セミナー参加で出張が認められましたが、
せっかく上京してきたので、美的センスを磨くために美術館巡りをば、と。
田舎には大自然、という大きな美術館がありますが、
あたりまえだけど、どうしても原始的な作品しか存在しない。
大自然から人間という領域に昇華させた作品の宝庫はやはり都会にあるわけで。
大学生時代、多くの美術館を訪れて、最終的に行きついた先は自然だった。
大自然から隔離して生きるようになった人間は、
自然の美を感じる能力を失ってしまったのだろうか。
そんな不安から、田舎での生活を思い立ったのだけど。
その疑問に対する回答はこれから自らの創作で見出していくしかない。
今回訪れた美術館は三つ。
まずは外苑のワタリウム美術館で開催されている作庭家・重森三玲の展示。
庭は最も分かりやすい「自然を加工した小宇宙」。
ニュージーランド地震を遙か遠い彼方の出来事として傍観していたら。
やってきたよ、日本にも。
それも三発。
しかも国内観測史上最大級。
こんなにも大きく、こんなにも長い揺れを体験するのははじめて。
日本のほぼ全域の海岸線に津波警報。
交通網は麻痺し、ライフラインも一部一時断絶。
しかし悪運強し。
地震発生時は自宅にいて、僕が住む地域はほとんど被害なし。
ライフラインもほとんど影響を受けず。
偶然の幸運を見つけ出すのがセレンディピティなら、
これも一種のセレンディピティなのだろう。
どんなときも、希望を失わずにいよう。
苦しいときこそ、抗い難い苦難に出会ったときこそ、
小さな「花」を見つけ出す努力をしよう。
それが人間らしく生きる、ってことじゃないだろうか。
震災に遭われた方へ、心よりお見舞い申し上げます。
震災により尊い命を奪われた方へ、心からご冥福をお祈りいたします。
いよいよ開幕。
疲れているはずなのに、興奮なのか、緊張なのか、
夜中に目が覚めてしまった。
折しも外はあいにくの雨。
でも、でも、多くの人に見てもらいたいです!
ぜひ、見に来てください!
第19回多摩美術大学上野毛デザイン展
2月18日│金│〜2月20日│日│
10:00〜21:00(最終日17:30まで)
多摩美術大学上野毛キャンパス
東京都世田谷区上野毛3-15-34
交通│東急大井町線上野毛駅より徒歩3分
基本的に全日程会場内にいるつもりですが、
休憩していたり、ほかの作品を見て歩いていたりと、
作品のそばにいない場合もあります。
もちろん僕がいなくても存分に作品を鑑賞してもらってかまわないのですが、
事前に来場時刻など連絡くれれば確実にアテンドできると思います。
僕を知っている人はもちろん、知らない方も、
ぜひぜひたくさんの人とお話したいです。
携帯か、twitter(@tadaoh73)へダイレクトメッセージ、
(普通のつぶやきや返信では見逃す可能性あり)
mixiのメッセージなどで連絡ください。
...確実に対応できる保証はないですが、できるだけフォローします。
ちなみに会場は正門入ってすぐの本館および1号館がメイン会場ですが、
僕の作品はそこからさらに奥の3号館映像スタジオで展示してます。
場所的に見逃されがちなのが心配なので、念押し。
映像スタジオは比較的スケールの大きな6人の学生作品が展示されており、
結構良い感じに仕上がっています!
「あのライオン、肌に張りがない。毛にもツヤがない。自分で獲物を獲らないからだ。やっぱり、ここじゃライオンがライオンらしく生きるのは難しいのかもしれない。」(映画『沈まぬ太陽』)
早くも「沈まぬ太陽」がテレビ放映。
7年前に原作を読んだときはかなりの衝撃を受けた。
映画はこの濃い物語をよくぞ映像化した、と思うけど、
原作の濃さを考えると、やはり映画は原作のダイジェスト版、
という感があるのは否めない。
それでも言葉だけでは見えず、映像化することで見えてくるものもある。
映画で一番印象に残ったシーン。
主人公・恩地が会社の不正を暴くべく向かったニューヨーク。
束の間の休息で訪れたブロンクス動物園。
そこにかつての仲間であり、今は敵となったライバルの愛人が現れる。
もがけばもがくほど巨悪に染まってゆく男を助けてほしい、と懇願する女。
女が去った後、恩地がふと顔を上げた先に目に入った、
「世界でもっとも危険な動物」とは...
