誕生日に花をもらった。
...と思ったら肝心の花がなく。
しかし家に帰っていざ花器代わりのコップに生けてみると...
...あら不思議。
確かに「花」はないのだけど全体として「華」があるように見える。
花を「生ける(活ける)」ってこういうことなのかな。
Architecture, Art, and sometimes Design.
誕生日に花をもらった。
...と思ったら肝心の花がなく。
しかし家に帰っていざ花器代わりのコップに生けてみると...
...あら不思議。
確かに「花」はないのだけど全体として「華」があるように見える。
花を「生ける(活ける)」ってこういうことなのかな。
つてあって、フラワーアレンジメントの展示を観にいってきました。
男の日常に「フラワーアレンジメント」なんて無縁なので、貴重な機会。
会場も女性ばかりでなんとなく居づらい雰囲気だったけど、
美しい色鮮やかな「花」を眺めるのは、男にとっても嬉しいもの。
元々「花」は色や匂いの艶やかさで虫や鳥たちの注意を引き、
花粉や種子を運んでもらうことで種を存続させるのが本来の役目。
種を存続させるための「艶やかさ」が、
人間の手にかかれば、逆に命取りになるという皮肉。
せめて花たちの哀しい運命を偲ぶ気持ちを忘れないでいたいもの。
それにしても花の構造って面白い。
神が創りし美しき造形。
美は人間が創りだすものではなく、神が創り出すものである。
すべての美は自然という偉大な書物に記されている。
人間ができることは、その書物から「見出す」ことのみ。
[ミケランジェロ『ピエタ』](出典:Wikipedia)
天気が良いと、どこか行きたくなる。
しかし生来、出不精でもある。
どこか行きたい気持ちと、家でぐうたらしていたい気持ちがせめぎ合う。
そして結局どこにも行かなかったとき、
昔なら、「なんて自分はダメ人間なんだ」と激しく自己嫌悪に陥ったものだ。
しかし今はこう思う。
「今日は身体が休息モードだったんだ」
それだけで、気分が塞ぐか、気分が楽になるか大きく状態が異なる。
同じ状況でも、捉え方によって悲劇にもなるし、幸運にもなる。
ピンチにもチャンスにもなる。
これはけして大げさな誇張ではないし、けして事実をねじ曲げることでもない。
幸運を生かす人と悲運にしか恵まれない人。
世界の大半の人々は、
この小さな考え方の差で生き方に大きく差が出ているんじゃないだろうか。
しかしこんな時、家から歩いて5分に良い場所があるって嬉しい。
たった30分でも緑のなかをぶらぶらすると、精神が充電される。
自然が僕らを生かしている。
人間が自然をコントロールしようだなんて、思い上がりも甚だしい。
すべての答えは自然という偉大な書物に記されている。
だから僕らは自然から学ばなければならない。
[この花の名は?バラ...じゃないよね?...樹に咲いてたし。]
多摩川散策のあと、等々力渓谷へ。
渓谷は、自宅から等々力駅へ向かう道中にあります。
アスファルト道路を歩くよりは多少時間がかかるけれど、
天気が良いときは早めに家を出て、なるべく渓谷を通って駅へ行くようにしてます。
一日のはじめに緑の小道を歩くことで良い一日を過ごすことができそうな気がするのです。
河川敷で思いの外たくさんの花があることを発見したので、
ここでも花をメインに探してみる。
動植物に詳しくないので、名前が分からない。
詳しい方、誰か教えてください~
週末に一斉に記事をアップ。
最近はもっぱら週末ブロガーと化してます。
平日はバイトでエンジニアモードなので、せめて週末はデザインモードへ。
デザインとは「関係性」を構築することだと思う。
関係とは、人と人、人と物の間を結ぶものである。
そして人は自然と結ばれている。
自らコンクリートジャングルを築いてそのなかに立てこもっても、人は自然の一員である。
自らを自然から切り離すことはできない。
だから都会の中でも、よくよく探せば自然は意外とすぐそばにあったりする。
梅の季節が終わり、いよいよ桜だな...
