クリストとジャンヌ=クロード展【21_21】

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christ_2121.jpg


3月から無事定職に就けそうです。
...アルバイトだけど。
...9月まで、という期限付きだけど。

まあ何にせよ、プータロー生活にもそろそろピリオドを打つ時期のようです。

アルバイト採用の最終面接で再度神谷町へ出向いた帰り道、
21_21で開催中のクリストとジャンヌ=クロード展へ行ってきました。


何でも包んでしまうラッピング・カップル
束の間の瞬間のために巨費と途方もなく長い時間を費やして、
彼らはいったい何を伝えたかったのか。


自分はいったい何がしたいのか。
その想いが僕を会場へと足を運ばせる。


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ジャンヌは去年急逝していたんですね。
本展は彼らと親交の深い三宅一生が、
彼女の死を悼むと同時にジャンヌの意思を継いで現在進行中のプロジェクトを
継続するクリストを応援する意味を込めて開催されるもの。

もしかして、21_21もラッピングしているのかな...
と淡い期待を抱きつつ会場へ向かったのですが。

...残念ながらいつもの通りの21_21。

...なのでフォトショで勝手にラッピングしてみる。

wrapped_2121.jpg

うーん、当たり前だけど、クリストのようにはいかないもんだ。
しかし、今はこうやって下手なりにデジタルツールで簡単にイメージを作成できちゃう時代。

自分が生まれた頃から彼らはランドアート規模の作品を手がけているのだけど、
その頃は当然そんな便利なツールなどあるわけもなく。
クリストは頭の中のイメージをコラージュで的確に表現していく。


以下ネットからクリストの作品をピックアップしてみました。


直近の2005年にニューヨーク・セントラルパークで展示された「The Gates」。

まずはコラージュ。

実際の展示風景。

コラージュがそっくりそのまま見事にスケールアップ。
クリストには建築の基礎素養があったみたいです。
これほど緻密なコラージュを他に見たことがない。


ベルリンのライヒスターク議事堂(1995年)。

まずはコラージュ。

そして実際の梱包。


そのイメージ表現力も見事ですが、
驚くべきはこの巨大なオブジェの設置費用を企業などスポンサーを一切つけず、
一連のイメージドローイングを売るなどして、あくまで私財で賄っている点。
ある意味究極のピュア・アートなのでしょうか。


会場は映像紹介コーナーと、ドローイングの展示の二構成。

クリストといえばランドスケール規模のものが有名だけど、
最初は本や花、木などといった身近なものを包んでいた。

映像は日によって上映される作品が異なるみたいです。
僕が行ったときは「ヴァレー・カーテン(1970年-1972年)」と
「ランニングフェンス(1972年-1976年)」の二作品が上映されてました。


ヴァレー・カーテン。

ドローイング。


実際の様子。

鮮やかなオレンジが渓谷に映える。

「渓谷に巨大な布をかける」
言葉ではたかだか10文字程度のものでも、
実際に行うとなると、途方もない金銭と労力が必要になる。
いかに言葉で伝えられるものが少ないか。


続いてランニングフェンス。

ドローイング。

実際の様子。
牧草地帯を高さ5.5mの白布が38km続く。
そのさまはまるで白い万里の長城のよう。

スタートは海から。

陽に照らされるとさらに美しく。


日米同時開催の「アンブレラ(1991年)」。

ドローイング。

実際の様子。

[日本は青]


[アメリカは黄色]


パリのポン・ヌフ橋を包む(1985年)。

ドローイング。

実際の様子。


島だって包んじゃう(1983年)。

ドローイング。

実際の様子。


現在進行中のプロジェクト「Over The River」。
川の上を布で覆います。

ドローイングその1。

ドローイングその2。

2013年頃に実現予定...だったみたいですが、
2017年現在もまだ実現していないみたいです。


その代わり「Floating Piers(浮遊する桟橋)」が実現してました。

コラージュ。

実際の様子。


たかだか2週間展示するためだけに、
億単位のお金と数年から20年以上のもの長い月日が費やされる。
それは展示の「一時的」という特徴を最も顕著に現すもの。

自分は本来、その展示の「一時性」が好きではない。
しかしそれでも彼らの作品に惹かれるのはなぜだろう?


それは、彼らがあくまでのその「一時性」に徹底的にこだわっているからだと思う。
さらには、彼らができあがるオブジェそのものに作品性を置くのではなく、
作品を作る過程に作品性を置くからである。
彼らのアートは環境アートであり、プロセス・アートである。

イメージを考えるのはクリストとジャンヌの二人だが、
そのイメージを具現化するのはそのプロジェクトに関わる人たち、組織、社会である。
オブジェを作るために周辺住民の同意を得て、建築許可を得て、「みんな」で作りあげる。
感動をみんなで作りあげる。

そこにはハードとソフトの良い関係が存在する。
アートと社会の良い関係が存在する。


自分はいったいどのように社会と関わっていきたいのか。
少しずつそのビジョンが見えてきているような気もするし、
まだまだよく分からない気もする。

分かっているのは妥協してはいけない、ということ。
どんなに亀の歩みでも、あきらめてはならない。