世界中のすべての動物園に置くべきだ。
この「世界でもっとも危険な動物」を。
卒業制作の最終プレゼンも終わり、久々の展示見学。
久々のオペラシティ。
ドミニク・ペローについては、
名前をどこかで聞いたことがある、という程度で、
どんな建築を手がけたかはまったく知らなかった。
自分のなかの直感が、この展示を見たいと思った。
...単純に名前がカッコイイ、という類のものだろうけど。
このカンは、当たったような、外れたような。
好みで言うならば、正直それほど好きな部類じゃないかも。
しかし、それなりに学ぶところはあった。
「人間を凌駕する自然の中に人は存在すると認識することは、
人間のありようを定義することではないでしょうか」
建築とは、自らを守るための壁を築くことである。
しかし、その壁が外界から隔絶されるものであってはならない。
これまでの建築はあまりに外界から隔絶されてきた。
これからの建築は、外界から自らを守ると同時に、
外界と交流するものでなければならない。
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中村先生の授業において、
象徴主義・神秘主義を習う過程で紹介された本。
イタリアの記号学哲学者、ウンベルト・エーコによる小説。
舞台は教皇と皇帝の二極体制下で権力と欲望が渦巻く中世イタリア。
世界中のあらゆる書物が収められた異形の文書館を持つベネディクト会修道院で
ヨハネの黙示録に沿って次々と起こる奇怪な殺人事件。
その事件を解決すべく派遣されたフランチェスコ会修道僧バスカヴィルのウィリアムと
その弟子、ベネディクト会見習い修道士メルクのアドソのコンビが事件に立ち向かう。
物語は年老いたアドソが当時を回想する形で語られてゆく。
二人のコンビが難事件を解決してゆく、と書くと、
あたかも名探偵ホームズとその助手ワトソンによる、
推理小説のごときイメージを浮かべてしまうけど、
ただの推理小説なら、上下巻で800ページにもわたる大作である必要もない。
この物語は、キリスト教の世界観を描いたものであり、
さらにその奥深くには宗教VS哲学、あるいは宗教VS科学の対決が描かれている。
宗教だけで世界は成り立たず、
さりとて科学だけでも世界は成り立たない。
目に見えるものと、目に見えないもの。
世界はこの2つで成り立っており、どちらか一方だけで成り立つものでもない。
2年生の時の香水の課題から生まれた造形。
ただ立方体を「ねじる」という単純な発想から生まれたこの形が、
以後、自分の中につきまとっている。
自分の中の芯、という点ではあらゆる展開に応用が利くのだけど、
逆にこれを越える新しい形を生み出す、というブレークスルーにおいては
大きな壁となっている。
この形から離れられない。
この形から逃れられない。
もっと有機的な、もっと本質的な形が、この形の向こうにあるはずなのに。
悩んでいる割に進捗が見られない。
悩んでいる割に結果が出ない。
...内面の苦労が報われない、苦しい時期であります。
GWも後半。
同級生から建築系の面白そうなインスタレーション展示をやっていると聞き、
久々に竹橋の国立近代美術館へ。
アトリエ・ワン、中村竜治、中山英之、鈴木了二、内藤廣、菊地宏、伊東豊雄。
日本の7人の建築家によるインスターレーション展示。
「建築はどこにあるの?」
...何とも深いテーマじゃないですか。
この展覧会の嬉しいところはめずらしく写真撮影OKだということ。
見る人それぞれの「建築はどこにあるの?」の答えをflickrの専用サイトに
アップしよう、というキャンペーンもあるとか。
とりあえず僕は文章と写真でその答えを整理したいので、
いつも通り自分のブログにアップしますが。
さらに入場料がいつもより安い。
学生料金450円でもいつもより安いのに、
キャンパスメンバー特典でさらに250円へ値下げ。
GWとあって混雑しているかなあ...と思いきや、チケット売り場で並ぶこともなく、
会場も快適に鑑賞することができ、写真をたくさん撮ることもできました。
はたして僕の建築はどこにあるのか。
まだはじまってもいない自分にその答えは見えようはずもないのかもしれないけど。
TokyoArtBeatで見つけました。
大成建設のギャラリー、「ギャルリー・タイセイ」。
主にル・コルビュジエの作品を展示していて、
ちょうど企画展「ル・コルビュジエの建築」第1部が開催中、ということで
日曜日にでも行こうかな、と思ったら日曜は休館日ということで、
土曜日の授業前に急いで行ってきました。
横浜は関内駅から歩いて8分。
こぢんまりとしてますが、白を基調としたシンプルですっきりした空間。
土曜日だというのに、誰も来館者がいなくて、
来館者どころか、スタッフも一人もいなくて、
ほぼ貸し切り状態でした。
ビルの入口に警備員はいるものの、大丈夫なのかな、こんなんで。
撮影不可の案内もないようなので、
思う存分撮影してきました~
3月から無事定職に就けそうです。
...アルバイトだけど。
...9月まで、という期限付きだけど。
まあ何にせよ、プータロー生活にもそろそろピリオドを打つ時期のようです。
アルバイト採用の最終面接で再度神谷町へ出向いた帰り道、
21_21で開催中のクリストとジャンヌ=クロード展へ行ってきました。
何でも包んでしまうラッピング・カップル。
束の間の瞬間のために巨費と途方もなく長い時間を費やして、
彼らはいったい何を伝えたかったのか。
自分はいったい何がしたいのか。
その想いが僕を会場へと足を運ばせる。