ということでまずは自宅から徒歩一分の多摩川河川敷へ。
[1月-多摩川の初日の出]
毎年カレンダーは買わなくても誰かがくれてたので、
わざわざ自分で買うことはほとんどなかった。
が、大学に入って隠遁生活に入ったせいか、
今年はカレンダーはやってこなかった。
ないなら創れば?
...というわけで創ってみました。
以前の僕なら「創る」という選択などなかった。
そこに大学での学びの成果を感じる。
なければ創ればいいんだ。
[伊勢神宮外宮にて]
来週月曜日は今年最後の最終プレゼン。
...しかしまだエンジンがかからない。
というわけで、時期も時期ですし。
今年のベストショットでも挙げてみようかと。
...突然の思いつきなので、今後もやるかどうかは微妙だけど。
まずは動物ショットベストテン+α。
圧倒的に風景写真や建築写真が多い中、たまに気まぐれで動物を撮ることがある。
そんな数少ない動物写真から、お気に入りをピックアップ。
第4セッションの課題にて。
今回の自分のテーマを前の課題から展開して、
等々力渓谷南部の橋を含めた導線計画を先生に提案したら、
参考にするように、と貸してくれた本。
エミリオ・アンバース、1943年アルゼンチン生まれの建築家。
本書は1993年に開催されたエミリオ・アンバース展の図録で、
1973-1993年の20年間にわたる活動の軌跡を紹介。
氏の名前は今回はじめて知ったのですが、
実はあの「アクロス福岡」の基本設計をした人なんですね。
(アクロス福岡は1995年に竣工したのでこの図録には載ってません)
アクロス福岡に代表されるように、
建物と自然との融合を意識した建築を創る人らしい。
自然と融合する建築。
先生がこの建築家を紹介してくれた理由が一目で理解できました。
そして僕が建築に求めるものもこの中にある。
有名建築家のスケッチ・ワーク集。
スケッチは頭の中のイメージを外に出すための最初のステップ。
身体(脳)の一番近くにあるものだけに、
スケッチをする人の個性が出る。
国内外の建築家のスケッチが実建築と一緒にたくさん載っているわけですが、
日本人建築家のそれは線が細く緻密。
スケッチの段階からきっちりダイヤの原石を研ぎ澄まそう、という姿勢が見える。
一方海外の建築家のそれは、線が太く、荒削りでダイナミック。
特にリベスキンドなんかそのスケッチだけで空間のイメージが滲み出る気がする。
...好みの問題かもしれないけど。
美大にはいるまで、スケッチなんてほとんどしたことがなかった。
もちろん正規のデッサン教育も受けていない。
我流ではあるけれど、量を積めばそれなりに形になるものなのかな。
課題の最終プレゼンが無事終わりました。
2年生の見学、授業風景の取材、といつになく見学者が多い、ということもあって
いつもは遅刻してくる学生が多いのに、今回はほぼ定刻に8割方そろう。
正直この歳になってもプレゼンは苦手。
高専にいた頃はほとんどプレゼンなんてしたことなかった。
社会に出て、それなりにプレゼンをする機会はあったけど、
課題の最後に毎回プレゼンをする、という美大のスタイルに触れることで、
ようやくプレゼンの本質が見えてきたような気がする。
短い時間の中で自分の伝えたいことを的確に伝える。
手が技術に追いつかず、想いが言葉に追いつかない。
毎回それを痛感します。
スピーディーにプレゼンして、スピーディーに相手に想いを届かせる。
それが効率化社会における現代のプレゼンの本質なのだと思います。
しかし。
どんなに文明が進めど、本質そのものはゆっくり浸透する。
それを信じて自分の想いをじっくり整理する。
それがこのブログなのです。